第四章 不死身 (三)
だがそれは慈悲ではなかった。
暗闇だった視界に、ぼんやりと光が差し込む。
失われていた意識が、泥の中から引き上げられるように蘇る。
だが、痛みはそこにあった。いや、ますます鮮明になっていた。
死ぬだけを拒まれた、生き地獄。
「殺す前に一つ忘れていた」
榊原の声が、低く、冷ややかに落ちてくる。
底知れぬ無関心と、
一桜は、辛うじて動く首で辺りを見回す。
だが――
「……あの小娘は、泣きながら助けを求めて逃げて行ったよ」
榊原はあくまで淡々と、まるでどうでもいいことのように言った。
その言葉に、一桜の胸が
痛みよりも、胸の奥が裂けるようだった。
「
榊原の口元に、
一桜は口を開こうとするが、ただ空気が漏れるだけ。声が出ない。
「 玖波の呪い、あれは我がかけた」
榊原は軽々しく言う。
その一言に、一桜の瞳が大きく見開かれた。
顔が怒りと衝撃に歪む。
叫ぼうとしても、声にならない。喉が焼け、言葉が出ない。
「ただの気まぐれさ。だが、効果はてきめんだったな」
榊原は、心底楽しそうに笑った。
「 玖波はこれまで何人も貴様のように失ってきた。今回も、奇跡なんて起こらなかったわけだ」
呼吸のたびに、肺の奥が焼けるような痛みが響く。
意識が薄れていく中、榊原の言葉だけがやけに鮮明に響く。
「貴様はこれから死ぬ。 玖波にかけられた親しくしようと近づいた者が死ぬ呪い、その運命力がお前を殺す」
榊原が一歩、ゆっくりと踏み出す。その一歩が、死の宣告のように響いた。
「今回は、その呪いの手を下すのが――どうやら我のようだ。クク……面白いだろう?運命ってやつは、実に
そして榊原は、静かに続けた。
「死という運命に捕らえられた貴様に、もう一つ教えてやろう」
「呪いを解く方法は……存在する」
一桜の脳裏に、月明かりの下で微笑む玖波の姿がよぎる。
その刹那、残された力を振り絞って霊気を練り、体内に風を循環させる。
苦痛で血を吐きながら、それでも喉を開き――
「な……なんでも、します……だから……玖波さんの、呪いを……解いて……ください……」
泥と血にまみれた顔を、地面に叩きつけるようにして頭を下げる。
懇願だった。
魂を削るような、渾身の一言だった。
そして――その時になってようやく、一桜は気づいた。
自分がどれほど玖波のことを想っていたのか。
守りたいと願うだけじゃない。
好きだった。
心の底から、彼女が愛おしくて、何よりも大切だった。
榊原は、ゴミを見るような目で一桜を見下ろしていた。
「貴様の運命は変わらない」
「どうせ死ぬのなら、無駄に足掻かず逝くがいい」
それでも、一桜は、泥の中でなお
「……どうせ、死ぬなら……教えて……ください……」
榊原はひとつ、鼻で笑うと告げた。
「我がかけられる呪いは、一度に三つまで」
「……な、なら……!」
「……ああ。我が他の者に呪いをかければ、玖波の呪いは自然と消える」
「俺に……俺にかけてください……!」
榊原の目が、ほんの少しだけ見開かれた。
それは驚きではない。
呆れと、
「馬鹿か、貴様は。すでに死ぬことが決まった者に、何の価値もあるものか」
榊原の声が、絶対的な死の宣告のように響いた。
「貴様は、自身の無力を呪い、ただ死んでいけ」
その瞬間、風が止まった。
空気すら、一桜の味方をやめたかのように。
榊原の圧倒的な力の前に、一桜は敗れた。
地に伏し、血にまみれ、もう立ち上がることすらできない――その姿が
「一桜さん……!」
助けを呼ばねばと、千鶴は震える足を無理やり前に踏み出す。
岩が転がる山道、湿った落ち葉に何度も足を取られながら、それでも止まらない。
涙で視界が滲む。喉は張り付くように渇いていた。息ができない。
肺が焼けつくように痛み、心臓はもう限界を超えている。
だが、それでも――千鶴は走り続けた。
「お願い……お願いだから、間に合って……!」
がむしゃらに走り続けた先、開けた場所に一台の馬車が見えてきた。
榊原のものだ。
「馬車を出してぇぇぇえ!!」
叫び声が
その声に、御者が驚いて飛び上がったように振り返る。
「え、あっ、榊原殿は……?」
「いいから出せってんだよぉ!!」
息も絶え絶え、荒れた声で怒鳴る。
千鶴自身、これまで生きてきて一度も使ったことのないような言葉だった。
自分で口にしておいて、
だが、そんなことを気にしている暇はない。
千鶴はよろけながら馬車に乗り込む、御者の隣に飛び乗る。
「早く!! 東京
あまりの気迫に、御者は目を見開いたまま一瞬固まったが、すぐに頷き、手綱を強く引きしめる。
「し、承知ッ!」
四つの
千鶴の瞳には、涙の他にただ一つ――決して消えぬ、祈りのような想いが宿っていた。
「お願い……一桜さんが、まだ……間に合いますように――!」
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