(29)極めた魔法は極めた科学にも通ずるとか何とか
「相模主任~、部長呼んで来ましたよ~?」
「相模どうした! 対策会議中だぞ!!」
気色ばむ米澤部長を、相模は白けた表情で見上げた。
「何の会議ですか。ゴブリンがドローンの改造なんて出来る筈無いから、ペテンを見破れとかいう無駄で意味の無い会議ですか?
ドローンが高速で動いたネタは、長老が配信で明かしましたよ。四基設けていた浮遊石を十六基に拡張して、慣性を相殺する仕組みを施し、文字魔法とやらで制御もしっかり組み込んだ結果みたいですね。
浮遊石の制御をするのに、薪ストーブの調整程度の事しかしていないのはちぐはぐだと首を捻られてしまいました。浮遊石の制御をしたいなら、文字魔法が使えなくても浮遊石の形代を基板に組み込んで、形代の状態を変化させる事で浮遊石の制御はどうとでもなるのではと。
私も目から鱗です。魔法的な代物なら、魔法的に制御するのが真っ当だったのですよ。薬品や電気刺激に頼るなんて、装置班も随分と頭が固かったのでしょうね」
相模が告げてから、もう一度部長を見上げると、その表情が全く動いていない。
しかしその口だけは、何とか言葉を紡ごうとしている。
「さ、相模、何を、言ってる……? 俺は、これから、対策会議で――」
いや、仕方が無い。AIにも、未知の概念を教え込ませるのは一苦労なのだ。
しかし、それもこれも聞き齧った状況を元に、これまでの経験から答えを出そうとするから間違えるのだ。
先ずは、必要な情報を余さずインプットするのが問題解決の第一歩だと、相模は痛い程に知っていた。
「なら、先ずは必要な情報を全て確認してから、議論に入りましょう。そうで無ければ間違えます。現に部長はゴブリンは低能で電子回路も理解し得ない、という思い込みで、会議の目的から間違えている様に見えます。
という事で、マミ、二上山の配信から、長老の持つ技術に注目してのダイジェスト版を用意してくれるかな。」
『はい。指示頂ければ、直ぐに映像を再生します』
「部長。あの長老は、ダンジョンへの侵入者が零した僅かな言葉を手掛かりに、ダンジョンとその外での情報の扱いを予想し、ドローンを入手してから僅かな間でAIも説得し、同型機に偽装させての情報戦で、私達に一切気付かせず情報を抜いていった怪物ですよ?
それでも野蛮で低能なゴブリンと侮るなら、私達がそうして足踏みしている間に、あの長老なら百歩や二百歩どころか、ジェット機をかっ飛ばす勢いで先へ進んで行ってしまうでしょう。
それをお忘れなく」
相模は言いたい事を言いたいだけ伝えたが、見上げた時に部長は「此奴は何を言っているのだ」という表情で相模を見ていた。
いや、部長に対して随分と生意気な態度を取ってしまっているのは分かっている。
しかし、あの調子で本当に意味の無い会議に付き合わされる同僚が気の毒で、言わずにはいられなかった。
相模でさえ、今は頭の中を基盤に組み込まれた形代の制御方法の検討で埋め尽くされているのだ。会議に招集された同僚が、そうで無い筈は無い。
残念な事に、その方法は既に公開され、故に特許という形でのアドバンテージは得られないだろう。
しかし逆に言えば、此処から爆発的に技術は進歩し、科学と魔法のブレイクスルーは様々な分野へと波及して行くに違い無い。
此処に居るのはその最前線に居ると自負している人間ばかりだ。招集された会議も、その示された技術に対して、どうやって検証し、実験を進めるかの会議と思っているに違い無い。
そんな場所で、部長が思い込みからの妄言を繰り出しなどすれば――。
――突如、会議室から湧き上がる、部長の声では無い幾つもの怒号。
ああ、やっぱりと思いつつ、相模はマミへと指示を出す。
「マミ、顧問の三条氏と連絡が取れますか? 先ず間違い無く、彼の助けが必要です」
~※~※~※~
明峰大学の学食は、朝は七時から、そして夕方は十八時半まで開いている。
朝のメニューは激安のカツ丼か親子丼の二択しか無いが、夕方は昼のメニューと変わらず種類も豊富で、美味くて安いを売りにしていた為、結構な学生が夕食を摂りに訪れている。
茅葺兄妹も例に洩れず、学食で夕食を摂る常連だった。
恵美が明峰大学に合格してから、武志はそれまでのワンルームから2LDKの部屋に移り、実家と較べてもかなり贅沢な部屋の遣い方をしていたが、だからと言って自炊に目覚める訳でも無い。
時には仲間を誘ってカレーパーティをしたりもするが、基本自炊は大学が休みの時くらいしかしていない。
