ティアーデ ~天秤の戦乙女~

紅零四

第一天秤(章) ※エリーゼ視点

1-1.人生最大の日


この世界は何度も世界規模の災厄に見舞われて来たと言う。

星々が世界中に降り注いだ【大流星】に始まって。

“神”と“巨人”が死闘を繰り広げた【大激突】に、神への叛乱者たちによって生じた【大災害】。

他にも“狂王”が引き起こした【大氾濫】とか世界最大の超帝国の滅亡によって生じた【大崩壊】とか。

つい一〇〇年程前には世界を巻き込んだ【大戦争】なんてのもあったそうだ。


時には世界滅亡の危機すらあったらしいが・・・全部俺が生まれる前の話。

だからよく知らんけど、とにかく大変だったんだとは思う。

そんな大変な歴史上の出来事と比べたら大したことないんだろうと思う。

それでも今日と言う日は間違いなく俺にとって人生最大の日だ。



「よし、作業終了だっ!」



肩に掛けた手拭で額の汗を拭いながら俺は作業終了を告げた。

普段なら仕事終わりの余韻に浸りながら仕上げが気になって何度も確認する所。

普段とは違い早口で大きな声を発して帰り支度を急ぐのは今日と言う日を迎えて気持ちが浮ついている証拠だろう。

俺らしくない様子に一緒に作業をしていた女性職人たちが一様に面白そうに笑みを浮かべている。

普段なら威厳を保とうと恥じらいを堪えながら知らぬふりを貫く所だが、今日に限っては全く気にもならなかった。



「もう終わったのですか・・・さすがは老舗工房“虹の槌”ですね」



作業の立会をしていた街の女性職員が感嘆の声を発した。

俺たちが終えたのは旧市街地にある街灯の魔力回路の修理だ。

“老舗”と言われた通りうちの工房は代々受け継がれてきた話が本当なら数百年の歴史を持つ世界でも有数の工房だったりする。

元々は武具と防具専門だったらしいが時代の変遷に合わせて魔機具も扱うようになり、今では魔動車やら飛空機から公共設備まで幅広い魔機具の修理や点検整備を請け負っている。


