第37話 触られたくないダウナーギャルに触る
スポーツの秋。空が高く、乾いた風が吹くグラウンドで、私たちは体育祭に向けた放課後練習をしていた。
ところでこの体育祭というイベント、
葵のフィジカルの無さは、これまで見てきた通り。運動神経が壊滅的って訳でもないが、とにかくフィジカルが弱いのだ。具体的には力が無くて、体格が小さい。そんな葵にとって体育祭は、いかにみんなの足を引っ張らず、自分の存在感を消すかを追求するイベントなのだ。
そして私の体育祭における最大のテーマは、いかに葵にこの陰キャ殺しのイベントを楽しんでもらうかだった。いや、最悪楽しまなくてもいい。楽しめないまでも、いかに葵が体育祭を平穏に過ごせるかってことに、全力でコミットしようと思っていた。
「葵? 大丈夫そう?」
「う、うん…… ゼェ、ゼェ…… 死ぬ……」
死ぬかぁ。ちなみに今練習しているのは、三人四脚という競技。多分二人三脚の方が全国的には一般的かもしれないが、二人三脚は結局のところ、シンプルに足が速い2人が組んだら勝つ競技だ。しかし三人四脚は、素の足の速さよりも練習量が勝敗を分ける。速く走ろうとするよりも、3人でタイミングを合わせて安定した速度を維持する方が大事だ。
「ちょっと休憩にしましょうか。葵さん、本当に大丈夫?」
「うん…… コヒュー…… 死ぬ……」
私たちのチームは、私、委員長、葵の3人。考え得る限りで、最も葵に優しい布陣だ。私と委員長が両翼で、真ん中の葵をリードしながら走る。葵の小さな歩幅に合わせて、安定したリズムをキープしながら走るのは中々大変だった。
「はい葵、スポドリ買ってきたよ」
「ありがとうみーちゃん…… ヒュー…… ヒュー……」
「はい葵、酸素吸入器」
「シュゴォーっ」
葵が出場する競技でやばい競技は3つある。大縄跳びとムカデ競走と三人四脚だ。これらの競技は、一人の失敗がかなり悪目立ちしてしまう。だから私が全力でサポートしながら、ひたすら特訓するしかない。大活躍するための特訓ではない。葵が自分の出番を、無難に終わらせるための特訓だ。
「お、あおさんへばってる。頑張れー」
通り過ぎ様に、
「そうだ。結愛、時間空いてるならムカデ競走の練習付き合ってよ」
「いやちょっと休憩してるだけだから、そこまで時間ない」
「うーん、じゃあ騎馬戦の組み方だけちょっとだけ」
「それならまぁ……」
正直、騎馬戦はあまり勝敗で悪目立ちするような競技じゃないので、練習の優先度は私の中で低かった。ただ安全面のことも考慮して、取り敢えず組み方だけ練習しておいても損はないと思った。
さて、騎馬戦は体格が小さくて軽い人を上に乗せがちだが、それは大きな間違いなのだ。そうではなくて、背が高くて手が長い人を上にした方が強い。騎馬戦の一対一における勝敗は、ほとんどリーチの長さで決まる。
そう考えると私たちの騎馬は、結愛を上に乗せて無双してもらうのが理想形だった。しかし、
「むりむりむりむり! 絶対無理!」
こんな感じで結愛が全力で嫌がったので、私たちはその理想形がとれなかった。
ここで結愛の“スキンシップ嫌い”を、もう少し踏み込んで説明しよう。彼女が他人と触れ合うのを嫌がるのは、端的に言えば自分のことを「汚い」と思っているからだ。一般的な潔癖症とは真逆とも言える、ある種の強迫観念。自分の周囲のものを汚いと思うのが潔癖症なら、結愛は自分が汚いから触れられたくないのである。
騎馬戦で上に乗る人は裸足になって、下にいる人の手に足を乗せるが、足の裏とかは特にNGだ。一般的な女子高生だって、自分の足の裏の匂いとか汗とかがまぁまぁ気になる。だから結愛にしてみれば、絶対に触れられたくない箇所だった。
結愛の名誉のために言っておくが、決して彼女は特別足の裏が臭かったり、ましてや汚かったりする訳ではない。むしろ体臭は薄い方だ。でもそんなことは関係ない。潔癖症の人にいくら「そもそも人間には何種類もの常在菌がいて」みたいな理屈を言っても、それはそれとして電車のつり革とかに触れるのを躊躇ってしまうのと同じだ。