それで余裕を持って生活出来るのも、兄妹共に六階層の探索者という事実有っての事でも有るが。
そんな学食で友人と夕食を摂る恵美を見付けた武志は、軽く手を挙げて直ぐ隣に食事の載ったトレーを置く。
その友人とも既に顔馴染みで、遠慮する様な間柄では無かった。
「よお! 迷宮概論の講義が、長老の配信に乗っ取られたって?」
笑いを含んで二人に聞く。
配信自体は武志も見ていたから、あれが講義でどんな結論に至ったのか、想像するだけでも腹筋に来る。
「あー、うん。参考にしましょうって言われたけど、何の参考にもならなかったよ」
「お兄さん今晩は。結論がね、ダンジョンで普通とは違う魔物が居たら、異常な力を持ったイレギュラーの可能性が有るので、気を付けましょう、だって。私には副音声で、諦めましょうって聞こえたね」
それを聞いて、到頭武志も腹筋の震えに堪えきれずに、顔を俯かせて震える事になった。
「視界に入った途端にバンって……」
「時速二百キロで擦れ違ったらドンって……」
「「どうやって気を付ければいいんだろ……」」
無理矢理深呼吸でそれを治めて、武志は言った。
「いや、長老も言っていただろ? 込めた魔力に応じて射程が決まるのだったら、障壁か結界でかなり軽減出来る筈だぞ? 俺達がいつもやってる事だな」
「二上山ではやってなかったけどねー」
「まぁ、それは今後の反省だな」
とは言え、攻撃を警戒して防御を固めたままなら、あの二上山での成果は無かったかも知れないのも事実だった。
「……でも、なんか二上山からの指名依頼とか、期待出来なくなっちゃったね~」
「――ああ、長老に直接頼めてしまうのか。確かにそれは少し残念だなぁ」
茅葺兄妹は、未確定ながらも確度の高いその推測に、そっと溜息を漏らすのだった。
~※~※~※~
『今月も迷宮探訪の時間になりました。この時間は、私ナレーターの
『――同じく、八千代京子がお送り致します』
そんな挨拶から始まった番組、迷宮探訪。
ナレーターの二人が立っているのは、或る迷宮の内部を再現したスタジオだ。
通路の壁一面が、壁が見えない程に装飾品で飾り付けられ、迷宮の中とは思えない異国情緒を醸し出している。
一つ一つの装飾品は地味なのに、目を取られる迫力が有った。
『鰯水さん――前回の放送から、今日までの間に、色々な事が有りましたね』
『ええ、本当に色々と有り過ぎて、実は一度収録した内容を再構成しての、今日は生放送特番となってしまいました』
『そして今この時点においても、迷宮の常識は覆されていってます』
『このスタジオの様子。何処かの異国を再現したのでは無いかと思われるかも知れませんが、これは或る迷宮の中を再現しています。
迷宮の構造物として造られた物では無く、知性有る魔物が作り上げた品々。
迷宮の魔物に知性は有るのか否かは、長年の研究テーマとされてきましたが、その論争に終止符は打たれるのか。
正直に言いましょう。番組では、一度出した推定を保留とし、当初の予定から無理矢理詰めて作り出した二十分に追加の情報を詰め込んでいます。
何れも元の映像は迷宮庁配信サービスで公開されています。
また、各大学や研究所の方々においては、当番組にインタビューや解説にてご協力頂いていましたが、それぞれ許可を得て大幅に省略しています。それらが全て収録された当初予定のフルバージョンも、本番組終了後アーカイブに掲載予定です。
番組の編成を急遽変更しなくてはならない程の、常識の転換。
迷宮で今、何が起きているのか、是非その眼で確認して下さい。
全ては二上山迷宮の調査から始まりました。では、映像をどうぞ――』
ナレーターの鰯水の声に促されて、これは収録されていた映像が流れ始める。
二上山迷宮の状況。
調査に選ばれたメンバー。
何故配信するに至ったか。
そして迷宮へのエントリーの様子。
そういった場面は、ナレーターが映像に声を乗せている後ろで、ダイジェスト的に流されていた。
迷宮に入ったならば、茅葺武志の『匂いがしねぇな』や『餓鬼窟……では無いかも知れん』といった台詞や、第一遭遇ゴブリンのゴッハーンが『ヨォー! ホイナムッチョコッカラベムメン!』と謎の言語を叫んでいるシーンが切り取られ、そしてゴッハーンを怪我させての顚末と、招集された大会議の様子が示される。
冒頭で触れられていた通りに、大会議の様子はかなり詰めた様子で、餓鬼では無く小鬼と呼ぼうとの結論で、再びの調査シーンへ。
