異世界引きこもりマンション管理人 〜空中のアパートで一人、今日も誰かの手紙を読む〜
ノートンビート
第1章:浮遊マンションの管理人になりまして
1-1:空から落ちて、屋根の上
気がつくと、屋根の上に寝ていた。しかもその屋根は、どう考えても空中に浮かんでいた。雲より高く、地面らしきものは見えず、見渡す限り青い空と白い空気のかたまり。風が吹くたび、下からふわっと浮き上がるような錯覚すらする。つまり、目覚めた瞬間から生死の境目にいたわけで、朝の挨拶よりも先に、命の確認から始めなければならなかった。
「これは、夢だろうか」
そんな月並みなセリフが口から漏れたのは、いかに俺が今の状況に対して現実感を持てていなかったかの証拠だ。だって、瓦屋根の上に寝かされてて、しかもその下は何もないって、どこの重力無視ファンタジーだよ。地面が恋しい。安定した足場がこんなにも重要だったとは、生きていたときには気づけなかった。
いや、生きてたとき、という言い方もおかしいか。記憶を辿ると、最後の瞬間は明確に思い出せる。夜勤明けのコンビニ、揚げ物ケースに手を伸ばした瞬間、背後のシャッターが不自然な音を立てて――そこまでだ。気がつけばこの空の上。つまり、これはたぶん、そういうことなのだろう。俺は死んで、ここに来た。異世界転移とか、そういうやつだ。
ただし、問題はその“異世界”の初期配置が、空に浮かぶ屋根の上だということだ。なぜ、地面ではなく屋根なのか。せめて芝生の上でお願いしたかった。いや、贅沢は言わないから、せめて“上下の感覚がある場所”で目覚めたかった。
体を起こそうとしただけで瓦がガタンと音を立てて滑り落ち、ひゅうう、と風にさらわれていく。落下していった瓦は、いつまでも下に着かない。まさか、ここって、地面が存在しない場所なんじゃ……。あれ?これ本当に“異世界”か?まさか“異空間”とかじゃないだろうな?
四つん這いで屋根を這い進みながら、ようやく建物の全貌が見えてきた。石造りのアパートメントだった。三階建て、全体が青緑の石でできていて、バルコニーがぐるりと取り囲んでいる。正面玄関らしき扉の上には木製の看板がぶら下がり、風に揺れていた。
《ソラヴィラ8》
達筆な筆記体で書かれたその名前に、アパートというよりはリゾートマンションのような洒落た雰囲気を感じた。でもこの高さにあるってことは、もしかしてここ、観光地でもないし、ましてや住居でもなく、何かの……浮遊要塞?いやいや、そんな物騒な話、あるはずないだろ――と思いたいのに、全然否定材料が見つからないのがつらい。
屋根の端にようやく手をかけ、ゆっくりと降りると、足元にぴたりと安定した感触が戻ってきた。それだけで涙が出そうだった。地面って、尊い。
そしてその瞬間、扉の隣にあるポストが“カチャン”と音を立て、白い封筒がひらりと落ちた。反射的に手に取ると、そこにはたった一行、手書きの文字があった。
《管理人さんへ。本日からよろしくお願いします》
……はい?
まさかとは思うけど、俺のことじゃないよな。でも、周囲には誰もいない。足元には「管理人入門マニュアル」と書かれたファイルも落ちている。内容を開いてみると、やたら丁寧に書かれた手順と図解。浮遊石のメンテナンス方法、郵便物の仕分け、菜園の水やり、住人との連絡手段……って、これ完全に仕事じゃん!
異世界って、もっとこう、剣と魔法とか、モンスター退治とか、温泉宿とかそういうのじゃなかった?なんで“職業:管理人”で転移しちゃってんの、俺?
ドアが無言で開いた。自動ドアのように静かに。恐る恐る中に入ると、そこは小さなロビーのような空間で、壁には郵便受けがずらりと並んでいた。
101号室から303号室まで。どうやら202号室だけ空室のようだ。そして、奥には「管理人室」と書かれた木の扉。その中には、使い込まれたデスクと、ふかふかそうなソファ、そして1冊のノートが置かれていた。
ノートの表紙には、「前任管理人より」とだけ記されている。
ページを開くと、住人の特徴がびっしりと書かれていた。名前、種族、生活リズム、好きなもの、連絡手段まで、管理人業に必要な情報が過不足なく記されている。
そのなかで、一人だけ妙にコメントが多い住人がいた。201号室――セラフィナ。
“魔族。高い魔力を持つが、他者と距離を置きたがる傾向あり。郵便は定期的に届くが、対応は厳しめ。菜園管理に関するクレーム多数。”
……なんか、めんどくさそうな予感しかしない。いやでも、異世界に来て最初に関わるのが、手紙で文句を言ってくる魔族って、なかなかクセ強くないか?まあ、顔を合わせるわけじゃないし、こっちも引きこもって管理してればいいなら、ちょうどいい距離感かもしれない。
封筒を開けて中身を確認すると、鍵とマニュアルの続き、そして「最初の仕事は郵便配達」とあった。なるほど、住人への“手紙の配布”が業務開始らしい。
俺は深呼吸して、ようやく気を落ち着ける。
死ぬほど働いて、死んで、また仕事にありつくとは思わなかったが――
少なくとも、ここには客の怒声も、シフト表も、売上ノルマもない。
それだけで、ちょっと救われた気がした。
俺は、101号室の鍵を手に取り、ロビーの扉を開けた。
風が、ほんの少しだけ優しくなっていた。
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