異世界で茶を沸かす
こーの新
第1話 ようこそ、丸腰庵へ
ガタガタと風で窓が揺れる。良く言えば趣のあるマンションの二階に借りた自室で、カタカタとパソコンを叩いて小説を書く。新社会人になってからも、作家デビューを目指して日々邁進中。応援してくれる両親と弟のためにも、夢を叶えたい。
突然大学時代の友人から、助けて、と電話が掛かってきた。そこまで仲が良かったのかと言われると、分からない。けれど必死な声を聞いてしまうと無視もできなくて、慌てて指定された廃工場へ駆けつけた。そこにいたのは、見知らぬ男たち。
「あ、あの……」
「ああ、来たか」
「お前も災難だったなぁ」
友人の居所を聞こうとした瞬間、ガタイの良い男たちに囲まれて、悲鳴も上げられないまま拘束された。そしてそのまま、何か注射を打たれて、意識が遠のいた。
次に気が付くと、私は暗い、火山口の中のような場所にいた。マグマのようなどろりとしたものが足元を流れていく。その中に、異質なネオンサイン。青い矢印が示す方に向かうと、気だるげに寝転がったおじさんがいた。
「あの、すみません」
声を掛けると、おじさんはよっこらせ、と身体を起こした。
「えーっと、嬢ちゃん、なんや?」
おじさんは、私の方に手を翳す。すると、私の脳から鳩の足に括りつけられそうなサイズの筒が飛び出した。それがおじさんの手にすっぽりと収まると、驚いた様子も躊躇う様子もなくポンッと卒業証書よろしく蓋を開けた。
中から出て来たのは、小さな巻物。おじさんはそれを広げて、老眼鏡らしい眼鏡を掛けて目を細めた。
「死んだんか。ほぉ、こりゃえらいこっちゃなぁ」
おじさんは一人でふむふむと考え込んで、手元にあった半紙に筆で何かを書き記した。
一方の私は、おじさんの死んだ、という言葉に首を傾げた。死んだって、誰が。ここは涼しい、地面に足が付いている感覚も、お腹が空いた感覚もある。私のことではないはず。
そうだな、本当に、お腹が空いた。ここがどこなのか聞いて、家に帰ろう。ちょっとジャンクなものが食べたい。食べ終わったら、煎茶を飲みながらチョコレートケーキでも食べよう。今日は頑張ったんだから。
腹に手を当てた。お腹空いた、と擦ろうとした。けれど、何もない。冷や汗が背筋を流れ落ちる。
「嬢ちゃん、次の人生に行く前に、その身体治してやるわ。こっち来い」
おじさんに呼び寄せられて、ふらつく足取りでおじさんの前に向かう。再び私に手を翳したおじさん。突然温かな空気に包まれて、空腹感が消えた。もしかして、と思ってお腹に手を当てると、そこにはきちんとお腹があった。
「あの、これは、どういうことですか?」
私が聞くと、おじさんは面倒そうに脇腹をぼりぼりと掻いた。
「覚えてないんか? 嬢ちゃん、大学の友達の借金のカタに身代わりにされて、腹かっ捌かれて内臓売られてん。せやから腹がなかったんやな。んで、死んでこの冥界へ送られたっちゅう話やな」
おじさんの話は、まるで小説の中の物語のようだった。私はそんな悲壮な話は書かないけれど。不思議と怒りも恨みもない。ただ、悲しい。心が抉られるような痛みを感じる。
「安心せぇ。嬢ちゃんは悪いことしたわけとちゃう。すぐに次の人生に向けて出発させたるさかい」
おじさんのエセ関西弁に心がざわつく。叶うなら、死ぬ前に戻りたい。けれどおじさんから渡された半紙には、そんな都合の良い言葉は書いていなかった。
「次の人生では、ちゃぁんと幸せになれるように、幸運補正しといたるからな。ほれ、その紙っぺら、ちゃんと握ってき」
おじさんは最後に私の肩をぽんっと叩いて、シッシッと追い払うように手を振った。
私はまた、青い矢印に導かれて歩く。足が重たい。両親と弟の顔が脳裏に浮かぶ。悲しんでいるだろうか。そもそも、私の死は家族に知らされているのだろうか。生まれ変わったら、あんなに愛された記憶も忘れてしまうのだろうか。