そしてゴロンゴとの邂逅から、ゴブリン――尚、番組ではまだ小鬼としか述べていない――の集落へ。
ゴブリンの集落に入ってから、ゴッハーンとの再会と和解までは、ほぼノーカットで流された。
そしてそこからが番組の腕の見せ所。
ゴブリンの住まいとその特徴。何故か壁に装飾品が埋め込まれている二上山迷宮の不思議。ゴブリンの言語、ゴブリンの秩序とそれを齎したと思える不思議な石板画。ゴブリン集落における餓鬼の扱い。謎の木製品と野菜の存在。
それらが旨く映像に纏められ、専門家の解説を付けて、納得しかない編集がされていた。
時折不自然に短い解説は、端折られてしまった部分なのだろう。
或いはそれも、元の収録版を見たいと思わせる出来となっていた。
そして一行は謎の野菜の出処を求めて、再びゴッハーンに導かれてボス部屋へと向かい、ゴーベンと知り合い、そしてボス部屋の扉を開けた時、燦々と降り注ぐ陽光の下、朗らかに農作業に勤しむゴブリン達を見る。
『これ程平和に生きている小鬼の存在を、想像した事は有ったでしょうか。
しかし、忘れてはいけません。其処は迷宮で、この部屋はボス部屋なのです』
黒い靄に包まれて姿を消すゴーベン。中鬼と化して現れたボスには、ゴーベンの面影が。闘争心を剥き出しにして眼から赤光を放つゴーベンとの勝負が始まる!
番組のスタッフは流石と言うしかない。迷宮庁も大いに協力している番組故か、全天球カメラの特性を活かして、配信でも使われていなかったアングルからの映像を多用し、ゴーベンの表情、茅葺武志の振る舞い、そして観戦するゴブリン達のわちゃわちゃした感じを、見事に映像で再現していた。
詰めに詰めたといっても、ポージング勝負の様なシーンでは削らない。その卓逸したセンスで、ゴーベンと茅葺武志の勝負を映し切ったのである。
『探索者と戦わなければならない迷宮のボスに変えられても、暴力という手段が一切浮かばない、極めて善性の生き物――餓鬼に変異する前の小鬼は、そんな生き物でした。
しかし疑問は残ります。
石板画を残し小鬼達を教育したのは誰なのか、そしてこの農作地を小鬼達に与えたのは誰なのか。
その秘密は、このボス部屋での映像に残されていました。
今皆さんにご覧頂いた映像は、実は実際の映像に或る加工を施していました。リアルタイムで見ていた方が全く認識出来無かったその姿を、映像から消しています。
では、実際の映像を巻き戻してみましょう』
映像は巻き戻され、その途中で青いゴブリンの姿が捉えられたなら、そこからは青ゴブリンを中心に据えてボス部屋に青ゴブリンが搭乗するシーンまで巻き戻される。
そして再びそこから映像は再生された。
『この衣服を着熟した青いゴブリンは、今では長老と呼ばれています。当時、映像を確認した、近畿迷宮局の楢橋様にお話を伺っています』
『ええ、この時の事は今でも不思議としか言い様が有りません。会議室に居た全員が、長老の姿を認識していませんでした。AIですらそうだったのです。しかし、問い合わせはバンバン来ました。時間遅れで配信を見ていた人の他に、遠方で配信が届くのにラグが生じる場所からもです。これはおかしい。そこでAIが出した答えが、オリジナルの映像を確認する事でしたが、そこにばっちりと映っていたのですよ。長老の姿が。
それからはAIに数秒前の画像も確認するよう指示を出したり、他にも長老が映っている映像が無いかを調べたり。
自分の認識というのがこれ程信じられなくなる経験は、初めてでしたね』
『そしてこれ以降、長老との接触が調査の優先事項に上げられました。
長老との再会は、この二日後の夕方です』
映像には、長老が小鬼達に対して店を開いている様子が映っている。
そして、テロップには、声:京都大学杉原徳三教授の文字。
『我々は当初、長老は小鬼達にゲームか、或いは取り引きの方法を教えているのだと考えた。取り引きのテーブルに、交互に種類の同じ物品を置いていき、先に置かれた物より価値の高い品を示せなければ、相手の総取り、もしくは特別な逸品を渡さなければならない。
そんなルールと現場の調査員が看破し、見事長老との勝負にも勝ち、価値有る品を持ち帰った時は興奮で歓声を上げもした。
しかし、今ではこの時から、全てが長老の掌の上だったのではと思っている』
画面は一旦スタジオに戻り、ナレーター達の前には数多くの物品が恐らく映像で再現されていた。
『ここで一度、二上山迷宮から得られた品々について確認してみましょう。
