1-3.孫娘と写真


私はニリーザ・ルンドルク。

息子が長を務める工房に顔を出すと“先代”だなんて大仰な呼ばれ方をするが、予定より早い老後を堪能している隠居さ。

と言っても“人生二〇〇年”なんて言われる時代だから老人って訳じゃぁない。

私が老人と言われる分には構わないが、一〇〇歳未満の私が老人呼ばわりされたら一五〇歳越えの老人たちに怒られるだろうさ。


まぁ見た目で私を老人扱いする人はまずいない。

先祖の小人族の血によるものか背が小さくて、同じく霊人族の血によるものか若々しいから実年齢より随分と下に見られることが多いんだ。

それでも三〇〇年以上生きる長命種族の霊人族とかならともかく、地人族の八十五歳で“お姉さん”呼ばわりされるのは何ともむずがゆいけどねぇ。


アウストディア帝国で老人とか老後と言えば年を重ねた人がそれまで担っていた立場を終え休養に入った隠居状態を示す言葉だ。

だから代々営む工房の長を息子に継いでのんびり生活に入った私は老人と言えなくもないんだけどね。

それにしても本当なら少なくともあと十数年は息子や他の職人たちの面倒を見たかったんだが・・・まぁ、人生なんて予定通りに行かないもんさね。


私が予定より早く老後に突入したのは利き腕の負傷が原因だ。

幸い動かすこと自体は問題ないんだが、以前の様に力を入れることが出来なくなっちまってね。

力加減ってのは職人にとって重要な要素の一つ。

それが満足に出来ないんならと思い切って息子にあとを押し付けて引退したって訳だ。


引退したのはもう七年前の話。

今でも工房に時折呼ばれることがあるものの基本的には家事育児を手伝うだけで後はのんびり気の向くままに過ごせている。

現役時代は仕事に家事に育児にと毎日毎日忙しかった。

それを思えば平穏も悪くない。

何より義娘と孫娘と過ごす日々はとっても充実していて、お陰で退屈しないんだ。



「おはよ、エレシア」

「おはようございます、ニリーザさん」



私の隠居生活は多くの場合、台所にいる美人さんへの朝の挨拶から始まる。

美人さんは息子の妻であるエレシア。

何かと優柔不断な息子だが、この娘を射止めたことは素直に褒めたものだ。

気立てが良く芯がしっかりした娘で私にとっては息子の妻と言うよりも娘の様に感じている。

エレシアの方は私のことを母と言うより姉の様に感じているなんて言っていたけど・・・確実に見た目の所為だろうねぇ。


挨拶を交わすと私も台所へと入り様子を確認し手伝いを始める。

基本的に我が家の食事はエレシアが担当している。

“ニリーザさんは老後を満喫している最中なんですから私に任せてのんびりしてください”なんて言われてからそうなんだが、全部やってもらっていたら身体が鈍っちまうし退屈でいけない。

