第8話 絶望と羞恥心

凪斗は翠を軽くからかった後、ゆっくりと雪のもとへ歩み寄る。


凪斗が近づいてくる気配に気づいた雪は、慌てて視線を逸らす。


その瞬間…、雪の呼吸は、ひゅ…と詰まった。


下手に目を合わせれば、何をされるかわからない。


胸の奥が苦しくなり、肺がうまく動かない。

息を吸おうとしても空気が入ってこない。

喉が凍りついたみたいに塞がって、雪は浅い呼吸しかできずにいた。


凪斗を刺激してはいけないと、本能が警鐘を鳴らす。


震えが止まらなかった…。


衣服は剥ぎ取られ、冷え切った身体に水すら与えられないまま…

寒さで感覚は麻痺し、尿意も限界に達しつつある。


(もう…限界…。トイレに行かせて…。)


必死に身体に力を込め、雪はどうにか尿意を堪えていた。

冷たい汗がこめかみを伝う。


「ご機嫌いかがですか? お姫様。

顔色がわるいようですねぇ?白馬の王子様は、まだ来ないみたいですよ?」


凪斗の皮肉たっぷりの声が、耳に冷たく刺さる。


「……。」


雪は只々、無言のまま…

涙目で頷くしかなかった。

どんな返しも、凪斗の機嫌を損ねかねない。

彼の気分ひとつで、自分の運命が変わってしまう。


「で? 初体験の感想は? 気持ちよかったか? 死ぬ前に俺みたいなイケメンに抱かれて、良かったじゃねぇか。」


デリカシーの欠片もない言葉に、雪は喉を詰まらせた。悔しさも、悲しみも、恐怖も、言葉にならない。


「……おい、お前…。なんか文句でもあんのかよ?」


凪斗の目つきが鋭く光る。空気が変わった。


(…まずい。怒らせた。)


雪の心臓が早鐘を打つ中、凪斗は雪の顎を持ち上げ、顔を近づけて覗き込む。


その瞬間、とうとう雪の身体は限界を迎えた。

恐怖のあまり失禁してしまう。


「あーあ、何してんだよ、マジで」


凪斗は心底呆れた様子で、吐き捨てる。


「汚っねぇ女だな。

小便漏らしやがったぜコイツ。

もう一発、遊んでやろうと思ってたけど、萎えた。もう寝るわ。」


凪斗は軽い調子で言い放ち、背を向けるとそのまま立ち去ってゆく。


「……あいつ掃除くらいしてけよな。」


翠は不機嫌そうに呟き、モップを持って戻ってきた。


雪は、ただそこにうずくまり、人間の尊厳さえ踏み躙られ、羞恥と絶望の中で声を震わせる。

そんな状況下に置かれていても、淡々とモップをかける翠を気の毒に思えた。


「あの…、ごめんなさい……掃除させてしまって……」


翠は冷たい目で雪を睨みながら、舌打ちをひとつ。


「チッ……手間かけさせんな」


雪は、ひたすら下を向いたまま、震えていた。

その胸は、壊れそうなほど痛みで締めつけられていた。

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