第31話 怖くても、お友達だから
しばらく俯いていたリースは、耳としっぽを垂らしたまま私を見上げた。
「襲われ、て……パパと、ママ、リースのこと、守って、くれて……それで……」
リースは翡翠色の瞳いっぱいに涙を溜めて、それが零れないようにグッと堪えている。その姿に胸が締め付けられる。
「誰に襲われたか、分かる?」
「人、族……魔獣は、嫌われ、者……」
そう言ったリースは私のことを不安げに見つめた。
「ユイ、お姉ちゃんは、私を、殺す?」
小さく震えている身体。我慢ならなくて、ギュッときつく抱き締めた。その震えが収まるように。怖かった記憶が消えるように。大切な両親を失った悲しみが癒えるように。
「殺さない。そんなことしないよ」
「売り飛ばす……?」
「そんなこともしないよ」
さらにギュッと抱き締める。こんなに小さな子が、殺されることや売られることに怯えながら生きなければいけないなんて。無性に世界に怒りが湧いてくる。だけどそれをどうにかする力なんてあるわけなくて。
「お友達に、なりたいだけ」
家族、なんて烏滸がましくて言えなかった。それに本当の家族を失ったばかりのリースには、酷な話だ。
「お友達?」
「そう。お友達。リースが困っていたら、助けてあげたい。一緒に楽しいことがしたい。リースと、一緒に過ごしたい」
背中を擦ると、リースの身体から少しずつ力が抜けていくのを感じる。きっとまだ怖いはず。私だって、一応は人族なわけで。それでもリースを守りたい気持ちは本当。
だって、私自身が愛されてきたし。ネコ好きだし。それに何より、こんなに恐怖で震えている小さい子を放っておけるほど薄情な人間ではないと思う。
「お友達、なっても、良い、よ?」
不安げに頷いてくれたリースをもう一度だけ抱き締めて、その頭を撫でる。
「リース、お家はある?」
「うん。パパとママと暮らしてたとこ、あるよ」
「この近く?」
リースは頷いて、家の方向を指さした。奇しくもそちらは私が建てた小屋がある方向と同じだった。
「私のお家の方向と一緒だね」
「じゃあ、一緒に、行く?」
不安げに問いかけるリースに、私は笑顔で頷く。怖がっているのは伝わってくる。それでもお友達、という言葉を信じようとしてくれる健気さに心が打たれる。
「うん。一緒に行こう。そうだ、ちょっと私のお家においでよ。美味しいお茶を淹れてあげる」
「お茶? 紅茶のこと?」
不思議そうに首を傾げるリースに、にっこりと笑いかける。
「緑茶っていう、紅茶の親戚みたいなお茶だよ。きっと心が落ち着くと思うんだ」
リースは警戒するように毛を逆立てる。けれど、本能と決意が乖離している様子でコクリと頷いた。
「行く」
「ありがとう」
恐怖を押し殺してまで来てくれるこの子が、笑顔になれるように。誰かを心から信じられるように。絶対に騙すことはしない。この子のためにできることは全部やってあげる。そう、心に決めた。だって、友達だから。
並んで歩いて、小屋に辿り着く。リースは好奇心旺盛なのか警戒しているのか。くんくんと周囲の匂いを嗅いでいる。きっと、茶ノ木の匂いがするくらいだとは思うけれど。
「ここだよ。入って」
ドアを開けてあげる。木で作った簡易の椅子に案内して、私はキッチンへ。木を組んだだけのキッチンに魔石が転がっているだけの、まだまだ改良前の簡易キッチンだ。
お湯を沸かして、なるべく丁寧にお茶を淹れる。すぐに良い香りが部屋の中に漂って、リースが鼻をひくつかせる。
「おまたせ」
湯呑みで渡そうとして、ふと立ち止まる。少し考えて、浅いお皿にお茶を移し替えてから出してあげた。
「熱いから、気をつけてね」
リースは頷いて、くんくんと匂いを確かめる。不安げな瞳を見て、私は隣で一口、ちびっと飲む。
「あちっ」
毒ではないことを証明してあげたかっただけなんだけど、私は猫舌。あんまりちゃんと飲めないから、証明にならなかったかもしれない。
「だ、大丈夫?」
リースはまだしっぽを垂らしたまま。だけど、私のことを心配そうに見てくれる。私はそれが嬉しくて、笑みが零れる。
「大丈夫。私、猫舌で。熱いの飲めないんだ」
苦笑いして見せると、リースは少し悩んだように俯いて、小さく頷いた。そして、チロチロとお茶を舐め始めた。
