第18話 自称おじさん、現る
最近、リューヴさんが来ない。
なんだか不安を抱えながら丸腰庵の営業を続けていた。リースとチャムも毎日、今日はリューヴさんが来たかと聞いてくる。それだけ、この場所でリューヴさんの存在が大きくなっているということ。私もつい、初めて見かけた大岩の上を見つめてしまう。
そこにも、リューヴさんの家の方にも、リューヴさんの姿を見ることができない。もしかして、どこかで人族や魔族と戦闘になってしまったのでは。捕虜になったり、怪我をしたり。最悪、なんてことも考えて。
不安になるたびに二人分のお茶を淹れてリューヴさんが来てくれることを願っていた。
ある日、丸腰庵のドアが叩かれた。店内にはリースだけ。リースは耳を立てて、けれどすぐに残念そうに耳を垂らした。
「リューヴお兄ちゃんじゃない」
この反応、チャムでもフォスカーさんでもなさそうだ。リューヴさんと出会ったときのこともある。慎重にドアを開けた。そこには、三十代くらいのお兄さんが立っていた。この世界で、和服。始めて見た。腰の刀は、警戒しないと。
「こんにちは。ここは、山小屋かい?」
お兄さんは茶房の中をきょろきょろと見回す。
「いえ、茶房です。お茶処、と言いますか」
「へぇ。茶房。となると、あれはここからか」
お兄さんは小さな声でぼそぼそと独り言を呟く。私が首を傾げると、お兄さんは首を横に振った。
「もしかして、君もマウンティスト大陸からの移住者かな?」
「君も?」
「ああ。僕はマウンティスト大陸から、マウントニア王国へ移住してきたんだ。商人でね。この山の素材は希少なものが多いから、その採取に来たんだ」
ニコニコと笑いながらぺらぺらと話してくれるお兄さん。少し、警戒してしまう。お兄さんの視線が、ふとリースに固定される。
「おや? この子は、ネコオニ? 君のペットかい?」
その言葉に、リースの耳がピンッと立って、毛が逆立つ。私は慌てて間に割って入った。
「この子はお客さんです」
「お客さん?」
お兄さんの眉が顰められる。お兄さんは、人族か、魔族か。見ただけでは分からない。もしも人族なら、魔獣であるリースに何かするかもしれない。私に何ができるわけではないけれど、リースを庇うくらいならできる。
お兄さんは、ふぅっと息を吐く。そして、茶色の瞳がキラリと光る。私もすぐに動けるように床に踏ん張る。
「ネコオニって、お茶飲めるの?」
好奇心に満ちた茶色の瞳。私は拍子抜けてしまった。
「え、あ、はい。この子、リースはお茶が好きです。お菓子も好きですし。ね?」
「うんっ! ユイお姉ちゃんのお茶、好き!」
リースはぱぁっと笑顔になる。警戒を解いた、というよりは好きなものの話が出てきたから嬉しくなった、という方が正しそうだ。
「そうだね。リースはお茶大好きだね。おかわりする?」
「うん!」
リースはしっぽをふりふりする。私はお兄さんにも視線を向ける。
「お兄さんも、良かったらお茶をどうぞ。採取に来たなら、少し休憩して行ってください。あ、刀はこちらでお預かりします。当店は帯刀禁止ですから」
「ほう。郷に入っては郷に従え、かな」
お兄さんは私に腰に差していた三本の刀を手渡してくれた。こうも素直だと逆に不気味。商人だというのに、武士のように刀を三本も差していることも気になる。
リースと同じテーブルについたお兄さんにメニューを渡すと、楽しそうに笑っていた。
「手書きなんだね。この字は、君が?」
「いえ。リースが書いてくれたんです。私は、字を書くことができないので」
「そうなんだね。なるほどなるほど。でも、出身はマウンティスト大陸、だよね? このお茶のラインナップは、私の故郷でもあるマウンティスト大陸の東方で嗜まれているものだから」
お兄さんはそう言いながら考え込む。