先ずは装飾品の数々です。
二上山迷宮の壁に埋め込まれた装飾品は、長老が小鬼達の為に壁に埋め込んだ物と考えられていますが、恐らくはその作成時期により嗜好が変遷しています。
通常の餓鬼窟で見られる地蟲や植物を象った物の他に、餓鬼窟では見られない植物を配した装飾品も有ります。技巧から見ても、恐らく前者が初期、後者がその後の物でしょうか。
次に植物です。
二上山迷宮の農作地で育てられていた植物は、元々餓鬼窟で見掛けられた植物だけでは無く、他の迷宮で見られる植物も多く含んでいました。
小鬼達が食用にしているのは、こちらのポル、プル、コム、モッチーンと、他にも色々と有りますが、元々の餓鬼窟で見掛けられるのはこの小さな赤い実のポルだけです。豆の様なプルは人鳥渓谷、馬鈴薯の様なコムは大沼で見られる植物です。モッチーンは怪山の物ですね。このモッチーンには面白い性質が有ります。試してみましょう』
ナレーターの八千代京子が、皿に載せたモッチーンに水を掛けて直ぐに離れると、二秒後にモッチーンはボンッと音を立てて膨らんだ。
『うひゃぅ――……凄いですね。ポップコーンの様に膨らみましたよ?』
『他にもこちら、プッピーと小鬼達が呼んでいる植物の種は、糞尿の肥料化を促進する効果が有ったり、またこのウヒョと呼ばれている植物は大沼で採れる回復軟膏の原料の一つです。
迷宮植物は分析しようにも擂り潰すと幻と消えてしまう為、研究が停滞していた分野ですが、二十年陽光で育てられた迷宮植物の種を手に入れた事で、今、迷宮植物の研究は大きな盛り上がりを見せています』
『そして最後に、宝箱、そして長老から入手した品々です。
宝箱から入手した品で重要なのはこの二つ。宝珠の形をしていますが、恐らく宝具だろうと言われていました。
長老から入手したのはこのパズルのピース。ですが、映像の時点でまだ二ピース程足りませんでした。
謎を残しながらも、事態は次の段階へと進みます。――それでは映像をどうぞ』
映像は、取り引きの場に来ていたゴッハーンとの挨拶と、怒りに燃える長老、そして衝突からの撤退、ダンジョンの外に出て来た長老、そして交渉へと進んで行く。
映像と音声は、緊迫した取り引きの現場に、緩んだ調査員達の会話をミックスして、そのギャップが何とも言えない仕上がりだ。
そして、長老はドローンを手に入れて迷宮へと帰って行く。
『この後、長老は調査員に植物の種を渡す為に一度現れた後は、もう再び調査員の前に姿を現す事は有りませんでした。
他にも様々な調査や、そして宝具の確認も行われましたが、それらは迷宮庁公式のアーカイブをご覧下さい。見所サーチを使えば、見たいシーンが簡単に検索出来ます。
当番組でも、当初はそれらの紹介をし、迷宮の魔物達の真実は何かと疑問を呈して番組を締めようとしていましたが、思い切って省略し、今現在進行中の最新情報をお伝えする事にしました。
――映像を、どうぞ』
映像は、先ずはチャット欄から始まった。
謎のゴブリン☆チャンネル。チャット欄は二十二日前から開かれていたが、配信が始まったのは僅かに一昨日だ。
初めはしっかりと間を取って、しかし作業に入るとコミカルな
次の階層へ通じていない階段や、ゴーベンの大ジャンプは通常の早さで。時折ナレーションも入るが、詰め込みを優先したかの様な急ぎっぷりだった。
そして第二階層。今度は逆に早回しはしてませんのテロップが流れる中を、早回しにしか見えない速さで長老が攻略していく。
更に第三階層。マップ兵器的に蹂躙される餓鬼や中鬼達。
極め付けの第四階層。目で追う事も出来無い高速機動。その約二分間をナレーションは長老が出した結論を紹介するのに使っていた。
そしてその映像が終わっても、番組は配信画面を映していた。その巨大な画面の前を、ナレーターの二人が立って解説していた。
『先程映していたのは昨日の配信映像。そして今映されているのは、今この時の配信映像です』
映像の中では、空の光球に照らし出されて、黄昏色では無く緑色に輝く草原や木々、台車に乗って彷徨うゴブリン人形、そして草原を跳ねる数十匹の兎と、未だ残る兎を放とうとしている長老の姿が映っていた。
ふと、長老が顔を上げる。手に持っていた兎を足下に置くと、兎は一目散に駆けていく。
長老が上げた目が見ているのはトブリンだ。そのトブリンに近付いて行った長老は、突然顔を横に傾けて、歯を剥き出しに口を開けて、宙に有る何かを囓る様にガシガシと歯軋りした。
“喰われた!!”
