第5話 旅立ちと野宿

明け方には雨が止んだようで、部屋に差し込む朝日が柔らかく室内に差している。昨日のうちにほとんど片付けは済んでいたので、後は身の回りの物だけだ。

数着の衣類、雨具、記録用のノート、そして携帯食をリュックに詰めれば終わりである。


長くて1年、短ければ1ヶ月も経たないうちに移動するため、持ち物は自然と少なくなった。

同じ土地に住み続けられないのは、リアンが歳を取らないからではなく、リアンに焦がれる女性たちとのトラブルのせいだった。


尤もその被害に遭うのはノエルばかりで、激情に駆られた女性たちから怒りの矛先を向けられるのだ。

何とも理不尽な話である。


部屋を片付けて1階に下りると、昨晩のうちに終わらせたのか、店内にあった薬や道具類は既になくなっていた。


「食事を済ませたら出掛けるぞ」


食器や家具などの日用品は店舗兼住宅を貸してくれた未亡人から借り受けたものだ。甘いパンケーキと具沢山のスープを平らげると、荷物を持って家を出る。


「まあ、随分と急なお話ね」


驚きと好奇心に満ちた瞳で、ドロテはリアンとノエルを交互に見つめた。


「この子のこともあるので、少し前から旅に出る頃合いだと思っていたのですが、居心地が良くてつい長居をしてしまいました」


素材収集のため各国を旅する薬師のリアンは、その道中で行き倒れていたノエルを保護し、はぐれた両親を探すために一緒に旅をしているという設定だ。

最初に聞いた時は驚いたが、正直に話すわけにもいかない。今となっては他人と関わる気もないので、どうでもいいことだった。


「そうなのね。リアンさんのような優秀な薬師がいなくなるのは残念だわ。寂しがる女性も多いのではないかしら」


おどけたようにそう言いながらも、最初の頃はドロテもよくリアンに秋波を送っていた。住居を確保するため誑かしたのはリアンが先だが、笑顔で誘いを躱されているうちに無駄だと悟り身を引いた賢明な女性だ。


「そんな風に言ってもらえるなんて光栄ですね。ドロテさんには大変お世話になりました。お礼といっては何ですが、よければこちらを貰ってください」


嵩張る薬や素材を体よく押し付けて、暇を告げた。


あまり日が高くなってしまうと、常連客と鉢合わせてしまうかもしれない。そうなれば慰留を求める女性たちにどれだけ時間を割かれることか。

さらにその悪意がノエルに向けられることを考えれば、うんざりするほど気が重くなる。


リアンが側にいる限り、低級悪魔は近づいてこない。

だからといって顔が見えなくなるほど黒い靄に包まれた女性や、好機を待つかのように暗がりからこちらを窺う異形の獣などを目にすることの不快感はなくならないのだ。


幸いなことに誰かに声を掛けられることもなく、ノエルは密かに胸を撫で下ろした。


「今日1日で山を越えるのは無理だな。お前が望むなら運んでやってもいいがどうする?」

「歩くからいい」


リアンの力に頼れば対価が必要になる。断るのが分かっているだろうに、飽きずに誘いをかけてくるのは悪魔の習性なのだろうか。


「……何か失礼なこと考えてるだろう。まあいい、今夜は野宿だからな」


山の中は寒暖差が激しいし、固い地面の上で寝るのは身体が痛くなるが、我慢できないほどではない。人と会わない気楽さを考えれば、プラスマイナス0といったところだろう。


(でもずっとリアンと行動するので若干マイナスかな……)


そんなことを考えながら、ノエルは淡々と足を動かした。


まだ日は高いが、雨風を凌ぐのにちょうど良い洞穴を見つけたので今晩はそこで過ごすことになった。

ノエルが小川から水を汲み、薪用の細い枯れ枝などを集めている間に、リアンは仕留めた鶉を手際よくさばき、下拵えをしている。


手が掛かる火起こしなどはリアンが魔法のようなもので火を付けるので、その点は楽だ。

早めの夕食を摂り片付けを終える頃には、陽がだいぶ傾き薄暗くなっていた。暗闇の中ですることもないし歩き疲れたので早く寝たいが、まだ対価を支払っていない。


「マシュマロってこの世界にあるの?」

「ないな。何だ、それは」


焚き火といえばマシュマロが定番だが、この世界では見たことがなかった。予想通りの返答にノエルはマシュマロの説明を始めた。


「泡立てた卵白と砂糖とゼラチンで出来たふわしゅわ食感のお菓子だよ。焚き火の時に竹串に刺したマシュマロを炙るととろっとして美味しい。それとチョコレートと一緒にクッキーに挟んでも美味しいよ」


そのままよりも断然焼きマシュマロ派だったので、説明に少し力が入ってしまった。


「最近食べ物の話が多いな。俺の食事に不満でもあるのか?」


昨晩も饅頭の説明をしたせいか、食べ物関係が多いと言われれば否定できないが偶々だ。じとりとした目を向けてくるあたり、料理人としてのプライドを刺激してしまったらしい。


「ないよ。リアンの食事はいつも美味しい。……栄養面も申し分ないし、お母さんみたいだと思ってる」


美味しいだけでは伝わらないかと付け足せば、顔を顰めたリアンに両頬をつままれた。せっかく褒めてあげたのに酷い仕打ちだ。


「はあ、もういい。少し出掛けてくるから先に寝てろ」


じんじんと痛む頬を両手で押さえていると、呆れたような口調で告げてリアンは暗闇へと消えた。

文句を言えなかったのは残念だが、取り敢えず今日の対価の支払いは完了したようだ。


タオルを毛布代わりにして、均したリュックの上に頭を載せる。焚き火が燃え尽きるまで、まだしばらく時間が掛かるだろう。

快適なうちに少しでも睡眠を取っておこうとノエルは目を閉じた。

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