「やはり、ここであれが」
お兄さんの小さな呟きにまた首を傾げる。それに気が付いたお兄さんは首を横に振る。
「この、ほうじ茶というものを。あ、でも煎茶のフレーバードティーというのも気になるなぁ」
お兄さんは真剣な顔で悩み始める。その姿はどこか少年のようで、少し笑ってしまった。
「両方でも良いですよ。ゆっくりしていってください」
「そう? ありがとう。おじさんに優しいねぇ」
お兄さん、もとい自称おじさんはタレ目を垂らして情けない顔で笑う。弱々しく見える上に、明け透けな態度。けれどそう見えるだけという可能性もある。見た目に騙されることに慣れ過ぎて、素直に信じられない。
お湯を沸かして、まずはほうじ茶の用意。
「お茶菓子は、どうしますか? おすすめはクリームドーナツです」
「じゃあ、それにしようかな」
注文を受けて、クリームドーナツを温め直す。昨日のうちに作っておいたドーナツに、生クリームっぽい樹液を泡立てて注入したもの。ほうじ茶は結構なんでも合うけれど、今日はクリーム系にしてみた。
「あ、そうでした。私は店主のユイです」
「ユイちゃんか。僕は商人の
雷火さんはにっこりと笑う。苗字がある人、この世界で初めて会ったかもしれない。
「マウンティスト大陸では、苗字があるのが普通なんですか?」
「うん。東部ではそうだね。ユイちゃんは、ないの?」
「あります、けど……名乗ったこと、なかったです。この辺りで苗字がある人に会ったことなかったので、そういうものなのかと思って」
「ふむ」
雷火さんはジッと考え込む。すぐに深く考え込むところは、少しフォスカーさんっぽい。やっぱり、個性と種族ってあんまり関係ないんだな。
「ユイお姉ちゃん、苗字って、なぁに?」
「家族を表すもの、かな。誰の家の人っていうのが分かるように名乗るの」
リースは少し難しそうにしていたけれど、一生懸命理解しようとしてくれている。こういうところがフォスカーさんがリースを可愛がりたくなる理由なんだろうな。
「それで? ユイさんの家名は?」
私の、家名。二十三年間名乗ってきた、家族との、地球との繋がり。
「
「結衣ちゃん、ですか」
ユイ。だけど、結衣と名乗ることで名前が意味を持つ。縁を結び、周囲を優しく包み込むような人になるように。両親がくれた、私の名前。
「まあ、ここではユイで良いです」
両親がくれた名前を捨てるわけではない。大切に、心に留めておく。ここでの私は、ユイ。茶房の店主で、みんなの平和な居場所を守る人。ペンネームだと思えば良い。
「なるほど。では、ユイちゃんと呼びましょうかね」
雷火さんはにっこりと笑う。ほうじ茶を淹れて雷火さんとリースに出す。二人とも熱々なまま飲む。羨ましい。
「ふむ、香ばしくて美味しいね」
「良かったです」
ホッと息を吐くと、雷火さんは少し真剣な顔になった。
「実はね、僕がここに来たのは、偶然ではないんだ」
雷火さんの言葉に、目を見開く。咄嗟にリースを庇うように立つと、雷火さんは慌てて首を横に振る。
「あ、違う違う。魔獣がいると聞いて討伐に来た、とかじゃないんだ。ただ、これが僕の店の前に置かれていてね」
そう言いながら、雷火さんはテーブルの上に小さな麻袋を置いた。そこから仄かにお茶の香りがする。
「これは、一体?」
「僕にも分からないんだ。でも、このお茶の味は確かだった。だからこのお茶の生産場所を探して、お茶を育てることができる場所を探していたんだ。その近くに生産者がいると踏んでね」
雷火さんはにっこりと笑う。やり手の商人、なのだろうか。商売のことはイマイチよく分からない。
ふと、その麻袋についている赤い髪のような細い糸が目に留まった。
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