“囓ったwww”
“草”
“草”
“生放送乙www”
“www”
爆速でチャットが流れていく。
番組の映像では、丁度ナレーター達が囓られる位置に居た。
アドリブを利かしたナレーターの鰯水聡が、AI合成の巨大な串揚げを差し出すと、長老はモグモグと食べた振りをしてニヤリと笑った。
チャット欄に“合格だ。”との、何目線か分からない長老の書き込むが踊った。
ボヨボヨという音は鳴らなかった。
番組開始前と開始されてからのチャット欄の反応は、迷宮探訪が、
やっちまったな、と。
放送事故乙、と。
まだ何も起こっていないのに、既にそれが既定路線と、数多くのお悔やみが送られていた。
そんな訓練された視聴者だからこそ、長老の噛み付きが、只の悪巫山戯では無いと感付いていた。
そして、それに迷宮探訪のナレーター達は合格してしまったのだと。
“お労しや……”
思わず零れた書き込みこそは、最後に残った良心だったに違い無い。
突然の長老の暴挙に吃驚しながらも、気を取り直した八千代京子は、当初の予定通りに長老へのインタビューを進める。
『長老さん、インタビューを受けて頂いて有り難う御座います。また、番組も視聴頂き、とても嬉しく思います。
ところで、番組でも紹介しましたが、小鬼――いえ、ゴブリン達の集落を飾る装飾品の数々。あれは長老さんが迷宮の壁に埋め込んでいた物と考えて良いのでしょうか?』
ナレーターの質問は、その場でチャット欄にも入力される。
長老はその質問に少し考えると、チャット欄への書き込みだけでは無く、魔法の文字も使って回答を示した。
“その認識で間違い無い。集落の周りが一番古く、その次が本道だな。端になる程新しい品を埋めた。”
何か思うところが有ったのか、ボヨボヨ音は無い。そしてこの魔法の文字は、視聴者にまでその意味を伝えていた。
ナレーター達は魔法の文字に目を瞠るも、動揺を露わにせずにインタビューを続けて行く。
『その時は、何を考えて装飾品を埋めていたのでしょう。やはり、ゴブリン達の喜ぶ姿ですよね?』
“……ダンジョンの中で何かをすれば、恐らくその何かに関する熟練度が上がる。装飾品を創れば、装飾品に関わる熟練度が上がる。そうした暇潰しの産物が娯楽になるのならと、そう考えなかったと言えばそれは確かに嘘になる。
しかし、洞窟の三割を終えた時に、もう十分だろうと思った。だが、残りの七割が残っているのがどうにも気持ち悪く、やめられなかった。まだ熟練度も上がるとそれを言い訳にして続けた。
五割を終えた頃に、ふと正気に戻って、何をやっているのだろうかと思った。しかし中途半端なその状態でやめてしまえば、それを見る度にお前は諦めたのだと突き付けられる様で、やはりやめられなかった。
七割を終える頃にはもう苦行だ。埋めに行く度に、後どれだけ残っているのかと、そればかり考えていた。
やり終えた時には、やっと終わったとの想いしか無い。やっと次に進めるというな。
見るだけなら構わないが、もう手に取りたいとは欠片も思わんよ。”
チャット欄には共感の書き込みが溢れる。
“分かる! 何か分かる!” “俺もそういうのが無理で探索者してるからな。” “書類を作るのと変わらん時間をチェックに使うって、AIにさせろよって……”
書き込みは溢れている。
『え、えと、でも、集落の様子を見て、ぐっと来るものは有るのですよね?』
“それは確かに、中々のセンスをしているなとは思うな。
しかし、彼奴らは何故俺の創った装飾品を壁に飾るんだ? 首や手に掛けられる様にした物も多いというのに、誰一人して身に着けているのを見た事が無いのだが?”