今回修理した魔力回路は街灯の点灯を管理する重要なものなんだが、型としてはかなり古いものだ。

具体的には三〇〇年くらい前の型。

旧市街地は街灯を始め景観維持なんかの理由で古いものが残っていることが多くて新顔の小綺麗な工房なんかじゃ扱えないものが多い。

だから今回の様に故障が生じるとうちの工房に依頼が来るんだが・・・よりによって今日と言う大事な日に緊急修理の仕事が入るとはな。



「そいつはどうも、お役人さん。悪いが今日は急いでいてね。書類を出して貰えるか?」

「ああ、はい・・・こちらです」

「ども」



俺が催促すると職員が慌てて書類を出してくれた。

すぐに受け取り署名を済ませる。

普段ならここから片付けやら撤収しての報告やらまだまだやることがある。

だが今日に限ってはこれでこの場における俺の仕事は終了だ。



「ほい、これで・・・・・・すまん皆、後は頼んだ!」

「はいよ、こっちは任せな!」

「良いからとっとと行ってやりなよ、若旦那!」



書類を職員に返しながら顔は片付け中の工房の職人たちに向け言い放つとすぐに声が返って来た。

一緒に作業をしていた四人の職人たちは全員が女性で俺よりも年上ばかり。

皆子供の頃から何かと面倒を見てくれた頼れる姉の様な連中だ。

一様に笑みを浮かべた連中の急かす様な仕草や言葉を背に俺は駆け出した。


“大大陸”中陽ちゅうよう地域の広範に国土を持つアウストディア帝国。

通称“東帝国”とも称される世界で一、二を争う超大国が俺たちの国だ。

その帝国の北部に位置する都市ルオネブルクは最新の設備が整った新市街地と古風で風情のある旧市街地とが共存しているとても大きな街だ。

俺はそのルオネブルクの中心部から離れた新旧市街地の境目付近に店を構える“虹の鎚”と言う名の老舗工房を代々営んで来た家系に生まれた。


俺はこの時代に世界で最も人口の多い地人族と言う人種に生まれたが、男として生まれたことで家族は大喜びだった。

昔ほどではないがこの世界では男女比に偏りがあって男の方が少ないからだ。

そんな俺は義務教育と義務兵役を済ませた後、もう何年かを帝国軍の整備兵として過ごしてから故郷に戻って今年で三十二歳。

次代の工房長となる為に当代の工房長である母を含む先輩職人たちにしごかれる毎日を過ごしている。

そうして毎日疲れるものの充実感に満ちた平穏な日々を送っていたが、今日は一大事が起きていた。



「ほう・・・早かったね、クロイル」



目的の建物に入ってキョロキョロしていると声を掛けられた。

クロイル・ルンドルク。

それが俺の名前なんだが、俺は名前を呼んだ人物を見て唖然としてしまった。

相手は小柄で若々しい女性なんだが纏う雰囲気はとても若者とは思えない。

それもその筈で、その女性は当代の工房長である俺の母だった。


母は俺と同じ地人族で今年七十二歳になるんだが、とてもそうは見えない。

たぶん俺たちの家系に度々小人族の血が入っているのが理由だ。

小人族は小柄な体躯と丸っこい横耳が特徴的な種族。

寿命はおよそ二〇〇~二五〇歳なんだが、実年齢は見た目の二~三倍。

つまり三〇代の見た目だとしたら実年齢は六〇~九〇歳なんて種族だ。

小柄なこともあって耳の形に気づかないと大人びた子供にしか見えないことも多いんだが、優れた筋力を持っているから小柄と侮れない。

俺の母はその血に加えて別の種族である霊人族の血も色濃く出たのか、見た目が若々しいままなんだ。


この世界には多くの種族が存在するが、色んな種族と血が混ざりあったことでどの種族も寿命は二〇〇歳以上に落ち着きつつあるらしい。

俺たち地人族ってのは元々一〇〇歳にも満たない寿命だったんだが、それが倍に伸びつつある。

地人族は特に他種族との混ざりあいが多くて、その所為か寿命以外にも遅老とか身体能力、魔力素養なんかに他種族のものが出ることがある。

勿論地域差や個人差はあるんだが、とにかくそうした影響もあって母は外見だけ見れば俺と同年代と言っても差し支えないくらいに若々しい。


実際、俺たち母子が歩いているのを見て兄妹だと勘違いされることもある。

納得行かないのは“姉弟”じゃなくて“兄妹”って所だ。

俺の方が老けてるってことになるんだが・・・。


・・・って、それよりも。

別の仕事で新市街地に行ってくれた母が何で俺よりも先にここにいるんだ!?



「医療所でデカい声出すんじゃないよ。うちの息子にはもったいない出来た嫁さんが大変な時に悠長に仕事なんかしていられるかい。さっさと終わらせてさっき来た所さ・・・いつまで立っている気なんだ?さっさと座りな」