「ん、美味しい……」
その翡翠色の瞳が見開かれて、ホッと息を吐く。
「良かった。ゆっくり楽しんでね」
「うん」
リースはすぐにお茶に夢中になった様子でチロチロとお茶を舐める。そのしっぽが微かにゆらゆらと揺れているのを見て安堵した。
二人でしばらくのんびりとした時間を過ごして、リースが落ち着いてきたころを見計らってずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「そういえば、リース。どうしてリースは私と普通に会話ができるの?」
私の疑問に、リースはきょとんとして耳を傾ける。その仕草も可愛くて、咳払いする。
リースはジッと考えて、自分なりの答えが出たのか、こくり、こくり、と何度か頷いた。
「えっとね。ユイお姉ちゃんが使ってる言葉は、聞いたことがない言葉だよ。でも、私は光属性魔法が使えるから。光属性魔法に、翻訳の魔法があるから、それを使ってるの、かも、しれない」
リースの声は徐々に尻すぼみになる。もしかすると、本能的に魔法を行使したのかもしれない。
「リースはそんなことができるんだね。凄いね」
頭を撫でると、リースはきょとんとして、けれど嬉しそうにしっぽをゆらゆらと揺らした。
「でも、光属性魔法が使えるなら、みんなできるよ?」
リースの言葉に、私はちょっぴり羨ましくなった。もし私も光属性魔法が使えたなら、言葉が分かった。そうすれば、奴隷商になんて捕まらなかった。だけど、奴隷商に捕まってこの地に辿り着いたから、リースに出会えた。人生、何が起こるか分からない。
「私は、魔法が使えないから。だから、凄く羨ましい。それにね、私、ずっと誰ともお話ができなくて、寂しかったんだ。だから、すっごく嬉しい」
私が笑ってみせると、リースは目を見開いて、それからにっこり笑ってくれた。
「私が、役に立てるなら、嬉しいよ」
私も、同じ気持ちだ。リースの役に立てるなら、嬉しい。良いお友達になれそうで、照れ臭くなってはにかんだ。
「あ、そうだ。さっきの怪我を治してくれたお礼に、魔法、かけてあげる」
「え? そんなこともできるの?」
「うん。上手くできるかは分からないけど、やってみて良い?」
リースの不安げな表情に、私までつられて不安になる。だけどリースがお礼をしたいと言ってくれるなら、信じたい。
「うん、お願い」
リースは真剣な表情で頷いて、私のおでこに肉球を当てる。そのぷにぷにした感触だけでかなり癒されてしまう。これがお礼でも全然良いな、と思いながらジッとしていると、肉球がなんだか温かくなった。
「翻訳」
小さく呟かれたのは、きっと詠唱。
「多分、できたと思う」
リースは不安げに言う。とはいえ、ここにいるのはリースと私の二人だけ。検証のしようもなくて、二人で顔を見合わせる。そして、どちらからともなく吹き出した。
「あははっ、でも、ありがとう、リース。きっと、これで誰とでも話せるね」
「うん。試せるときが楽しみだね」
二人で穏やかに笑い合う。リースの笑顔に心が温まる。
きっとまだ、心の傷が癒えたわけではない。両親を失って、その苦しみがこんな私とお友達になっただけで癒えるなんて。お茶を飲んだだけで癒えるなんて。そんな都合の良い話があるわけがないことくらい、誰にだって分かる。
それでも、リースが過去に苦しむよりも前を向きたいと思うなら。私はそれを全力で手助けしてあげたい。そばで、リースが笑っていられるように見守りたい。
この世界で、私にとって初めてのお友達。リースが私に対して恐怖を押し殺しながらもそうあろうとしてくれるのなら。私だって誠意をもって返すべきだ。
そして何より、私を孤独から救ってくれたことに感謝している。そのお礼がしたい。
もしも翻訳の魔法が効果を発揮しなかったとしても、リースがいてくれる。リースがいるなら、私はもうひとりぼっちじゃない。この出会いを大切にしようと誓う。
「おかわり淹れるね」
「うんっ」
折角だから。今日は、もう少し二人で過ごしたいな。
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