長老をして捻くれていると取る者も居るかも知れないが、よくよく考えると長老が答えている内容は長老自身の素直な気持ちで、自分の身になって考えてみても納得しか無い言葉だ。
そんな答えを返されて、或る意味答えを誘導する問い掛けをしてしまっていた八千代京子は、取り繕う様に――長老の凄さを見せて締めようとしてしまった。
『確かに、それは、そうですね。首飾りや腕輪みたいなのも、一杯壁に飾られてました』
『犬や猫が、プレゼントを、想定した様には使ってくれないのと似てますねぇ』
『きっとゴブリン達には、まだまだ私達の知らない文化が有るのでしょう。
では、最後に長老さんには、是非とも魔法の凄さというのを見せて貰って、番組を締めたいと思うのですが、如何でしょうか?』
その途端に、チャット欄が荒れに荒れた。嵐の到来を予想した叫びで埋め尽くされた。
“魔法の、凄さ? ――真髄? 深淵?”
『え、ええ。探索者も、そうで無い人も、魔法には憧れが有りますから』
少し目を見開き、思いも寄らなかった事を聞いた様な表情の長老。
それが本心か態とかは、チャットでも意見が分かれた。
“成る程、確かに。俺ゴブリンにとっては馴染み深く、また外には陰陽術が有ると知って、外も同じと思っていたが、そうでは無いという事か。
言われてみれば、外ではこのトブリンやその端末の様な複雑な回路を作れるにも拘わらず、陰陽術は随分と単純な構成だとは思っていた。魔法は外部にライブラリが有る様な物だが、陰陽術でもほぼ似た様な事は出来ると思うのだがな。
丁度良い。四階層のボス戦がまだだ。
ダンジョンの中だけでのロマンだが、見せてやろう!”
『え、えっと、もう番組の残り時間も少ないので、手短に――』
“心配要らん。直ぐに終わる。”
長老はきりっと顔を引き締めると、ボスを喚び出す石碑に近付き、蹴り付けた。
フィールド型でのボスは、石碑を壊す事で現れるのだ。
長老が居た辺りに伏せられていた二十枚近い皿がバリンと割れる。前回の配信を見ていれば、空席と長老が呼ぶ魔力の流れを捕獲していた物と予想は付いたかも知れない。
そして、辺りに黒い靄が現れる。
そこで長老が大きく跳んだ! 四メートル程の高さで、滑り込んで来たトブリンに搭乗する。つまり、今のメインカメラは端末のカメラだ。
そのタイミングで、靄の中から次々と、中鬼や餓鬼が現れる。
既に番組では、スタッフロールが流れている。
手を掲げる長老。その手の回りに黒い小石が踊っている。
跳ねる角兎、ゴブリン人形トロッコ、長老のダイナミックな股間映像、宙を巡る光球がカットインされ、光り輝く魔法文字が示される。チャット欄には“『何か凄い召喚の言葉』”の文字。
トブリンに乗って飛ぶ長老の周りに黒い渦が現れ、そこから巨大な鋼鉄の手足と胴体が吐き出され、空中で合体する。その頭の位置にトブリンと長老も降り立ち、トブリンはレンズが正面に来る様直立し、ゴブリンの面影を残すその巨大ロボット? ゴーレム? ――と、一体化する。
再び画面に流れる魔法文字。そしてチャットに残される“『何か格好いい名前』”の文字。
ポーズを決めるゴブリンゴーレム。
幾ら中鬼の数が八体に増えようと、体高五メートルのゴブリンゴーレムの敵では無かった。
八体の中鬼はあっと言う間に空中へと打ち上げられ、それをジャンプで追い越したゴブリンゴーレムが八体纏めて蹴りで地上へ叩き付ける。
未だ空中に在るままのゴブリンゴーレムが、くいっと腰を捻ると、そこから燃え盛る炎球を掴み取ったゴブリンゴーレムがその腕を掲げる。
再び画面を流れる魔法文字。そしてチャット欄に残される“『何か格好いい必殺技名』”の文字。
炎球はボス集団の中心へと撃ち出され、着弾。
その背後で大爆発。
そして、丁度スタッフロールが回り切った番組は終了する。
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