俺が驚きの声を発しても母は落ち着いた様子でゆったりと椅子に座ったまま応じた。

俺は咄嗟に大きな声を発したことを反省しつつ言われるがまま隣に座る。

そんな俺たちのやりとりを見て笑みを零している人が何人か見えた。

まぁ傍目には年下の女性に叱られている様に見えるんだろう。

なに、いつものことだ。

それよりも妻のことが気になってそわそわしていると母が小さな溜息を吐いてから現状を教えてくれた。


俺たちがいるのはルオネブルクに幾つかある医療所の一つ。

我が家と工房から最も近いこの医療所に来たのは産気づいた妻が運ばれたからだ。

母の話では今の所問題はなく、いつ産まれても不思議じゃないらしい。



「やれやれ・・・軍を経験して真面目だけが取り柄の優男が少しは落ち着いた良い男になってきたと思っていたが、まだまだみたいだねぇ」



問題はないと聞いても変わらず落ち着きのない俺を見て母が溜息交じりにそう言った。

そんなこと言ったって、妻が大変な時に俺は何も出来ない訳で・・・。


なんて思っていると防音扉の向こうから微かに声が聞こえた。

気のせいだろうかと思いながらも一層そわそわしながら待っていると扉が開いた。

頭の上に獣耳、背には尻尾を持つ獣人族の女性看護師が出てきたが、その際にはっきりと聞こえた。

新たな命の産声が。



「ルンドルクさん、おめでとうございます。地人族の女の子が生まれました。母子共に健康状態良好ですよ」

「ありがとう、看護師さん。先祖返りはしなかったんだねぇ」



看護師の言葉に安堵して身体から力が抜けていくのを感じた。

一方で母は看護師に感謝を伝えながらウンウンと頷いていた。

その表情はとても嬉しそうだった。


この世界には“人”と言っても様々な種族がいる。

細長い耳を持つ霊人族、小柄な体躯の小人族、筋肉質な逞しい身体に緑色の肌の緑人族、鰭耳を持つ水人族などだ。

“神話”に出て来るような“半人ハーフ”が生まれて来ることは無く、子供は父と母どちらかと同じ種族、或いは母が口にした“先祖返り”で先祖にいた種族で生まれて来る。


元々のうちの家系は小人族だったそうだ。

そこへ霊人族、地人族の血が徐々に入る様になって今に至る。

妻の家系は聞いた限りでは地人族と霊人族の二種族家系の様だった。

俺と妻はどちらも地人族なんだが、家系的に子供は地人族以外に小人族、霊人族として生まれて来る可能性があった訳だ。

別に先祖返りしようがしまいが俺の娘であることには変わらないのだから全く気にしないのだが、母は孫娘が自分たちと同じ種族で生まれたことが嬉しいらしい。


まぁ地人族ってのはとにかく先祖の血が色濃く出易い種族だ。

俺の様に小人族の血が出て小柄だが力持ちで手先が器用となるか。

妻の様に霊人族の血が出て高身長で若々しく魔力の扱いに長けるのか。

或いは母の様に両方の血が出て小柄で若々しく力持ちで手先も魔力の扱いも器用になるのか。

その辺りは今すぐわかることじゃないから今後の子育ての楽しみの一つと言った所だろうな。


もし娘が俺と同じ様に工房の跡を継ごうと思ってくれるなら小人族の血は欠かせないだろうなと思う。

手先が器用で力持ちなのは有難いし、現場作業の時なんかは小柄な身体だとやり易いこともあるからだ。

一つ不満を述べるとしたら同年代の同族同性に比べて身長が低いくらいだろうか。



「お疲れ様、エレシア」

「クロイル・・・来てくれたんだ」



しばらくして面会室へ案内された俺は妻に労いの言葉を掛けた。

妻は嬉しそうに微笑んでくれた。

でも疲れた様子も見て取れて大変だったんだと思った。

その姿が胸に来て妻の手を握り締めた。

なんだか励ます、労わると言うより俺が不安で手を握ってしまった気がするな。

妻はそんな俺を見てニコリと笑った。


妻のエレシアは俺と母とは打って変わって高身長だ。

先祖の霊人族の血が出たからと考えられている。

その証拠とばかりに彼女は“魔力使い”だ。

霊人族と呼ばれる人たちは細長い耳に遅老長寿な種族なんだが、同時に魔力適性が高く魔人族や翼人族と共に魔力使いが多いと言われている。


母が小人族以外に霊人族の血が出たと思われているのは若々しさだけじゃなく、母もまた魔力使いであるのも理由にある。

俺は魔力使いじゃないが、そんな祖母と母を持つのだからもしかしたら娘もまた魔力使いかもしれないな。

まぁ、魔力使いであろうとなかろうと俺の娘に変わりないんだが。



「孫娘がこんなに可愛いとは思わなかったよ」



お産で疲れた妻を気遣っていると母がやってきた。

