【短編ホラー】つがい
鬼大嘴
第1週【鍵】
「ねえ、ゴミ出しお願いしてもいい?」
朝の食卓に湯気の立つ味噌汁の匂いが漂う。
目玉焼きの黄身を割りながら、真白がそう言った。
優馬は口の端をゆるめ、「了解」と手を挙げて立ち上がる。窓の外には春の名残のような陽射しが射し込んでいた。
真白(ましろ)と優馬(ゆうま)は、今年の春から同棲を始めた。交際して2年、都内の会社でそれぞれ働きながら、やっと手に入れたこの2DKのアパートでの暮らしは、穏やかで、満たされていた。
もう、同棲して3ヶ月になる。
休日には近所の公園に出かけ、夜には映画を観て、どちらかが帰りが遅ければメッセージを送り合い、帰宅すれば必ず「おかえり」と「ただいま」を交わす。そんな、ありふれた、でも幸せな日々。
だが――最近、少しだけ、気になることがあった。
「鍵の閉め忘れ、多くない?」
真白がそう言い出したのは、一週間ほど前のことだ。最初は、どちらかのうっかりだと思っていた。
でも、優馬も真白も閉めたという記憶があるのに、帰宅すると鍵が開いている。
まるで誰かが合鍵で出入りしているかのようだった。
お互いに家を出る時にLINEで「閉めたよ」と送り合ってたにも関わらずだった。
「カメラ、つけてみない?」
そう勧めてくれたのは、優馬の友人だった。
早速、Amazonで手に入れた簡易的な見守りカメラを玄関の内側と外側に取り付け、数日、録画を続けた。
そして3日位経った頃だろうか、驚くべき映像が残っていた。
昼下がり。誰も映っていないのに、玄関の鍵が“カチリ”と音を立てて、ひとりでに回る。
「……見間違いじゃないよね?」
そう言いながら、真白はぞくりと肩をすくめたが、どこかワクワクしているようにも見えた。
優馬も、妙に昂ぶる気持ちを抑えきれなかった。
心霊系の話など、今まで関わったことはなかったが、自分たちの生活がどこか“物語”めいてきたような気がして、正直、少し興奮していた。
警察にストーカーの疑いで捜査を依頼するところであったが、逆にこんな事であれば相談はしなくて良かったと安堵した。
「俺、こういうの、他人事だと思ってたなあ……」
次の日の仕事中、ふとしたタイミングでその映像が脳裏をよぎる。
鍵が、ひとりでに回る瞬間。何かが、そこに“いる”ような気配。現実ではあるはずもない現象。
まるで、自分が物語の主人公にでもなったようだった。
さすがにその夜には何か起こることは無かったが……その高揚感は、あっけなく砕け散る。
その次の日の夕方、真白の元に警察から連絡が入った。彼女の母が行方不明になったという。
「……またか」
電話を切った真白は、苛立ちを隠せずつずやいた。その様子は真白の過去に不穏な物を感じた。
そして週末、優馬が仕事から帰宅すると、ポストに真っ白な封筒が一通、差し込まれていた。
差出人の記載はない。手紙など滅多に届かないご時世に、得体の知れない封筒は、ただそれだけで不穏だった。
「ねえ、これ……届いてたんだけど」
家に戻ってから、真白に見せて、2人で開封することにした。
封筒の中に入っていたのは――
「……なに、これ……?」
それは、紛れもなく“人間の歯”だった。大人の奥歯だ。根元にはほんのりと赤黒い肉がこびりついていて、生温い匂いが紙の中から立ち昇った。
真白は、無言で口元を押さえた。優馬も、言葉を失った。
その夜、2人は眠れなかった。
歯が入っていた封筒は、念のためビニール袋に二重にして、ベランダに出した。
だが、深夜になっても鼻の奥には、あの鉄のような、生臭い匂いが残っていた気がしてならなかった。
「警察に持っていくべきじゃないか?」
優馬が言うと、真白はベッドの上で首を横に振った。
「無理だよ。証拠もないし、誰かの悪戯って言われて終わり……。それに、届けた人間が本当にいるなら……住所、知られてるってことになる」
「じゃあ……ロック変えようか。鍵のやつも」
真白は目を閉じたまま、黙って頷いた。
その夜の真白は、どこか疲れ切っていた。母親の失踪、そしてこの異常な出来事。無理もなかった。
けれど、優馬にはそれ以上に気になっていたことがあった。
真白の、あの“反応”だ。
「またか……」と、呟いた声。
まるで、母親の失踪に慣れているかのような……いや、もう、諦めてしまっているような声音だった。
言葉にはできなかったが、その冷めた反応に、優馬は薄く背筋が冷たくなるのを感じていた。
翌朝、真白は何もなかったかのようにキッチンに立っていた。コーヒーの香りと目玉焼きの焼ける音が、普段通りの朝を演出していた。
「寝られた?」
「うん、まあまあ。あんたは?」
「……少しは」
日常が戻ってきたような気がした。だが、それは勘違いだった。
昼過ぎ、優馬のスマホに通知が届いた。
――玄関カメラのモーション検知。
昼休みに確認すると、映像には信じられないものが映っていた。
12時ちょうど。誰もいない玄関先で、ドアが再び“カチリ”と音を立てて開いたのだ。誰もいない。人影も、影さえも映っていない。
なのに、鍵だけが、また勝手に回った。
その動きは、あまりにも自然で、あまりにも不気味だった。
「やっぱり……おかしいよね」
その晩、映像を一緒に見た真白が言った。どこか楽しそうな、しかし怯えも混じったような声色で。
「これ、やっぱ心霊現象じゃないかな?」
「心霊、って……幽霊?」
「うん、だって物理的に誰もいないのに鍵が回るって……どう考えてもおかしいよ」
真白はどこか、嬉しそうだった。
その表情に、優馬はまた少し、胸の奥に棘が刺さるような違和感を覚えた。
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