第13話
魔導師会の討伐部隊は一時撤退し、学園には束の間の、しかしひどく重苦しい平穏が訪れていた。
俺たちは保健室を臨時の拠点とし、衰弱したミユの回復を待ちつつ、ゼファルと魔導師会の次の動きに備えていた。
だが、俺自身の身体には、無視できない異変がはっきりと起き始めていた。
ふと自分の右手を見る。
指先が、まるで陽光に透けるみたいに、数秒間だけ半透明になる。
慌ててギュッと握りしめると元に戻るが、頻度は確実に増している。
気のせいじゃない。
(本格的に、ヤバくなってきたな……)
前の戦いで力を使いすぎたせいか、それとも、この異能を持つこと自体の代償なのか。
理由は分からない。
だが、俺自身の“存在”が、この世界から少しずつ希薄になり、“消え始めている”という事実は、もう誤魔化しようがなかった。
ズキリ、と胸の奥が鈍く痛む。
物理的な痛みじゃない。
自分の存在が薄れていくことへの、本能的な恐怖感。
俺はこの事実を、必死で平静を装い、仲間たちには悟られまいとしていた。
余計な心配をかけたくなかったからだ。
しかし、俺の微細な変化を、最も鋭敏に感じ取ったのは、ミユだった。
ベッドの上で少しだけ回復した彼女は、俺が差し出した水の入ったコップを受け取る際、俺の手にそっと触れた。
その瞬間、彼女の灰色の瞳が大きく見開かれ、恐怖に歪む。
彼女の未来視が、俺の存在が光の粒子となって消えていく、断片的なイメージを捉えてしまったのだ。
「……イオリくん……? うそ……身体が……消えかかってる……?」
ミユの声が震える。
「いや……いや……! そんなの絶対に嫌!」
彼女は子供のようにわんわんと泣きじゃくり、俺の服の裾を小さな手で強く、強く掴んで離さない。
その必死な姿が、俺の胸を締め付ける。
「……大丈夫だ、ミユ。俺はどこにも行かねぇよ。ちゃんとここにいる」
そう言うのが、今の俺には精一杯だった。
嘘ではない。
まだ、ここにいる。
……今はまだ。
◇
エミリアやクレア、リュシアも、俺の異変に薄々気づき始めていた。
交代で俺とミユの様子を見に来ては、それぞれのやり方で俺を気遣おうとしてくれる。
エミリアは「風紀委員として、問題児の健康管理も私の重要な職務です!」と、相変わらずツンケンした態度で、栄養満点だが色合いが壊滅的な特製スープ(?)を無理やり俺に飲ませようとしてくる。
クレアは「イオリくん、絶対に無理しちゃダメですよ! 私がそばにいますから!」と、効果があるのかないのか全く不明な回復魔法(のようなもの)をかけ続けたり、どこかで見つけてきた怪しげな効果を謳うお守りを渡そうとしたりする。
リュシアはどこからか持ち出してきた難解な魔導医学書や古代文献を読み漁り、「何か……何か方法があるはずだ……異能者の存在不安定化に関する症例は過去にも……」と、ぶつぶつ呟きながら解決策を探してくれている。
彼女たちの気遣いはありがたい。
だが、日に日に俺の反応が鈍くなったり、時折、意識が飛ぶように遠い目をするようになったりする様子を見て、彼女たちの表情にも、隠しきれない不安の色が濃くなっていくのが分かった。
特にリュシアは、俺の異変の原因が、俺の持つ特異な能力の代償――存在そのもののエネルギー消費――である可能性に思い至ったようで、本格的に解決策を探し始めていた。
彼女は生徒会室の奥深く、兄アルトが秘密裏に遺していたという研究資料を、寝る間も惜しんで再調査しているらしい。
そこには、異能者の存在が不安定化するメカニズムと、それを外部からエネルギー的に補強・固定するための理論――「存在固定式」と呼ばれる、未完成な古代魔術の草稿が残されていたという。
「これだわ……! でも、これを完成させるには、膨大な魔力と、そして……異能と魔法、二つの異なる理を繋ぐための、特殊な触媒が必要になる……」
リュシアは資料を睨みつけ、困難な課題に挑む決意を固めているようだった。
「兄さんの研究……私が必ず完成させて、イオリを救ってみせる……!」
◇
そんな束の間の、しかし張り詰めた日常を破壊するように、その時は訪れた。
学園内の全てのモニターが、突如として一斉に起動した。
そこに映し出されたのは、穏やかな笑みを浮かべた、生徒会副会長ゼファルの顔だった。
「皆さん、ごきげんよう。生徒会副会長のゼファルです……というのは、仮の姿に過ぎません」
彼は、まるで舞台役者のように芝居がかった口調で、衝撃の事実を語り始めた。
「私の本当の名は、ゼファル=ロイド。かつて魔導師会の中枢にて、異能因子と、それを用いた“神”の創造を研究していた者です。そう、この学園で起きた数々の悲劇……ミユくんの実験も、アルトくんの“事故死”も、そして、この如月イオリくんの学園への入学すらも、全てはこの私、ゼファル=ロイドが仕組んだ、壮大な計画の一部なのです」
彼の目的。
それは、異能と魔法という二つの根源的な力を完全に融合させ、自身がこの世界の法則を超越した新たな“神”となり、不完全で愚かな人類が作り出したこの世界を、一度無に還し、完璧な世界へと再構築すること。
「そして、そのための最後の触媒として、最も重要な存在が、そこにいる如月イオリくんなのです。彼の持つ、あらゆる理不尽を覆す力と、その存在エネルギーこそが、私を神へと昇華させる最後の鍵となる!」
彼はモニター越しに俺を見て、恍惚とした表情で言い放つ。
「さあ、無駄な抵抗はおやめなさい。如月イオリを、新世界の尊き礎として、この私に捧げるのです! それが、この世界に残された唯一の救済なのですよ!」
学園全体が、彼の狂気に満ちた、しかし絶対的な自信に裏打ちされた宣言に、凍りついた。
こいつが、全ての元凶。
ミユを、リュシアの兄を、そして俺の運命をも弄んだ、本当の黒幕……!
