第2話 授業中だけ眠くなる現象に名前を付けたい


「なあ福谷」


 徐に菊池が話しかけてくる。

 わざわざ教室の僕のいる席までまでやって来て話しかけてくる。


 こういう時はつい警戒してしまう。


「なんだい菊池」


「この教室には妖怪がいるのかもしれない」


 はい、始まりました。始まりましたよ。


「寝ぼけているのかい?」


「否、ガン冴えしてる。むしろ頭がギョンギョンに冴えわたって不可解さを覚えてしまうくらいだ」


 ギョンギョン、という初めて耳にする擬音を発して菊池は深刻そうに考え込む。


 いつも通り、冗談を言っているわけではなさそうだ。


「今度は天狗でも見たのかい」


「天狗——そうか、天狗か」


 ハッと気付いたように顔を上げるが、こういう時は何も気づいていないのがいつものお約束だ。菊池の取り扱いマニュアルの五十一頁くらいに書いてあった。


「しかし福谷、物知りだな。天狗は人を眠くさせる妖力を持っているのか」


「待って」僕は慌てる。「なんだって? 眠くさせる?」


 菊池は不思議そうに首を傾げる。


「オレはいつだって本気で生きてる。福谷も知ってる通りだ」


「——そうだね」


 そうとも言える。


「だから今日の関の数学の授業も本気で受けるつもり満々だったんだ」


 関というのは数学の教諭のことだ。


「菊池は赤点かかってるもんな」


「ソレもある」胸を張って言うな。「だがな、ここで不可解なことが起こる。突然、眠くなったんだ」


「気持ちよさそうに眠っていたね」


 実は僕の席から斜め前の席の菊池の様子は丸見えだ。


「実に快適な眠りであった。教室も適温で、春眠赤チンを塗っても治らない、ってやつだ」


「ウン。暁を覚えず、だね」


「一説によればそうだ」


 新説が出た。


「で。なんで菊池は眠かったの? 昨日夜更かししてエロサイト巡回でもしたの?」


「馬鹿な。オレは毎日九時には寝ている健全ッ子だぞ」


「さすがに健全が過ぎる。もう僕たち高校生だよ」


「そんなことはどうでも良い! つまり、睡眠は足りているんだ。なのに、急に襲ってくる睡魔——コレは妖怪の仕業としか考えられない」


「関先生の数学の授業が退屈だったとか?」


「赤点がかかった大事な授業だぞ」


 分かっているのか、と意外に思う。

 でも、それなら意地でも寝ないのが普通なのではないか?


「しかも」菊池は続ける「さらに輪をかけて不可解なことが起きた」


 不可解なこと?


「なんだい」


「授業が終盤climaxを迎え、チャイムが鳴ったその瞬間——」放送事故かと思わせるほどの長い間を取って、「オレは、


「アア……」


 分かる。珍しく、その感覚は共有できるぞ。

 授業中、あんなにしんどかったのに、チャイムの音が鳴ったその瞬間、先ほどもまでの眠気が嘘のように霧消するのだ。


「さらに不可解なことに、その瞬間目覚めたのはオレだけじゃなかったんだ」


 チャイムと同時に顔を上げて時計と黒板を確認したのは、たしかに一人二人ではなかった。


「ソレが妖怪の仕業だと?」


「そうだ。福谷の推理が正しければ、ソレは天狗の仕業だということになるが……」


 いつの間にか僕が推理したことにされている。ヤダ、取り消したい。


「あのね。たしかに僕は天狗という固有名詞を出した。だけど、ソレはあくまで妖怪の代名詞的な意味合いであって、菊池の考える睡魔を引き寄せる妖怪の例ではないんだ」


「違うのか!」


「すまない……」


 何故か僕が申し訳なくなった。


「だとすれば一体なんなんだ。授業中だけ眠くなる現象に、何か具体的な名前はないのか」


「実際ありそうなもんだけど、僕は知らないね」


 菊池はウウン、ウウン、と顎を捻って考えている。早く帰りたいんですけど、とは言える空気ではない。


「ネムケキタール」


 ひらめいた! とでも言うように菊池が叫ぶ。

 クラスの何名かが驚いてこちらを見ているが、すぐに何事もなかったかのように装って日常に帰っていく。ウム、正常な判断だ。被害者は少ない方がいい。


「イマイチだね。小■製薬かな」


「ジュギョヒルーネ」


「フランス語っぽいね」


「眠眠ゼミ」


「一気にクオリティが上がったけど、高校数学の授業をゼミと呼ぶのはちょっと」


「カーテンのそよぐいつもの教室で、僕たちは『数学』の夢を見るか ~feeling the breath of God, we fell into a deep sleep~」


「非常にオシャレだけど名称としては大失敗だね」


「わがままな奴だなァ」菊池はうんざり、と言った表情で言う。「ソレじゃあ福谷はどんな名前なら気が済むんだよ」


 うんざりなのは僕の方だし、僕はそもそも現象の名前なんてどうでも良いのであるが。

 でもここまで彼のセンスある解答を全否定してきたうしろめたさもある。何も答えないのは義にもとる。


 僕は次の授業が英語であることを思い出しながら言った。


「仮眠グ・センチュリー」


 菊池は片眉を上げたまま口をへの字に曲げ、珍妙な顔になった。


「センチュリーに意味は?」


 自らのダジャレやギャグの意味を解説することほどダサく、恥ずかしいことはない。

 非常に不本意だが、僕は説明することにした。


センチュリーcenturyの意味は『世紀せいき』——数学の先生の名前は、関」


 菊池は膝から崩れ落ちた。


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