第9話 歪み始める日常と初めての挨拶

 旧科学研究施設の一角。

 理央は作業机に広げた装置の最終調整に集中していた。

 無数のケーブルが配線され、モニターには魔力波の変位グラフが細かく表示されている。


「……よし、これで外部安定化処理は完了。あとはフィールド出力の挙動次第か」


 端末に指を滑らせながら、理央は低く呟く。

 その横では、クロエと夕凪が並んで作業を見守っていた。


「それが、改良版?」


「そう。“魔法式干渉装置”の正式モデル。

 試作機じゃ対応できなかった高出力領域でも、今度は自動で抑制信号を流せるようになってる。

 要するに――無茶しなくて済む、ってわけ」


「ふふん、つまり“理央くんが死にかけなくて済む”ってことね?」


 夕凪が軽く笑いながら言うと、理央は咳払いでごまかした。


「……まあ、そういうことだ。


 今回は、第三魔力ラインの副系統を狙う。出力は大したことないが、都市インフラには確実に影響を与える」


「リスクは?」


「妨害がバレれば、すぐに修復班が動くだろう。ただ、被害を最小限に抑えた“テスト”としては上出来のはずだ」

 理央が起動スイッチを押すと、装置のコア部が淡く発光し始めた。

 瞬間、部屋の空気がわずかに変わる。


「……これが、魔法式への干渉?」


 クロエが目を細める。

 彼女の視覚には、普段見慣れた“魔力の流れ”が微細に揺れているのが見えていた。


「安定してる。以前のとは、別物だ」


「まあね。理論値上では20%出力低下で抑えてるから、暴走のリスクも格段に下がった」


 理央は手元の端末を操作し、干渉フィールドのテストを実行する。

 数秒後、壁際の魔導ランプがちらつき、完全に消灯した。


「……成功」


「……ほんとに、魔法じゃないんだね」


 夕凪がぽつりと呟くと、理央は静かに頷いた。


「魔法じゃない。だからこそ、魔法を超えられる」



◆◇◆



 理央は端末の画面を切り替えると、都市全体のマップを呼び出し、その中の一角を指差した。


「ここが、第三魔力供給ラインの副系統。都市インフラの中でも、比較的監視が緩いエリアだ。

 とはいえ、魔法省の補助端末や自動監視魔眼が動いてる。油断はできない」

 

 クロエと夕凪が理央の背後からモニターを覗き込む。


「侵入ルートは?」


「旧市街地の地下通路を通る。地図上では廃棄指定区域に含まれているから、魔力監視もかなり緩い。

 時間帯は、日付が変わる直前。魔力供給ラインの切り替えタイミングを狙う」


「切り替えの瞬間を突くってことか」


「そう。あの瞬間は、魔力の流れが微妙に不安定になる。


 だから妨害の揺らぎを“誤作動”と誤認させやすい。突入から回収までの猶予は、およそ七分」


「短いね。けど……やれる」


 クロエが静かに頷く。その表情には、一切の迷いがなかった。

 理央は次に、各人の役割を提示する。


「クロエ。君には装置の設置を任せる。機動力と隠密行動の点で、最も適任だ。

 僕は外から遠隔操作と情報分析。夕凪はバックアップとして、通信と緊急回収用デバイスを担当してもらう」


「了解。支援は任せて」


「設置場所と手順は、今夜中に端末に送っておく。現場での判断は君に任せる、クロエ」


「問題ない」


 理央は最後に一息つき、二人の顔を見渡した。


「これは“攻撃”じゃない。“観測”だ。僕たちの科学が、魔法社会にどれほど食い込めるかの試金石になる。

 ……ただし、もし仮に何か異常があった場合は、即時撤退。生き延びることが最優先だ」


 二人は無言で頷いた。

 その沈黙を破るように、理央は最後に口を開く。


「じゃあ、行こう。世界への最初の“ノイズ”を刻みに」 



◆◇◆


 

 夜の帳が都市を覆う。

 人工の星々が灯る上空には、魔法式で浮遊する街路灯、情報魔法を帯びた案内板、空を滑る浮遊列車――。

 この都市は“魔力”によって成り立っていた。人々がそれを“空気”のように享受することに、疑問すら抱かないほどに。


 その足元、誰にも知られぬ地下を、一人の少女が駆けていた。


 クロエ=ノクス。

 フードを目深にかぶり、黒ずんだマントを翻しながら、魔力の残滓すら感じさせない沈黙の足取りで進む。

 ここは旧市街地のさらに奥、記録上は“通行不能”とされている排水路接続の副通路。


 彼女の視線はわずかも揺れず、途中に仕掛けられた魔力検知装置を、最小限の干渉で無効化していく。


(……あと五十秒。切り替えまで、時間は十分)


