彼女はここにいない
@touma_tom
第1話 招待状
封筒は、思ったよりも軽かった。
差出人は「中学校同窓会実行委員会」。裏面には、当時の担任・岩本の名前が小さく印字されている。封を開けると、印刷された案内状と、手書きのメッセージが添えられていた。
「……同窓会、ねえ」
宮田まなは、畳の上に腰を下ろしながらぽつりとつぶやいた。
熊本の、山あいの静かな町。曇りガラスの窓の向こうでは、カラスが声を上げて飛び去っていった。昼前だというのに、部屋の中は薄暗く、肌にまとわりつく湿気がいやに重い。
中学卒業以来、誰ともまともに連絡を取っていない。スマホはもっぱらニュースと音楽を聴くための道具で、連絡先一覧にはもう誰の名前も残っていない。
それでも、案内状を見つめる指先には、どこか微かな震えがあった。
まなは、幼い頃から引っ込み思案だった。
人前で話すのが苦手で、目立つのも嫌い。けれど、そんな自分を、母はよく褒めてくれた。「まなはやさしい子だね」と、頭を撫でてくれたあの手のぬくもりは、今でも時々夢に出てくる。
――でも、母はいない。
まなが8歳の頃、ガンでこの世を去った。
母の死後、残されたのは父・のぼるとまなだけだった。
不器用で、料理も洗濯も苦手だった父は、それでも毎朝、まなのために弁当を作ってくれた。卵焼きはいつも少し焦げていたし、梅干しの位置がぐちゃぐちゃな日もあった。でも、嬉しかった。
「母親がいない分、まなに寂しい思いはさせたくない」
父はそう言って、仕事で疲れて帰ってきても、必ず「今日どうだった?」と聞いてくれた。
あの頃のまなにとって、父は世界で一番信頼できる人だった。
だけど――中学に入ってから、何かが少しずつ狂い始めた。
二年生の夏。部活で仲の良かった友達と気まずくなったのがきっかけだった。空気が変わった。教室で目が合っても無視されたり、陰口が聞こえたり。自分だけ、見えない“壁”の外にいる気がして。
そして、まなは教室に行けなくなった。
「いじめなんかに負けるな」
そう言ってくれた父の手を振り払い、そのまま部屋に閉じこもった。
でも――それでも、父だけは、ずっと味方でいてくれた。
引きこもりになっても、誰にも会えなくなっても、父はまなに「大丈夫だよ」と言ってくれた。仕事から帰ると、そっとドアの前にごはんを置いてくれた。誕生日には、小さなケーキを買ってきてくれた。
……その優しさに、何度も救われた。救われたと思っていた。
同窓会の案内状を、まなはそっと膝の上に置いた。
「……行ってみようかな」
過去の自分に、さよならを言うために。
そして――あの頃の「まな」を、少しでも肯定するために。
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