と言うことで手伝うのは許容してもらっている。

誰かが手伝う姿を見せるのは孫の教育にも良いだろうしな。



「おはよう母さん、エレシア」



エレシアが料理の仕上げに入った頃。

私が出来上がった料理から食卓に並べていると息子のクロイルがやってきた。

息子は私と同じで小人族の血が出たのか背が低いんだが、少し強面な顔立ちの所為で私と反対に実年齢より上に見られることが多い。

親子で歩いているのに“兄妹”と間違われたことも一度や二度じゃないからね。

見た目相応の威厳を纏ってくれれば歴代工房長にも負けないとは思うんだが・・・まぁあと一〇年くらいは期待薄だね。


私は結婚もせず親帯も結ばず、提夫から精だけ貰い単独母子家庭で息子を育てたんだが・・・。

今はどこで何をしているかもわからない提夫はなかなかの美男な地人族だったのに息子はどうしてこんな顔立ちになったのやら。

大昔の工房長の肖像画の中に強面の男がいた気がするが、まさか数世代を経てその血が出たんだろうか。

血統ってのは不思議だねぇ。



「貴方と皆さんの分のおやつも用意しておいたから忘れずに持って行ってね」

「助かるよ、ありがとう!」



エレシアが手提げ鞄を取り出しながら言うとクロイルが嬉しそうに笑んだ。

頼んだ訳でもないのに愛妻がおやつまで創ってくれたんだからそりゃ嬉しいだろが、頬が緩みっ放しだよ全く。

こりゃ威厳を纏うのはあと二〇年は早いかね。


今日の息子の仕事場は私たちが暮らすルオネブルクではなく少し離れた所にあるハビリンと言う街だ。

あの街の歴史的建造物である時計台の年次点検だから丸一日掛かるだろうね。

出張とはいえ日帰りなんだが、それでも普段より帰りが遅くなるだろうと言うことでエレシアはおやつを用意してくれたらしい。

私が現役だった頃もこう言うさりげない気遣いをサラッとしてくれた。

本当に良い娘だよ。



「行って来る。所で・・・エリーはまだ起きてないのか?」



朝食を普段よりも早い時間に済ませた息子が家を出ようとした所で問いかけて来た。

そう言えば今日はまだ孫娘の元気な挨拶を聞いちゃいないね。

普段なら朝から“おばあちゃんおはよー!”と笑みを浮かべた元気な姿を見せる筈。

・・・いや、昨日一昨日は少し慌てていたかもしれないね。



「三日連続のお寝坊さんなんて知りません」

「あー・・・うん、いつもありがとう」



エレシアは微笑で応じたがそれだけで私も息子も察した。

なるほどね。

昨日一昨日少し慌てていた様に見えたのは寝坊してエレシアに起こしてもらったからだったと言う訳だ。


我が家の教育方針は“一、二回目は手伝うけど三回目は自己責任”と言うものだ。

月曜、火曜と寝坊しても起こしてあげるけど水曜日は知らないよと言う感じだね。

まぁ三回に達したらまた振り出しに戻るんだが。

だから木曜、金曜も寝坊したらまた助けるけど次の月曜日はまた知らないよとなる。


なかなか改善しない寝坊ってのは当人の意識不足或いは体質が要因だろう。

その点、帝国では変作動検査とか睡眠傾向検査とかが充実している。

そうした検査の結果、うちの孫娘は至って正常と言うか極めて健康であることがわかっている。

だから何度寝坊しても改善しないのは当人の意識不足。

ようするに単なる寝不足だ。

そんな訳でこのまま起きないと今日は遅刻して学校で注意されることになるんだろうが・・・まぁそれも経験さね。



「お、おかーさん、ごはんっ・・・!」



三人分の食後の片付けをエレシアと共にしていると孫娘が息を切らして現れた。

その姿にエレシアと顔を見合わせると二人して微笑んでしまった。



「準備しておくから顔を洗ってらっしゃい」

「う、うん!・・・・・・おかーさんおばーちゃん、おはよう!」



エレシアに言われて洗面所へ駆けて行ったかと思えば顔だけこちらに出して挨拶して来た。

そして私たちが挨拶を返す前に顔が引っ込んだ。

何とも忙しないけれどその元気ぶりに思わず笑ってしまう。

誰に似たのか明るく元気で不思議と周囲を笑顔にする魅力の持ち主。

私の孫娘エリーゼ・クレメイス・・・エリーはそう言う娘だ。


父親の影響か、それとも祖母の私の影響か。

その辺りはわからないがエリーは“物弄り”に強い興味関心を持っている。

随分長いこと工房を営んでいる家系としては喜ばしいことだけど、うちの孫娘は好奇心と集中力が強い。

実に職人向きだと思うんだが、その所為で何かに興味を抱いて夢中になると寝る間も惜しんでのめり込んでしまう。

今の所は生活に支障が出る度にエレシアや私が注意をしているんだが、一か月に一度くらいの頻度でこうして寝不足による寝坊が生じる。

しかもその寝坊は必ず自己管理の欠如によるものだ。


一職人としては期待出来るんだが、工房長としてはちょいと頼りない。

父親のクロイルも軍で成長したからエリーも軍での経験で視野を広げたり、落ち着きを得てくれたらと思うが・・・正直期待薄な気がするね。

そうなると私やクロイルとは違って経営を助けてくれる相手が必要になる。

うちの工房は腕利き揃いだけど職人気質ばかりで経営には不向きな奴が多いから、将来を見越してクロイルに経営向けの人材の確保と教育を検討させるべきかもな。


・・・或いはエリーを公使に渡って支えてくれる良い男がいれば良いんだが。

なんて思っていたら来客を報せる呼鈴が鳴った。



「私が行きますね」

「ああ、こっちは任せておくれ」



汁物スープを食卓に並べたエレシアがそう言って玄関へ向かう。

私はその背を見送りながら孫娘のお茶を用意する。

朝から呼鈴鳴らされても訝しんだりしないのは来訪者が誰かわかっているからだ。


孫娘のエリーは十三歳。

今年の始めに国民学校を卒業して帝国学校に通い始めた。

来訪者と言うのはその帝国学校へ一緒に通っている近所の坊やの筈だ。


元々は男の子が一人で登下校なんて脳内が桃色な危ない女に襲われかねないから幼馴染のエリーと一緒にって話だった。

それが今ではどちらかと言うとエリーが坊やに面倒見て貰っている感が強い。

寝坊はするし寄り道しようとするし・・・明るく元気に加えて好奇心旺盛だから目を放すと何処か行っちまうんだ。


そんなエリーに嫌気が差すこともなく毎日一緒に登下校してくれているんだから有難い話さ。

でもエレシアが坊やの家に寝坊の連絡を毎回してくれているんだ。

それなのに坊やはエリーを置いて行く事無く毎度わざわざ迎えに来てくれる。

・・・これって、ひょっとすると“そう言うこと”かもしれないねぇ?



