Quiet Distortion

ぼくしっち

第1章 些細なズレ

目が覚めたのは、午前3時17分。

 目覚ましをかけた覚えはない。にもかかわらず、藤井慎一はいつものように、枕元のデジタル時計を一秒も狂わずに確認していた。


 ――なんだ、またか。


 寝苦しさの原因ははっきりしていた。上の階から微かに響いてくる、「コツ、コツ」という足音。

 決まって夜中の二時を過ぎた頃から始まる、不規則で、乾いた音。最初は気にも留めていなかった。しかし、それがまるで彼の眠りを測ったかのようなタイミングで響いてくると気づいたあたりから、慎一の中で何かがずれていった。


 彼はベッドから静かに身を起こすと、部屋の中を見回した。蛍光灯はつけない。代わりに、足元に置いた小さなデスクライトを点ける。


 テーブルの上に置いたマグカップの持ち手の角度が、昨日とは違っている。

 ほんの数センチ。されど、確かに「違う」。


 慎一はすぐにスマホを手に取り、昨日撮っておいた部屋の写真を確認する。ズレていた。マグカップだけでなく、リモコンの位置、ティッシュ箱の向き――すべてが微妙に、ずれていた。


 彼の喉がカラカラに乾く。


 「……触られてる」


 誰かが、自分の留守中に部屋に入っている。確証はない。だが、慎一にとって“確証”とは、現実に起きている現象以上に、自分の感じる「違和感」の方が重かった。


 そして、また上から足音がする。

 今度は、まるで「彼の動きに合わせて」歩いているように。


 慎一は静かに立ち上がり、天井を見上げた。視線の先にあるのは、ただの白い天井。だが彼にはそこに、何かがじっとこちらを見下ろしているような気がしてならなかった。

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