 やがて、苔むした扉の先――

 第三魔力供給ライン・副系統管理ステーションにたどり着く。


 壁面に並ぶ古びた魔導管。周囲には魔力の微細な脈動が漂い、空間そのものが“生きている”かのようだった。

 クロエは静かに背負っていた装置を取り出すと、手元の端末を起動し、設置ポイントを確認。


 柱の影、魔導管の結節点。――そこが最も効果的に波を広げられる場所だった。


「……設置完了。あと十秒」


『こちら理央。フィードの安定確認。いつでもいける』


 耳元の通信機から、理央の落ち着いた声が響く。


 クロエは仮想パネルを操作し、展開スイッチに指を添える。


「展開――開始」


 装置が淡く発光し、無音の波動が空気をゆっくりと押し返した。

 クロエの目には、空間に流れていた魔力が、じわじわと濁り、ねじれ、歪んでいく様子がはっきりと見えた。


 まるで清流に一滴の毒を垂らしたように、均衡が崩れていく――


 その瞬間だった。


 都市の一角、第三区の街路灯が一斉に消える。

 空中を滑っていた魔導案内板が明滅を繰り返し、やがて沈黙。

 浮遊式の生活支援端末が緊急降下し、通行人がざわめき出す。


 それは、確かに“魔法の息切れ”だった。


『成功……! 供給干渉確認。フィード安定、余波も範囲内。完璧だ、クロエ』


「回収に入る。五十秒で脱出」


 クロエは手早く装置を固定解除し、端末から記録データを引き抜く。

 振り返ることなく、影の中へと走り出した。


 その数十分後。旧科学研究施設にて。


「全工程、予定通り。向こうはまだ原因特定できてないはずだ」


 理央は複数の画面に目を走らせながら、安堵の吐息を漏らした。

 妨害装置は安定しており、干渉記録も鮮明だった。


「初陣にしては上出来すぎじゃない? ほんとに、これ“試験運用”でよかったの?」


 夕凪が端末を覗き込みながら笑う。


「だから言っただろ。魔法じゃないからこそ、魔法のスキを突ける」


「……魔力の流れ、歪んでいくのが見えた。たぶん、これ……慣れると、もっと深くまで届く」


 クロエがそう言ったとき、理央は一瞬だけ目を細めた。


「ようこそ、“科学の領域”へ。……面白くなってきた。さあ、次はどうしようか?」



◆◇◆



 翌朝。

 魔法学園アストレア中央棟。

 カイ・イングリウスは、早朝の静かな廊下を歩いていた。


 ――カイ・イングリウス

 彼は魔法の名門イングリウス家の長男にして学園で理央と並ぶ実績を残している生徒の一人だ。

 理央のことはライバルと認識しており、試験の度にしのぎを削っている。


 彼が天を仰げば冬に近づく空気は澄んでいるが、都市の空にはどこか不安定な色が差していた。


 昨夜、一部区域で魔導インフラが突如停止した――そんな噂を耳にしてから、胸の奥がざわついていた。


(通信障害……魔導灯の消失……原因不明。魔力供給系に、ノイズが走った……?)


 自分の所属する上級魔法課程では、その話題に触れる者は少なかった。

 が、カイの中で引っかかっていたのは“都市の異常”ではない。


 ――久遠理央のことだった。

 ここ数週間。理央の動きに、微妙な変化がある。

 誰よりも完璧な“優等生”だった彼が、時折ふと空を見上げたり、会話の最中に間を空けたり。

 その瞬間の“無意識の空白”が、どうしても気になっていた。


(久遠、お前……何を見てる? 何を隠してる?)


 昨日もそうだった。

 教師からの質問に、僅かに応答が遅れた。誰も気づかないほどの、ほんの一拍の遅れ。

 それは、魔法に生きる者として致命的な“ズレ”の始まりだった。


「……さすがに、勘違いだとは思いたいんだけどな」


 カイは静かに呟き、足を止める。

 窓の外に広がる学園都市の景色――そこに漂う魔力の“密度”が、昨夜からどこか不自然に感じられた。

 かつて並び立ったライバル。


 戦えば拳が擦れ合い、言葉を交わせば思考が交差した相手。

 だからこそ、カイには分かる。

 理央は、今――何かを“壊し始めている”。

 彼がもしその一歩を踏み出したのなら、いずれ真正面から“止める者”が必要になる。


「……頼むから、間違った方向には行くなよ。俺の手で、お前を止めることにならないように」

 

 静かな教室棟の影に、魔力の風がわずかに揺れた。

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