◇
ゼファルの放送は、ミユの中にまだ断片的に残っていた、封印された記憶を完全に呼び覚ます、残酷なトリガーとなった。
彼女はベッドの上でガタガタと震えながら、涙を流し、俺たちに全てを語り始めた。
自分の未来視の能力は、無数に分岐する可能性の中から、なぜか悲劇的な結末ばかりを選んで見せてしまう、呪いのような力だったこと。
空間を歪める力は、その避けられない絶望的な未来から、ただ逃れたいという心の叫びが生み出してしまった、自分でも制御できない破壊の力だったこと。
そして、ゼファルは、彼女の能力の特性を全て理解した上で、わざと彼女に絶望的な情報(家族の死や、仲間の裏切りなど、真偽不明の情報)を与え続け、彼女の精神を追い詰め、その力を故意に増幅させ、最終的に「事故」に見せかけて、研究施設ごと彼女を“起爆”させたのだと。
「私は……ただ……イオリくんとの約束を守りたかっただけなのに……。外の世界で、一緒に海を見たかっただけなのに……! なのに、私の力は、全部壊しちゃう……!」
ミユは嗚咽しながら、自身の持つ力の残酷さと、ゼファルによって仕組まれた悲劇の全てを、俺たちに告白した。
◇
ゼファルの狂気に満ちた宣戦布告と時を同じくして、学園上空を包囲する魔導師会の巨大艦隊から、冷酷な最後通牒が、学園全体に響き渡った。
拡声魔法によって増幅された、感情のない機械的な音声。
『最終通告。これより24時間以内に、特級危険異能者・如月イオリ、及び重要研究対象・被験者ミユを、魔導師会へと引き渡せ。要求に応じない場合、本学園、アルカノ=レギオス魔導学院を、魔導法規に基づき、レベル5危険指定区域と認定。区域内の全存在――生徒、教職員、施設、データを含む――の完全殲滅を以て、世界の秩序に対する脅威を排除する』
降伏か、それとも学園ごと全滅か。
残された時間は、わずか24時間。
学園は完全に孤立し、外部への助けも一切求められない。
絶望的な空気が、学園の隅々まで重く、重く覆い尽くしていった。
◇
自分の存在が消えかかっているという事実。
ミユが背負わされた悲劇の真相。
そして、学園全体が、俺たちのせいで滅亡の危機に瀕しているという状況。
その全てを知った俺は、静かに、しかし確固たる決断に至っていた。
(……俺が、ここで消えればいいんだ)
俺という“触媒”がいなくなれば、ゼファルの神化計画は頓挫する。
俺という“危険因子”がいなくなれば、魔導師会が学園を攻撃する理由もなくなるかもしれない。
ミユも、ユウトも、エミリアも、クレアも、リュシアも、アイゼルも、ニコル先生も……みんな、助かるかもしれない。
(……それが、一番いい。俺にできる、最後の……)
深夜。
仲間たちが仮眠を取っている隙を見て、俺は誰にも告げずに保健室をそっと抜け出した。
枕元には、短い別れのメモだけを残して。
『……わりぃ。面倒かけたな。あとは、頼んだ』
自己犠牲。
それが、不器用な俺が見つけ出した、このクソみたいな状況に対する、唯一の答えだった。
俺は、魔導師会に投降するため、一人、静かに学園のゲートへと向かう。
これで、全部終わるんだ。
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