深くため息を漏らす。そして、顔を上げると、赤い矢印のネオンサインが輝いていた。そこにはずらりと続く行列。その最後尾に並ぶ。前にも後ろにも人がいるのに、姿が全く分からない。見えているのに、靄が掛かったように認識できない。
長々と待たされて、やっと呼ばれた。おじさんにもらった半紙を渡すと、門番らしきお兄さんは顔を顰めた。早口で何か言っているけれど、何を言っているのか分からない。外国語だろうか。
お兄さんがおじさんを呼んで、また遠くから大声が聞こえて。何が起きているのか分からないまま、おじさんが私の目に触れた。
「スコシ、ガマン。ガンバレ」
カタコトな日本語。その瞬間、激しい痛みと燃えるような熱さに襲われた。膝をついて崩れる。その瞬間、お兄さんに背中を蹴り飛ばされて門の向こうに広がる真っ白な霧の中に転がり落ちた。
そこで、ハッと目が覚めた。目の前には、見慣れた板張りの天井。身体を起こして、グイッと伸びをする。あの日の夢を見たのはいつぶりだろう。ここに来て、一年が経った。
「よし」
ベッドから降りて、服を着てからリビングへ。この世界に来たときに着ていた服以外、未だに入手できていない。ここは未開の地と呼ばれる大陸の、中心に位置する山脈を構成する山の一つの中腹。他の大陸からこの大陸へ移植してきた四か国を分断するように聳え立っている。
やかんでお湯を沸かしている間に、壁際の茶筒棚へ。ここには私が作ったお茶の葉が並んでいる。今はまだ煎茶、番茶、ほうじ茶、玄米茶だけ。これからもっと試してみたいものがたくさん。
目覚めを良くするために、朝は煎茶。急須に煎茶の茶葉を入れる。湯呑みを二つ出して、沸きかけのお湯を注いで茶器を温める。温めたときに使ったお湯はまたやかんへ。沸騰したら、熱湯を急須に注ぐ。
私の家兼職場であるこの小屋のそばで見つけた野生の茶葉から作ったこの茶葉たち。新茶ではないし、朝だから少し長めに一分半蒸らす。朝は渋いお茶が好き。二杯淹れたところで、小屋の入り口がベシベシと不器用に叩かれた。
「はぁい」
いつものようにドアを開けてあげる。そこにいたのは真っ白な毛並みとエメラルドのような瞳を持つ、ネコのような見た目の魔獣。種族名はネコオニ。普通の猫と違うのは、額から生えたエメラルド色の一本角。
今日は口にまだピクピクしている新鮮なお魚を一匹咥えている。いつもこうやって食材を取って来てくれる、可愛らしいご近所さん。
「いらっしゃい、リース」
「ユイお姉ちゃん! おはよう!」
リースは咥えていた魚を置いて、ぴょんっと私の胸に飛び込んでくる。そのまま甘えるようにすり寄ってくるから顎の下を撫でてあげると、ゴロゴロと喉を鳴らす。角と言葉を話すことに目を瞑れば、よくいる白猫だ。
「今日の開店はまだ?」
「リースが来てくれたから、開けちゃおうかな」
「やったぁ! 札回してくるね!」
四本脚で元気に走って行ったリースは、玄関から外に飛び出していく。それを見送って、私は熱々の煎茶をグイッと飲もうとして、止まる。まだ熱い。無理だ。
「開店にしてきたよ!」
「ありがとう。今朝は、リースがくれたお魚を焼こうかな」
「焼き魚! わぁい!」
ぴょんっと飛び上って喜んだリースの前に、水皿を置いて、そこに煎茶を淹れ変えてあげる。リースは喜び勇んで熱々の煎茶をぺろぺろ舐め始めた。
ちょっと羨ましく思いながら、腕まくりをして魚を捌く。料理は前世では人並み程度だった。こうして捌けているのは、異世界図鑑のおかげ。どこをどう捌くのか、目の前に液晶のようなもので表示してくれる。
この異世界図鑑は他の人には見えないらしい。この異世界図鑑をくれたあの門番さんのおかげで、今日も私は生きている。
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