4話 ホイチャオ・アフェア③
『エル』
埋没リンクを通してノアの声が聞こえた。
『取引が完了していますが、詳細を聞きますか?』
『お願い。いつもノアに丸投げしてごめんね』
『へ!? そ、そんなこと...』
まただ、エルは内心苦笑する。時折好意や善意に呼応して照れるような反応をする性格付けは可愛らしくもどこか時代遅れだ。と言ってもノアは「聖戦」前の時代のAIなのだから、時代錯誤なのは無理もないことだった。
『コホン、えーと..報告しますね』
ノアの声色が切り替わり、急にまた事務的になる。
『積荷の売却を完了しました。例の税関職員が言っていた通り、生命維持物資の相場が上ぶれしており、早期売却が良いと判断しました』
『了解』
『ホイチャオでは、ロシニウム鉱石を中心とする固有資源を仕入れました。生命維持物資に関しては、市場の在庫が枯渇しているため、水フィルターのみ購入しています。安定資産の構成比が12.6%まで低下し、相場変動リスクは高まっていますが、ロシニウムの需要は底堅いため、当面の許容範囲内と見ています』
『利益は?』
『52
手元の端末に目を落とす。残高が確かに更新されていた。2億シリン。たった1週間の活動資金としては明らかに過剰だ。ホイチャオの庶民なら40年は暮らせるだろう。もっとも今のエルたちの稼ぎや、これまで『フォスフォレサン』の改造に投じた金と比べれば、あってないようなものだった。
『色々とご入り用でしょうから』
まるで心を読んだかのように、ノアが付け足す。
『中央通貨との為替レートはどうだった?』
いや、これは愚問だったなとエルは思った。答えは明らかだ。
『良いわけないですよ、このような辺境では』
ノアの声に若干の呆れが滲む。ごもっともだ。
ここホイチャオから中央銀行圏までは、極超光速通信回線でも片道3日のラグがある。情報差により常に潜在的な為替リスクに晒される辺境の銀行は、その分を上乗せした高額な手数料を請求するのが一般的だ。
銀河を股にかけての商人稼業というのは、想像していたほど気軽なものではなかった。何をするにも時間がかかり、そのたびに判断力が問わる。中央区域は需要が安定しているが、競合が多く利幅が少ない。周辺はブルーオーシャンだが、常に情報遅延による損失と海賊のリスクに晒される。そして何時、世界情勢という名の見えない津波に飲まれるかわからない。素人のエルでもここまで順調に物事が運んだのは、ひとえにノアが有能だからだ。
商家が何世代も蓄積した知識を継承する祖霊AIを悠々と出し抜き、彼ら以上の成果を上げ続けている。しかも、軍用AIのはずなのに。
軍用という彼女の自称はもしかしたら嘘なのかもしれない。しかしそれ以上は考えないようにしていた。どちらにしろ、この世に存在しないはずの者、という意味では自分もノアも何も変わりはないのだ。
『例のアレは?』
『ええ、ありますよ』
『大小2つ見繕って送ってほしいんだ』
『今すぐOGIS《オージス》で手元に送ります』
『いや、赤蝙蝠の店の前に頼む。あと...16分30秒で着くから』
『了解しました』
赤蝙蝠の情報を聞いたときは、もっと薄暗い路地の奥の雑居ビルにあるようなアンダーグラウンドな飲み屋を想像していた。しかし、実際に商業エリアの複合区画でエルを出迎えたのは、まるで高級料理店のような2階建ての店舗と真紅の布地に金の行書体で描かれた眩しいほどの「赤蝙蝠」という文字だった。
「ちょっと、これ誰の荷物よ!」
すぐ後で怒鳴り声が響いた。
振り返ると、ヴェロシクルにまたがった女性が、大きな白い箱を前で腕を振り上げている。配送を終えたOGISのアンローダーが、はるか上空へと飛び去っていくのが見えた。
「すみません、それ僕のです」
エルが手のひらをかざすと、白い箱は音もなく消失し、代わりに半透明のガラスに覆われた植木鉢が2つ、その場に残された。
「失礼しました」
呆気にとられる女性に軽く会釈しつつ、エルは鉢を両腕に抱え、赤蝙蝠の門へと歩き出した。
(さて、ここからが勝負だぞ、エル)
心の中で呟いたその声は、緊張とも興奮ともつかない静かな熱を帯びていた。
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