第10話 見たいもの、見えているもの


 何がそんなに気になっているのか。フォスカーさんは私たちの気持ちを察したのか、肩をすくめて苦笑いを浮かべた。



「私は研究者だと言ったでしょう? 私は魔王様の側近として、魔王様の命令を聞く義務があります」


「その、命令ってのはなんだよ」



 チャムが眉間にシワを寄せる。急かすように足をタンタンと踏み鳴らす音に、フォスカーさんは小さく笑った。



「命令というのは、新たな兵器の開発です。この山は未開の地ですからね。ここで新たな着想を得て、兵器を作ることが私の任務なんです」



 フォスカーさんの言葉に胸がざわついた。もしその兵器が完成してしまったら。きっと魔族と人族、亜族の争いが激化してしまう。


 ただでさえ、今日、今この瞬間もどこかで三種族の争いで命を落としている人がいるかもしれない現実がある。それを助ける力はないけれど、無視するほど薄情にはなりたくない。



「ですが、正直兵器作りというのは気乗りがしないんですよね」



 フォスカーさんはそう言うと、手帳をパラパラと捲る。そこには植物のイラストがぎっしりと描き込まれていた。その効用や扱いの注意点までもが書き込まれている。軽いタッチのイラストに反して、図鑑のような緻密さがある。



「凄いですね」


「正直に言うと、私の専門は植物学なんですよ。ですから、兵器の開発をしていると言いながら、結局こうして植物の研究ばかりしています」



 悪戯っぽく笑ったフォスカーさんに、チャムも呆れたように肩をすくめた。一方の私は、ただ感心した。私が異世界図鑑に頼り切りなところを、フォスカーさんは自分の力で研究している。それは誇るべきところで、敬意を表すべきところだ。



「それじゃあ、兵器作りの研究の方は?」


「全く手をつけていません。なんなら、アイデアすら浮かんでいません。魔王様や他の側近たちにはまだかまだかと聞かれますが、そろそろそれも飽きてきましてね」


「いや、そりゃ全然作ってくれないんじゃ、みんなそう言うだろ」



 チャムがツッコむと、フォスカーさんは痛いところを突かれた、とでも言いたげに唇を突き出して笑ってみせた。



「だって仕方がないでしょう? 魔族一の研究者だと一族の讒言で魔王様の側近に召し抱えられただけですし。そんな、開発なんて専門外ですから」



 やれやれと首を横に振って見せるけれど、魔族一の研究者であるという点については真実だと思う。たった一冊の手帳を見ただけで、と言われるかもしれない。けれどそれに値するだけのものがここに凝縮されている。



「まあ、ここでこうして出会えたのは何かの巡り合わせです」



 フォスカーさんはそう言って、何やらしたり顔。



「しばらくはこの辺りで生活させてもらって、この茶房の茶畑とお茶の研究をさせてもらえればと!」



 目をキラキラ輝かせるフォスカーさんに、チャムと顔を見合わせた。この辺りにしばらく滞在するとは確かに言っていたけれど、そういう理由だとは。


 心から、思ってしまった。フォスカーさんに兵器開発の意思が無くて本当に良かった。異世界図鑑によれば、この辺りにはかなり多く兵器の材料になりかねないもので溢れている。


 火薬や毒、さっきフォスカーさんを岩盤に括りつけたあれも、かなり頑丈で弾力があるから使い方次第では武器の部品に活用できる。


 私は日本生まれ日本育ちの平和ボケした人間だから。余計に思ってしまう。誰一人として不幸にならない世界になることを。



「チャムもこの近所に住んでいますし、もう一人、リースという女の子もよくこの茶房に来てお手伝いをしてくれるんです。もし会うことがあったら仲良くしてもらえると嬉しいです」


「女の子ですか。それは楽しみです」


「は? リースに手を出したら許さねぇからな」



 フォスカーさんの言葉にチャムがぎろりと睨みつける。その気迫は、まるでリースの兄であるかのような力強さがある。フォスカーさんもたじろいで、それから愉快そうに笑った。



「妹想いの良いお兄さんなんですね。安心してください。ただ、女の子であれば感覚が鋭い子が多いので。研究を手伝ってもらえないかと思っただけです」


「性別が関わるんですか?」



 無知を晒すことを承知で聞くと、フォスカーさんは頭を掻いた。



「そうですねぇ。絶対ではなく、確率の話ではあります。男女どちらにも感覚の鋭い子や直感が鋭い子というのが一定数いるんです。そういう特殊な神経を持っている子が女の子の方が多いという統計があります」



 日本でも昔から男と女の特徴についての語り草がある。大抵は地位を脅かされた男による讒言であるという説が有力ではあるけれど、そう言いだすだけの能力差というものが存在していたのは事実だろう。



「そういう話なら、確かに、リースは直感も感覚も鋭いよね?」


「うん。リースは迷子になっても、多分こっち、で帰れちゃうし。お茶の味も、美味しいか変な味がするか、はっきり区別してくれるから」



 大抵は美味しいと言ってしっぽを揺らしてくれるリースだけど、時々製法にミスがあったり混じりけのあるものだと首を傾げてくれる。元々お茶には精通していないはずだけど、その味覚の鋭さは正確無比。いつも助けられている。



「そうですか。そんなに凄い子なら、もしかすると」



 フォスカーさんが目を輝かせる。魔王の側近の一人で研究者だと自己紹介をしてくれたとき、フォスカーさんは何か押し殺したような笑みを張り付けていた。けれど今は、ワクワクを抑えられない子どものように見える。


 側近といえば、きっと凄く高い地位だろう。よいしょしたくなるくらい一族の人たちにも良い影響があるんだと思う。


 だけどそんな地位よりも、フォスカーさんがこうやって好きを目の前にしてワクワクしている顔の方が、素敵だと思う。


 三人でのんびりと話していると、入口がノックされた。



「おや、もしかしてリースさんですか?」



 フォスカーさんがキラリを目を光らせるけれど、私はチャムと顔を見合わせた。リースが叩くより、位置が高い。それに、器用すぎる。



「新しいお客さんかな?」



 チャムが少し嬉しそうに言う。私としても、そうであればどんなに嬉しいことか。チャムとリース、もしかしたらこれからはフォスカーさんも。お客さんはそれだけしかいないのが現状だ。


 今ならもう、オバケさんだったとしても大歓迎で迎えてあげる心積もりだ。



「はぁい」



 返事をしながら、玄関を開ける。その瞬間、首筋に影が飛び込んできたのが見えた。その刹那、肉が千切れるような音と痛み。目の前がグラついて、痛みをより強く感じる。



「ユイ!」



 チャムの叫び声が聞こえた。けれど返事ができない。声が、声にならない。息を吸うのもやっとなまま、地面に倒れ込む。身体が硬い床板に叩きつけられて、さらに痛む。


 嫌だなぁ。さっき背中を怪我して、やっと薬草を塗ったところだったのに。また怪我が増えてしまった。


 やけに冷静に考えられる。けれど、身体は動かない。痛む首元が熱い。視線を床に落とせば、そこは真っ赤に染まっている。目の前が、歪む。緑、紫、赤、青。物の輪郭がぼやける。



「フォスカー! ユイを!」


「分かりました!」



 二人の足音が近づいてくるのを感じる。フォスカーさんが私のそばに座り込んだのが見える。正確には、膝のお皿が見えただけ。



「土壁!」



 チャムが魔法で私たちの周りを囲んでくれる。外から聞こえてくるのは、チャムの詠唱と、知らない声。そして、辺りに轟くような咆哮が腹を震わせた。


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