桜の乙女は血を捧ぐ

汐屋キトリ

「人身御供が慣習だなんて」

「寧衣さま。本日も尊きその血を、我らのためにお捧げくださいませ」


 木立こだち寧衣ねいの一日は、そう告げる侍女の一言から始まる。侍女は視線を合わせようともせず、盆に乗せた朝餉を部屋に置いて静かに戻って行った。


 米、豚の肝臓の煮付け、海藻と小松菜の汁。

 器いっぱいに盛られた滋養溢れる朝餉を残すことは許されないため、強引に胃に流し込んでいく。


 吐き気を堪えて起き上がり、一人衣に袖を通す。一等上質な紅の振袖は、“桜守さくらもり“の象徴だった。

 

 門番が会釈するのを横目に、寧衣は木立家の屋敷を出る。目指す先は、この村唯一の神社。


 最も重要な役職でありながら、外出中の彼女の近くには、付き従う者すらいない。

 その理由はただ一つ、村の者全てが彼女を監視しているに等しいからだった。紅の振袖は、何もせずともよく目立つ。


 鳥居を潜ってしばらく歩みを進めれば、淡い色の花を咲かせた大樹が見えてくる。

 これこそが、太陽を司っている氏神うじがみ様が宿る神桜かみざくら

 

 ”桜守”とは、この神桜を守る職のことである。

 これは木立家の娘が代々務めるものであり、今代の桜守である寧衣は、七つの頃からその任に就いていた。


 桜守の仕事は、毎日その血を神桜に吸わせることだけ。

 

 寧衣が懐から刃を取り出して腕に滑らせると、じわりと血が浮き上がってくる。

 玉のように膨らんだ赤色を、神桜の樹にそっと押し付ければ──途端、白の花弁が目にも眩しい紅に染まっていく。


 桜守の条件は二つ。

 一つ、二十に満たぬ娘であること。

 二つ、純潔であること。


 かといって二十になればお役御免、という単純な話でもない。今度は誰かと婚姻を結び、次世代の桜守となる娘を、可能な限り早く産むことを要求される。


(こんなものかしら)


 己の血を吸った神桜を見上げる。


 枝が風に揺られ、真っ赤な花弁が飛び散っていた。

 いくら散れど血を捧げ続ける限り、花弁が尽きることはない。ゆえに季節など関係はなく、神桜は一年中咲き誇っているのだった。


 長い袖に花びらが乗る。それを払い落としてくれる彼は、もうここには居ない。仕方なしに、袖を振って自分で払う。


(早く帰ってきて、佐霧さぎり……)


 心の中で呼んだのは、幼馴染の名前。

 この二年近く、何度こう呟いたか分からない。

 

 部屋に戻って振袖を適当に掛け、また寝転がる。

 まだ日は高い。差し込む日差しから目を背け、瞼を閉じてみれば、意識は溶けていく。


 (――明日には私……あなたの兄と、婚約させられてしまうのよ)





 神桜を管理するは神職の一族、鴻上こうがみ家。

 

 鴻上こうがみ佐霧さぎりはその次男であり、寧衣にとっては唯一気の許せる、同い年の幼馴染だった。


 村でも一際強い発言力を持つ鴻上家の息子ならば、幼い”桜守”の遊び相手に都合が良い。

 そんな大人の思惑により、引き合わされたのが始まりだった。しかし彼らの目論見以上に、二人はすぐに仲良くなる。


「さぎりっ! 二十になって、桜守をやめたらね……わたしのこと、お嫁さんにしてちょうだい!」

「……別にいいけど」

「ほんと? 約束ねっ!」


 交わしたのは、子ども同士の淡い口約束。

 しかし七歳の寧衣はそれを心の支えにし、肌を裂く痛みも我慢して、神桜に血を捧げ続けたのだった。


 月日は過ぎ、十五歳になったある朝のこと。


 障子窓から聞こえる「起きろ、寧衣」の声で目覚めた。

 部屋は三階にあるものの、忍び込むくらい佐霧にとっては容易い。眠い目を擦る寧衣に、彼はいつものように遊びの誘いを持ち込んでくる。

 

うちの地下に、書物庫を見つけたんだ」

「書物庫? そんなものが……」

「あぁ。鍵はくすねて型を取った。忍び込みに行かないか?」

「勿論!」


 多少の悪事と冒険の誘いに胸を躍らせ、寧衣は二つ返事をした。

 

 神社の内部には、部外者の立入りを禁じている場所も多く存在する。

 本来は鴻上家の当主しか入れないものの、「桜守本人と鴻上の息子なら、“部外者“じゃあないだろ」などというのが佐霧の主張だった。


 幼少期から大人に隠れて悪戯を繰り返していた二人にとっては、書物庫に忍び込むことなど造作もない。そこには、想像よりも遥かに膨大な本や巻物が、所狭しと並んでいた。


「素敵! 本がこんなに」

「……ここなら、桜守について何か分かるかもしれない」


 低い声で呟く佐霧に、寧衣は首を振る。


「ねえ、私なら大丈夫よ。血を捧げるのだってもう怖くない。それが慣習だもの」

人身御供ひとみごくうが慣習だなんて、ふざけてやがる。俺は必ず、他の道を探してみせる」


 自分の身を案じてくれる幼馴染に対して、嬉しさと、それ以上の申し訳なさが溢れてくる。


(佐霧は神職しんしょくである鴻上の人間……桜守の慣習を批判するだなんて、お父上に歯向かうも同然だというのに)


 自分のせいで、彼の立場が悪くなってしまったら?

