第12話 詰問と牽制
「知らない奴から食べ物をもらうなと伝えたはずだが?」
ルナール商店を出ると、リアンは無言で宿に直行した。困ったなと思ったのはリアンが怒っていることよりも、その間ずっと手を握られていたことだった。逃亡阻止のためとはいえ、擦れ違う人たちの視線が突き刺さる。
そして部屋に入るなり冷ややかな声でそう告げられたのだ。
普段は薄い琥珀色の瞳は怒りの所為か元の黄金色に近い。美し過ぎるモノが怖いのは人の手に負えないからなのだろう。そう思わせるほど凄みのある美しい顔は不快さに僅かに歪んでいるものの、傲慢さが滲む眼差しと同様にその魅力を損なうことはない。
「……お茶しか飲んでない」
そんなことを思いながら僅かな抵抗を試みると、リアンは嘲けるような笑みを浮かべる。
「どうだかな。昨日のことだって俺に黙っておくつもりだったんだろう。近頃は無駄な足掻きを止めたかと思っていたが、やはり目を離すべきではなかったな」
今回のことはノエルにとっても想定外のことで、そこにノエルの意思はない。だが過去に逃げようと試みていた努力を無駄の一言で片づけられて、ノエルはぐっと唇を噛んだ。
「少し自由にさせ過ぎたか?このままずっと部屋に閉じ込めておいたほうがいいのかもしれないな」
「え……いいの?」
「は……?」
思いがけない言葉に確認すると、言い出したはずのリアンは唖然とした表情を浮かべている。外に出られないのなら、部屋でごろごろして過ごすしかないと思っていたが、そんな甘い話ではなかったのだろうか。
「……ああ、そうか。お前のことだから仕事サボれてラッキーぐらいにしか思っていないんだろうな。まったくお前は………馬鹿馬鹿しい」
貶されたような気がしなくもないが、ノエルが予想外の反応を見せたことで怒りが削がれたようだ。
深い溜息を吐いたリアンに、ノエルは今がチャンスだと声を上げた。
「リアン、ご飯はどうしたらいい?」
部屋から出るなと言われればそうするが、食事が摂れないのは困る。ユーグのお喋りに付き合っている間にたくさんのお菓子を用意してくれたが、リアンの顔がよぎり手を付けなかったのだ。
(こんなことなら後で叱られても食べておけば良かった……)
そんなノエルの後悔に同意するように小さくお腹が鳴ると、リアンは更に深い溜息を吐き、天を仰いだのだった。
「絶対に離れるなよ」
幼児ではないし、指を絡めるようにして繋がれているのだからはぐれようがない。何をそんなに警戒しているのだろう。
(昨日からやっぱり変だよね)
このまま逃げ出したとしても対価が支払えなければ契約不履行となり、困るのはノエルのほうなのだ。だが契約不履行になった時の取り決めについて、きちんとリアンと話をしていなかったことに今更ながらに気づいた。
(……もしかして、互いが対価を支払えない状態になれば契約破棄に持っていける?)
これまで対価の支払いを続けなければ魂を奪われてしまうと思い込んでいた。たとえば丸一日リアンから離れることが可能ならば、リアンも食事を提供できずノエルもリアンに話をすることができない。
取り決めをしていないのだから、互いに不履行であるのならば一方的なペナルティはなく継続か解除かの話し合いとなるだろう。
(でもそれは商売の話。悪魔との契約の場合にも適用されるか分からない。それに私が知らないだけで、不履行の場合の取り決めも実は存在している可能性だって――)
「着いたぞ」
リアンの声にノエルは考え事を中断したが、顔を上げると思いがけず険しい眼差しにどきりとした。
「下らない企みで自分の身を危うくするなよ」
静かな口調で忠告をするリアンに揶揄いの色はなく、真剣な表情に思わずノエルは頷いていた。まるで心の中を読まれたかのようで少し怖い。
危ういバランスで成り立っていた関係が、大きく揺らいだように感じたのだ。
そんな状態で響いた声はありふれた日常で、ノエルは厄介だと思うよりも先に安堵してしまった。
「まあ、何て奇遇なのかしら。良かったら一緒にお食事なさいませんか?」
昨日の二人組の女性のうちの一人が、目を輝かせながら駆け寄ってくる。その視線が一瞬だけリアンと繋がれた手に注がれたのを見て、解こうとするがリアンは引き留めるように力を込めた。
「そちらのお嬢さんが道に迷っていたところ声を掛けてあげたのですが、誤解されてしまったようで。お詫びも兼ねてお話できればと嬉しいです」
そっと袖口を掴み上目遣いでリアンを見つめるとともに、豊かな胸元をアピールするのも忘れない。慣れているなと思いつつ、リアンの関心を多少惹きつけてくれればいいなと願う。
「ああ、余計な虫がついた原因はこれか」
いつもの社交的な笑みではなく、見るに堪えないというように顔を顰めるリアンに、女性の表情が引きつる。
「邪魔だ。二度とこいつに近寄るな――こいつは俺の大事なパートナーだからな」
そう言ってリアンは繋いだ手の甲に唇を落としたまま、艶麗さを含んだ眼差しを向ける。
その煽情的な表情に顔を赤らめる女性を一瞥し、周囲が動きを止める中リアンは悠然と店の奥へと進んでいく。
好奇と嫉妬の視線を痛いほどに感じながらも、ノエルは早くこの街から出て行きたいという思いを新たにしたのだった。
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