第六話 蒼の影 ①

あれから3日経った。蒼さんは姿を見せる気配もなく、みどりさんは普段通りの日常を送っているようだった。


「今日もそのままっぽいですねー」

「理人くんから見てそうなら、間違いないだろうね」

「一応電話してみます?」

「いいや、それより一つ提案があるんだけど」


ミニバンの後部座席でタウンページを開きながらつぶやく。


「そろそろ私達の行動目的を『治療法の模索』に見直してもいいと思うんだ」

「事実ここ2週間弱、僕らは蒼さんの行動を一度しか観察できていないですからね」


その一度の観察も有効な手がかりにはつながらず、進捗はかなり悪い。今日までの成果といえばは病気のことについて知ったことと一度だけ蒼さんの出現を確認しただけだ。


「でも治療法の模索ったって、それこそ医者に聞けばいいんじゃ?」

「うん、だからおばあちゃんのツテでこの前聞いてきた。投薬による対処療法的なアプローチとカウンセリングや認知療法のハイブリッドだって」

「要するに特効薬みたいなのはなくて、通院しながら地道に精神状態を改善していくしかないって事ですね」

「うむ。だけどここで問題が一つ。何だと思う?」


彼女が助手席の後ろから両肩に腕を回す。この前の彼女の肌の感触がフラッシュバックして心臓が跳ねる。


「前言ってた『医者には行きづらい』って奴ですか?」

「ちがーう。それは単に心療内科って行きづらいだろうなーってのと、医療従事者を目指すものとしては病名がつくのは嫌だろうなってだけー」

「ふむ……。じゃあ、医者が解決したら僕らが解決した事にならなくて報酬が下がるとか?」


愛理さんの手が僕の肩をバシバシ叩く。痛い。


「ちーがーうー。ヒントはもっと根本的なところー」

「根本的……」


これまでの彼女とのやり取りをもう一度振り返る。

これまでの彼女のやり取りにおかしな点は特に見られなかった。多少のあがり癖やどもりはみられたけど性格の範囲といえるし、精神的な異常はなかったように思える。


「……というか、みどりさんって病院行く必要あるんですかね」

「そう!!そこ!!私たちからしたらあの子っていたって普通の女の子なんだよ!」

「なるほど病院に行っても正常だと診断されるかもしれない、と」

「理人くんが蒼さんと会った以上、医者的にも解離性同一症という診断はあると思う。どちらかというと、」

「蒼さんが出てくるようになった原因を解き明かす必要がある、って事ですか?」

「うむ!」


満足げに愛理さんがを上げ、肩をばんばんと叩く。


「ということで私はあの子の家庭の方を調べるから、理人くんは彼女の友人関係の方をお願いできるかな」

「いいですけど、大学でってことですか?」

「うむ。理想を言えば大学より前からの知り合いがいいけど、一人ぐらしなようだから難しいかな」


彼女の手が僕の肩から離れると後部座席のドアが開く音がした。少しの間をおいて次は運転席の扉が開く音がする。車のシートがその小さな身体を受け入れると、革とウレタンの匂いを漂わせた。


「蒼さんを必要とするようになった理由が分かれば、平和的な解決の道も見つかるかもしれないしね」


愛理さんが口を三日月の形にしてにんまりと微笑む。どうやら僕はこの探偵には敵わないらしい。僕がため息をつくと満足げにもう一度微笑んだ。


「んじゃ3日ぐらい空けるから、事務所の方はよろしくねー」


僕をミニバンから降ろすと、愛理さんはあっという間に視界の外に消えていった。


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仕方なく大学に来てはみたが、みどりさんの知り合いどころかそもそも彼女自身の学部すら知らなかったことを思い出した。


図書館棟や生協、書籍売り場など覗いてみるが、それらしい人影はない。講義室に潜る手も考えたが……あの学生たちの喧騒にもう一度入る自信も覚悟も湧き出てこなかった。


学食に行って担々麺を注文し席を確保する。ひとまず落ち着こう。たかだか学校の校舎内をうろつくだけだ、何をそんなうろたえる必要がある。自分はまだ学生だし休学中だ、ここにいる資格はあるし罪悪感を持つ必要はない。


