第6話 揺れる情緒


 寝起きは最悪だった。寝返りを打つたびに、少し困った顔で立つリズの姿を思い出してしまうのだ。睡眠不足のまま、一晩過ごした。


「………………」


 新しい住まいとなる領地は馬車で1日程の距離のため、朝一の出発となる。


 約束どおり、日が昇る前に起こされ、侍女たちと共にリズの身支度の準備へと向かう。



 コンコンッ


 確か、和の国ではノックよりも声をかける習慣があったはず。


「セシル デス。 ハイッテモ イイデスカ」


 返事はなく、その代わりにドアが開けられる。


「っ!?」


 驚いたことに、彼女はネグリジェのまま出てきた。




 昨日着ていた異国の服はきれいに片づけられ、荷物は全てまとめられてある。


 1人で準備を? と少し驚く。


 だが、服についてはよく分かっていないのだろう。すぐに顔を背け、侍女たちに着替えを手伝うよう伝える。



「?」


 おそらくセシルの反応に困惑しているのが分かる。だが、背中越しに、なんと説明しようか……これは自国の言葉でも正解が分からない……


「あー……キガエ オネガイシマス……」






「イマカラ カミヲ キレイ 二 シマス」

「ソレハ クツデス」

「ソレハ……それはなんだ?」


「おしろいでございます」

 侍女長が答える。


「そうか……」

「…………?」



 そのまま目を閉じ、侍女にされるがままに化粧を施してもらっている。


 昨日のように……彼女の唇には紅が似合うのだがな、と内心思う。






「では……父上、長いことお世話になりました」


 長い引きこもり生活を終え、遅い一人立ちとなる。手のかかる子ほど可愛いとは言うが、8度目の我が子の見送りにして初めて、目頭が熱くなるのを感じた。



「あぁ……式で会おう」


 馬車を見送る王は、セシルが今日も胸元に黒ダイヤをつけていたことに軽く目を閉じ、亡き妻との約束を果たせたことでようやく肩の荷がおりる。


「本当に、長いことかかったものだな。リリアナ……」






 馬車の中で、昨夜寝てないこともあったが、セシルは憂鬱になっていた。




 ――どうしよう……本当に城を出てしまった……しかも、領地だと!? 無理だ、僕に領主など務まるはずもない。つい先日まで父親のすねかじりだったんだぞ? なんなら自室でずっと生活していたというのに、それがいきなり領地など……実は夫となる男が元引きこもりなど……もしバレれば、このまま愛想を尽かされて自国へ戻るに決まっている。そうすれば、国際問題? 交渉決裂? というか、そもそも長居するつもりがなくて1人できたとか?



 マイナスなことばかりが頭をよぎってしまう。


 ――まずい……さすがにそれはまずすぎる。彼女に逃げられれば、僕、いやこの国の終わりだ。大勢の民の生活がかかっているなど、重すぎる。しかも昨日、ベッドでゴロゴロしてるところまで見られてしまった……大の男が! だ……絶対引かれているだろうっ!?




 向かいに座る彼女を見る。目が合い、相変わらずにこりと微笑みを返される。そのパターンが余計に不安をあおるのだ。


 ――どっちだ!? 僕に親しみを持ちたいという微笑みなのか? それともやはり、ただの愛想笑いなのかっ!?





 本当は分かっているのだ。彼女はおそらく、逃げることなど考えていない……少なくとも今は……卑屈になり、長年自室にこもる自分とは違い、1人遠い異国の地に来た、彼女の決意が伝わってくる。





 そういえば、化粧をしていて気づかなかったが、彼女の眼に違和感を持ち、改めてじっと見てみる。


「…………????」




「クマが…………」


 おしろいとやらで隠されているが、ひどく疲れているように見える。それに、昨夜も、今朝の食事もあまり食べていなかった。




 長い船旅を終え、見知らぬ者と食事など気を遣っているのだろう、女性とはこれほど少食なのかと気にしなかったが……



「すぐに馬車を近くの町で泊まれるよう頼む」

 従者に伝え、1時間程のところにある町に止まる。



「??????」


「ツカレタ ナノデ キョウハ ココデ トマリマス」



 彼女は少し驚いた様子だったが、頷き馬車から降りる準備をする。



 セシルが先に降り、手を貸す。リズは片手でその手を取り、踏み台を降りようと一歩踏み出す。だが、裾が邪魔をし、ヒールで足がぐらついてしまったのか、大きく姿勢を崩す。


「きゃっ」

「おっと………」


 そのまま彼女を受け止める。



「……ありがとうございます」


 小声でだが……初めてリズがセシルに話しかけた。



「っ!? いや……言葉、分かるのか?」


「……………」


 下を向き、返事がない。分からなかったのか、それとも何か迷っているのか。


 少なくとも、こちらの装いで歩くことにはまだ不慣れなのだろう。マントをはおり、そのまま彼女を抱え、宿へと向かう。


「?」


 彼女がこちらを見上げるが、彼女がするように笑って返す。内心は、絶対に転んではいけないなと、人生で1番緊張した瞬間であった。

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