6話 ホイチャオ・アフェア⑤

 アクチを見張りに残し、ダファールは重厚な防音扉を押し開けた。


 赤蝙蝠のVIPルー厶。

 完全防音が施されたこの秘密の部屋は、彼にとって第二の執務室とも言える場所だった。

 ここで数々の表に出せない”商談“をまとめ、ホイチャオの互助会をのし上がって来たのだ。

 水フィルターの価格操作、ハギファーマの不祥事隠蔽、独立系商会の排除工作、そして五年前の例の件もまた、大きなヤマだった。


 この部屋ではダファールがボスだ。

 それは招かれる側であっても同じ、主導権は常に彼の手にある。



 見慣れた室内。

 暗い照明の下、テーブル中央に置かれた鉢植えが異質な輝きを放っていた。

 星涙花。先ほどアクチが持ってきた物の倍はあろうか、翡翠色の花弁に金属光沢の縁取りを持ち、中心の渦巻く芯部はまるで小さな銀河系を閉じ込めたかのようにオレンジ色の光を湛えている。


 それとはまるで対照的に、テーブルの向こう側の人影、今回の取引相手は半分黒塗りの壁に溶け込むかのように暗がりにその身を沈めていた。


「お初にお目にかかります、ダファール様」

 壁に溶けたまま、口を開く。

 思いの外若い。それがダファールの受けた第一印象だった。


「贈り物はお気に召しましたか? それとも、ダファール様のお眼鏡には敵いませんでしたか?」

 柔らかい言い回しながら、その声から滲む冷ややかさは百戦錬磨の商人をもってして「こいつ、ただ者ではないな」と思わせるのに十分だった。

 

 その若さで、一体どれほどの死地をくぐり抜けて来たのだろうか。


 しかし、ダファールとて裏の世界を渡り歩いて来た男だ。青二才ごときに主導権取られてたまるものか。


「本題に入れ」

 ダファールはソファにどさりと腰を下ろし、わざとらしく足をテーブルに投げ出した。

「私は忙しいのでね」


 まずは威圧し、上下関係を明確にする。それがダファール流交渉術の基本だ。


「ええ、構いませんよ」

 若者の声色は崩れない。まるですべて想定の範囲内であるかのように。


「とある筋から偶然星涙花を手に入れたのですが、ダファール様は珍種植物に目がないと伺いまして」

「とある筋?」

「三聖家と関係のある、とだけ申しておきます」


 中年商人の表情が一瞬こわばったのを、エルは見逃さなかった。


「いくらだ」

「200億シリン」

「ふんっ」

 ダファールは鼻で笑い、踵でテーブルを小突く。

「100だ」

「180でどうですか?」

「130だ、それ以上はびた一文出さん」


「なるほど」

 若者の声がひときわ冷たさを帯びる。

「それが、ローチアス家次期当主の命の値段だったんですね」


「なにっ?」

 男は思わず、大上段に構えていた両足を下ろした。


「星涙花で引き受けたのでしょ?」

「貴様...!」


 この男、何故あの取引について知っている。


 五年前。一級反逆者として名指しされたローチアスの少年を捕まえろという依頼をダファールは受けた。報酬は致死量の放射線が飛び交うヨミ宙域の小惑星帯にしか咲かない幻の植物、星涙花。

「殺さなければ何をしても良い」という条件で、ダファールは手駒の海賊たちにその仕事を投げた。貴族の若造をたっぷりいたぶれるのなら、とならず者たちはそれを格安で請け負った。


 ダファールにとって割りのいい仕事だった。


「ふん、どこで聞いたか知らんが、それで私を脅かそうというのなら無駄なことだ」

 ダファール氏は短杖を床にドンと突き立て、立ち上がった。

「試しに訴え出てみれば良い。あのハルキリウスという男は一級反逆者だ、ローチアス以外の三聖家もそれを追認している。私を裁けるものは宇宙のどこにもおらんよ」


「分かってますよ」


 若者、いやエルもまた立ち上がり、部屋の暗がりからゆっくりと灯の下へと歩み出た。

「あなたを法で裁こうなんて、これっぽちも思っていませんから」


 その顔は死人のように白く、怒りとも悲しみともつかぬ鈍い光を両眼に宿していた。

 ダファールの顔から、みるみる血の気が引いていく。

「ハ、ハルキリウス・フォン・ローチアス」

「ダファール様が私めをご存じとは、光栄至極」


 恐怖に突き動かされるように、商人は闇雲に短杖を振り上げる。

 だが銀色の光が翻ったかと思うと、杖は空中で真っ二つに割れ、床へ落ちた。


「抵抗しないほうが」

 カランカラン。杖の破片が甲高い音を立てて転がった


「くそっ!」

 商人は渾身の力でテーブルを蹴りつけると、踵を返し扉へと走る。


 視野の端で、植木鉢がテーブルを滑り落ちていくのが見えた。

(くそ、もったいない...!)


 だが、今は自分の命が先だった。





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