「あれ、阿形じゃね?」


追い打ちをかけるように懐かしい声がした。振り返ると山岸がトレーをもって立っている。学生時代の数少ない仲の良かった知人で、愛理さんと知り合う前は遊びに行くときは大体彼と一緒だった。


「山岸じゃん、おひさ」

「隣に座っていいか?……ってかついに大学に戻る感じ?」

「あーいや、たまたま所用で大学に寄ることがあったから、それで飯食べに来ただけ」

「もしかして、まだあのバイト続けてるんか」


僕の右隣の席に山岸が座る。服装はあの頃と同じ赤と茶色のチェックシャツに色の褪せたチノパン、あのころから何も変わっていない普段通りの彼だ。


「バイトっていうより最早正社員だけどね、山岸は今は専門過程?」

「まぁそんなとこ。つーか俺のことはいいから、阿形はもう危ないこととかしてないよな」

「う~~~ん、まぁ、今のところそういうのは大丈夫、かな」

「ほんとに大丈夫なんか、それ?」


山岸が麻婆豆腐を頬張りながら心配そうに見つめてくる。彼は成績も優秀で面倒も良かった、きっと今も同級生や後輩の面倒を見るために奔走しているのだろう。


「そいやダメもとで聞いてみるんだけどさ。相羽 みどりって子って知ってる?」

「んー知らんな。ここの生徒か?」

「うん。その子についてちょっと今調べてて」

「おけ、一応LINEグループとかにいないか調べてみるわ」


そういってスマホを取り出して調べ始める。確か彼はいくつかサークルや部活を掛け持ちしてた記憶があるし、そういった意味でも顔が広いのだろう。僕が担々麺をすすり終える前に周りに聞こえるくらい大きなをあげた。


「あーおったおった、SF研に所属しとるわ。相性の相に羽で相羽の」

「マジか、お前スゲーな……」

「一時期ハードSFにハマっとってな。最近は行けてないけど、サークルに仲いい奴がいるから紹介しようか?」

「助かる。でも本人とは連絡が取れてるから、どっちかって言うとその子と仲がいい人に話が聞きたいっていうか……」


スマホを触っていた山岸の手が止まる。


「お前それ、もしかしてバイトの件か?」


彼の表情が急に険しくなり、僕の心臓が急に緊張し始める。


「あー……まぁ、そう」


山岸が大きく息をつく。


「阿形の事だから多分大丈夫だとは思うけどさ、危ないことに巻き込んだりはしないよな」

「端的にいうと、依頼者自体が彼女。不安にさせようとか危険な目に合わせようみたいな意図はないよ」

「あー、そういう感じか。でもそれなら相羽さんに直接聞けばいいじゃんか」

「まぁそれは、依頼の関係でちょっとやりづらくてね」

「ちなみに依頼の内容は?」

「……秘密保持契約で言えない」


正直に話しても信用されないどころか不本意にみどりさんの評判を下げる事になるだろう。僕がそういうと山岸は諦めたようにもう一度ため息を大きくついた。


「んじゃあ今からサークルの人に連絡するわ、ちょっと待ってろ」


山岸はスマホをいじりながら麻婆豆腐をかきこむ。つられて僕も担々麵を慌ててすする。


「えっと、そんなすぐでいいの?今日の予定とか、講義とか」

「んま何とかなるっしょ。それに阿形がわざわざここに来るってことはそれなりに急ぎなんだろ」

「すまん、恩に着る」

「代わりに一回飲みおごりな。もうバイトじゃないならそれなりに稼いでんだろ?」

「全然オッケー、高いところだと財布が死ぬからトリキとかサイゼあたりで……」

「あいよ。またあとで連絡するから、近くのゲーセンでも時間つぶしとき」


肩を叩くとトレーを返却口にもっていく。感謝と同時にこの行動力やエネルギーが重圧だったことを思い出し、首の後ろがチリチリしだした。だが今はこの首の痛みこそが、自分が自分としていることの証だった。

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