 寧衣にとってそれは、血を流すよりよほど辛いことだった。


 俯いていると、ぽんと優しく頭を撫でられる。彼は、寧衣の不安も理解しているというように微笑んでいた。


「俺は好きでやってるだけだ。寧衣はただ、気になる本を見つけて、読んでいれば良い」


 佐霧が本を漁り始めたので、寧衣も近くの棚を眺め、その中から異国を舞台にした物語を手に取った。

 

 少年少女が悪霊を倒すために共に戦い旅をする、冒険譚。

 村から出ることを許されていない寧衣には眩しく、だからこそ興味の惹かれる物語だった。


 夢中になって本に齧り付いていると、いつの間にかあたりは薄暗くなっていた。天井の窓から夕陽が差し込んでいたことも気づかず、読み耽っていたらしい。


 ちらりと佐霧を見ると、彼は何冊も並べた本を睨みつけ、無言で読みこんでいるようだった。


 その時、外から大きな足音が近づいてくるのが聞こえた。


 佐霧は瞬時に顔を上げ、ぐるりと書物庫の中を見回す。隠れられそうな場所はないと悟るやいなや、読んでいた本を目立たない隅に隠した。


 数秒もしないうちに、扉が激しく叩かれる。


「出てこいお前ら! そこに居るんだろ!?」


 佐霧は寧衣を後ろに下がらせ、内側のかんぬきを引いた。


 そこに立っていたのは、鬼のような形相をした男。早雲そううん――佐霧の三つ年上の兄であり、鴻上家の長男だった。


「何をしている、桜守ッ!」


 寧衣を睨みつけてきた早雲の目は、ぎょろりと血走っていた。顔色は悪く、差し向けてきた指先は震えているようだった。

 

「兄上、どうしたんだ。俺と寧衣は本を読んでいただけで――」

「今日は血を捧げなかったのか!?」


 寧衣ははっとする。

 午前中に書物庫に入ってから本に夢中で、すっかり仕事を忘れていたことに気づいたのだ。普段は昼頃に神桜のもとへ行っていたものの、既に夕方になっていた。


「――神桜が枯れた、お前のせいだ!」


(神桜が?)


 寧衣の身体から、さあっと血の気が引いていく。

 強引に押し入って来た早雲は寧衣を掴み、書物庫から引き摺り出した。


「やめろ、兄上!」

「五月蝿い、鴻上の恥晒しが! 貴様はどう落とし前をつけるつもりだ!」


 実弟を睨みつけた早雲は寧衣を担ぎ、外へと無理矢理連れ出した。

 幸か不幸か、境内にある神桜はすぐ近く。既に樹の前には、大勢の人間が集まっていた。


「何してるんだ桜守……!」

「この村を滅ぼしたいのか!?」

 

 現れた寧衣に視線が集まり、罵詈雑言、そして石が投げられる。


「お前ら……! やめろ!」


 背後から聞こえた佐霧の声に、どうにか振り向く。彼は何人もの大人の男たちに、取り押さえられていた。


「兄上! 寧衣から手を離せ!」

 

 寧衣は神桜の前に放り投げられる。


 袖が捲られ、傷だらけの腕があらわになった。

 生々しい傷跡に一瞬人々は静まり返ったものの、次の瞬間には、さらに勢いを増した怒号が飛んできた。


「今すぐ血を捧げるんだ!」

「早く!」


 早雲は懐から短刀を取り出す。その目が据わっているのを見て、背筋に冷たいものが走った。


「自分で……自分で、やりますから……!」

「必要ない」


 寧衣の主張も虚しく、早雲は刃を突き立てる。そのまま過去の傷にそって横に引けば、赤い血が吹き出した。


「痛ッ……いや!」

「黙れ!」


 寧衣の腕が、神桜にぐいっと押し付けられる。

 傷口を樹に擦り付けるように、ぐりぐりと上から力が込められた。激しい痛みとともに、どくどくと肌の下が脈打っていく。


(痛い、痛い、痛い……!)


 十年近く血を捧げ続けている寧衣は、身を切る痛みには慣れているつもりだった。しかし常より余程深く刃を立てられてしまえば、その痛みは到底耐えられるものではなくなった。


 血を吸った神桜の樹は、地面を大きく鳴らす。

 ――それは氏神の、歓喜の声だった。

 群衆は伏せて耳を塞ぐも直後、一斉に沸き立つ。


「見ろ! 神桜がまた……咲き始めた!」


 視界の端、枝の先から蕾が綻び、花をつけるのが見えた。

 ――血と同じ、真っ赤な花が。


 段々と寧衣の痛みが遠ざかっていく。血を失いすぎたのだとぼんやり理解した。


「寧衣!」


 己の名前を叫ぶ、引き攣れた声が聞こえた。

 顔だけ動かすと、地面に押さえつけられながら、怒りと悔しさを露わにした幼馴染が見えた。


(佐霧……)


 寧衣の目の前がふっと真っ暗になり、遅れて意識も失った。

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