「それで、今回の寝坊の理由は?」

「いやぁ~・・・おばーちゃんが貸してくれた“本”を読んでたら夢中になっちゃって・・・」



戻って来るとすぐに食事を始めたエリーに問いかけたら苦笑しながら答えた。

やれやれ、そんなことだろうと思ったよ。

こりゃぁ学校行っている間に没収かね。

そう言うとエリーは顔を真っ青にした。



「こらエリー、手と口を止めるんじゃないよ。坊やが待ってるだろうに」

「はぁい・・・」



愛嬌溢れる孫娘にそんな表情をされると可哀そうになって翻意したくなる。

でも駄目なものは駄目だ。

自己管理が出来ないような子に私の“作業記録”を見せる訳には行かないね。

第一、私がエレシアに叱られるじゃないか。


エリーが“本”と言ったのは私の現役時代の作業記録だ。

ルンドルク家としての記録とは別に私が個人的に纏めて置いたもので中には写真付きで詳細を記したものもあったりする。

代々工房を営む家系に生まれたからと言って子孫が必ずしも後を継ごうと職人に興味を抱いてくれる訳じゃない。

だがエリーは非常に強い興味関心を抱いていて近頃は頻繁に工房へ足を運んで見学もしている。

と言っても職人たちは仕事をしている訳で、忙しい時なんかは相手なんてしていられない。

それにまだ知識もない中で工房に入り浸るのは事故の原因にもなる。

だからと言って折角エリーが抱いている興味関心を削ぎたくはない。


そこで先代の私の出番と言う訳だ。

体験談を聞かせたり簡単な実践を見せたりもしているけど、エリーは吸収が早い。

時折見せる集中力は凄まじいもので本当に職人に向いていると思う。

そう思うと楽しくなってきて一人の時でも学べるように色々渡していたんだが・・・。

寝坊の原因にされる様じゃ、まだ早かったかねぇ。



「っ・・・そうだっ、おばーちゃんっ!あの挟まってた写真なぁに!?」

「・・・写真?」



何かを思い出しやや興奮した様子でエリーが問いかけて来た。

“どの写真だい”と思ったが、エリーは“挟まってた写真”と言った。

おかしいね。

記録書の写真は全部貼っつけてあるから挟んであるのなんてない筈なんだが・・・。



「帰って来たら教えるから早く学校行ってきな。坊やが待ってるよ」



とりあえずその場はそう言って孫娘が坊やと一緒に学校へ向かうのを見送った。

坊やに“一緒に遅刻させて悪いね”と言うと“今からならぎりぎり間に合いますし、エリーとなら平気です”だなんて返された。

ありゃぁ間違いなく“そう言うこと”だね。

十三歳で一人の男の心を射止めたんだからうちの孫娘は大したもんだよ。

ま、うちの孫娘は世界一可愛いからね。



「・・・まさかこの写真とはねぇ」



孫娘の部屋に入った私の上機嫌なんてすっ飛んで溜息交じりにそう口にしていた。

視線の先には孫娘の寝坊の要因となった私の作業記録書・・・ではなくその隣。

その記録書の何処かに挟まっていたであろう二枚の写真がある。

何処かに紛れ込ませたとは思っちゃいたんだ。

それがよりによって孫娘に渡した記録書に挟まっていたとはねぇ。


写真を手に取った。

どちらも懐かしい写真だ。

そこに映っているものは私の職人歴の中で間違いなく最も大きな仕事だった。

でも私がその仕事に関わっていたことは秘密で、息子のクロイルにだって話しちゃいない。

いや、話すことは“出来ない”ことになっている。



「・・・まぁ、誤魔化すしかないね」



手に取った写真を眺めながら私はそう独り言ちた。

“誤魔化す”と言っても即席の作り話をする訳じゃない。

あの仕事の期間中、私がしていたことになっている表向きの話を久々に持ち出すだけのことだ。

この写真はその時偶然撮られたものを記念に貰ったんだってね。


・・・なんて言っても、いつかは気づかれてしまうかもしれない。

それでも私の口から真実を語ることは出来ない。

“許可”がない限り口外出来ないものだからね。

久々にその事実を思いながら私は二枚の写真を持ったままエリーの部屋を後にした。


私の手に握られた二枚の写真。

そこには“巨人”の姿が写っていた。

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