その母の腕には小さな命が抱かれていた。

今日産まれたばかりの新しい命。

妻は愛おしそうに母の腕の中にいる娘を見つめ微笑んだが、俺は恐る恐る覗き込む。

娘は目を閉じていたが、その姿を見て俺は“この子が俺と妻の子なんだ”と実感した。



「産後は心身ともに不安定になるから無理しないように。こういう時は周囲に思いっきり甘えるんだよ?」

「はい、ニリーザさん」



母が気遣うと妻は顔を綻ばせた。

母と妻は時折嫉妬してしまうくらいに仲が良い。

あまりの親密さに二人で街を歩いていると姉妹に思われることもあるくらいだ。

二人も満更ではないようで姑と嫁と言うよりも互いを姉妹と捉えている様な感じがする時もある。

つまり俺より先に母が病院に来ていたのも“妹”が心配だったんだろう。

その所為か時折俺は息子じゃなくて義息子の様な扱いを受けることがある。

あの、俺が息子でエレシアはその妻なんですが・・・。


なんてことを思っていると母が抱いている子を俺に差し出してくれた。

いきなりのことに俺は慌てながらも事前に教わったことを思い出しながら恐る恐る我が子を受け取った。

・・・妻譲りの赤い髪のその子は母から俺の腕へと移っても目を閉じたままだ。

それでも可愛いと思った。



「この子の名前は?」



我が子に見入っていると母が問いかけて来た。

妻へ視線を向けるとニッコリと笑みを浮かべた。

うん、俺の口から言うべきだな。

俺は母に“エリーゼ・クレメイス”だと伝えた。



「エリーゼ・“クレメイス”?中名ミドルネームなんてつけるのかい?」



俺の言葉に母が目を瞠った。

何事にも動じることのない母の珍しい表情を見たと思いながら疑問に答える。


俺たちは男の子なら“クレメイス”、女の子なら“エリーゼ”と決めた。

“クレメイス”は俺と俺の親友から取った名で、“エリーゼ”は妻エレシアが自身とこの場にいる母ニリーザから取った名だ。

父親がいたら俺も自身と父の名から取ったのかもしれないが、母は精だけ貰い職人仕事の傍ら独り身で俺を産み育ててくれたから俺に父はいない。

だから俺と親友の名から取った。

そう言えばあいつに名前の参考にしたって連絡してなかったな。

あとで娘が生まれた自慢がてら報告しよう。


それはともかくとして、お互いに想いを込めて考えた名だ。

だからどちらか一方だけではもったいないと言う話になった。

そして帝国では珍しい中名とすることで両方名付けようとなった訳だ。

二人目を儲けて付けなかった方の名は次の子にと言う話も出たんだが、余った名を付けるのは申し訳ない気がした。

二人目が出来た時はその時にちゃんとその子の為の名前を考えれば良い。



「まったく・・・そんなの聞いたら益々孫娘が可愛くて堪らないじゃないか」



最初は呆れ顔を見せた母だったが説明を聞き終えると微かに瞳を潤ませていた。

妻は仲良しと言うだけでなく母の苦労を想い“エリーゼ”の名を考えてくれた。

そのことが嬉しくて堪らない様だ。

ついでとばかりに俺は日頃の感謝を伝えた。

“生意気言うんじゃないよ”と左拳を叩き込まれたのはどうかと思うが、まぁ少しは親孝行出来た様で何よりだ。


こうして一八三七年の夏のある日。

俺と妻はエリーゼ・クレメイス・ルンドルクと言う名の愛娘の親となった。

市民階級とはいえルンドルク家に生まれたからには工房の存続の為にいずれは工房を継いでもらうことになるかもしれない。


だが俺は娘が選ぶ将来を尊重すると決めている。

母がなんだかんだ言って俺の意思を尊重してくれた様に。

この子も自分の意思で己の道を決めれば良い。

魔力だって俺みたいに持っていなくても、母や妻みたいに持っていても、どっちだって良いんだ。

何よりも健やかに育ってくれることが一番なのだから。


そう思いながら腕に抱いた娘を眺めていると娘が目を開けた。

俺と同じ茶色の眼と合ったその瞬間、俺は思わず息を呑んで硬直してしまった。

どんな反応をすれば良いのかわからない。

変な反応をしたら怖がらせてしまわないだろうか。

いや、生まれてすぐは見えていないと事前学習で教わったんだから心配いらない。

それでもこれが娘と俺の初対面になる訳で・・・。


なんて頭の中が大混乱に陥っていると娘が微笑を浮かべた。

その瞬間、頭の中の大混乱なんて吹き飛んでしまった。


そして俺はこう思った。

誰が何と言おうと、うちの娘が世界で一番可愛いと。

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