まぁ何が言いたいかというと、結愛が上に乗る案は絶対に無しだ。これは親友である私の決定でもある。
「葵どう? 大丈夫そう?」
「うん…… 落ちたりはしなさそう」
すると必然的に、葵が上ということになる。結愛と葵が2人とも下だと、身長差があり過ぎて騎馬が安定しないからだ。なので委員長を先頭に、両翼を私と結愛にして土台を組んで、その上に葵を乗せるのが一番安定した。
「騎馬戦は大丈夫そうだね。結愛ありがとう」
休憩中に練習に付き合ってくれた結愛にお礼を言って、騎馬を崩す。理想形ではないけど、実はこの組み方にもちゃんと勝算はあるのだった。
まぁそれよりも今は三人四脚だ。再びリレーの練習に合流する結愛を見送って、私たちは三人四脚の練習を再開した。
…………
……
…
「葵見て! ゴーファイウィン!」
「ゼェ…… ゼェ…… うん……」
渾身のチアリーディングを披露したのだけど、「うん」です、か……。私は競技の間のチアリーディングにも参加する予定で、実は放課後とかに結構練習していた。しかしまだまだ修練が足りないのかもしれない。
そんな感じで葵の回復を待っていると、リレーの練習をしていた人たちが、なにやらざわざわしているのに気付いた。よく見ると、砂まみれになった結愛が、体操着をはたきながら立ち上がっているところだった。転んでしまったのだろうか。
さすがに転んでしまっただけで泣いちゃうようなやわな子ではないが、ちょっと心配になって、様子を見に行ってみることにした。
周りの人に聞くと、どうやら前走の人がバトンを渡す際に躓いてしまい、巻き込まれる形で結愛も一緒に転んでしまったらしい。大事じゃなくて良かったと安心したが、結愛の膝から少しだけ血がにじんでいたことに気付いた。そして一緒に転んだ時に付着してしまったのか、躓いてしまった子のジャージにもちょっとだけ赤黒い染みが。
まずい、と思った。
「あの、ごめん…… 血が。今すぐ洗って」
「これくらい全然! それよりこっちこそ本当にごめんなさい!」
他人のジャージに自分の血をつけてしまったことを謝る結愛と、そんなことより自分のせいで転ばせてしまって、怪我までさせたことを謝る隣のクラスの女子。しかし結愛にとっては、全然「そんなこと」ではないのが、私にはわかった。隣のクラスの女子が、自分のジャージについた結愛の血を手で拭おうとすると、
「触らないで!」
結愛が聞いたこともないくらい切羽詰まった様子で叫んで、周囲がにわかに騒然となる。そして次の瞬間には「しまった」というような表情を浮かべる結愛の元に、私は急いで駆け寄って、
「結愛、ちょっと」
「え?
「いいからちょっと来て」
半ばパニック状態になっている結愛を起こして、保健室に連れて行く。他のリレーの選手や前走の子には、「全然大したことないこと」であることを説明しておいた。
…………
……
…
保健室の椅子に結愛を座らせて、膝の傷を消毒して絆創膏を貼る。保健室の先生はちょうど出払っていて誰もいなかったので、私が治療をした。
「ありがとう美樹…… でもごめん。あたし、すぐ戻ってあの子に謝りにいかなきゃ……」
他人に自分の血が付く、ということは、結愛にとってはものすごい“大したこと”だった。結愛はこの世の汚いものは、全て自分から出ているみたいに思っている節がある。
何か過去にトラウマがあってこうなった訳でなくて、単純に結愛がこういう性質ってだけだ。ちなみに結愛は自分のビジュアルが恵まれていることは自覚しているので、醜形恐怖症などともまた違う。だから一言で言えば、これは多分結愛の中の“世界観”みたいなものだと思う。他人の家のベッドに座るのはOKだったり、飲み物の回し飲みとかも大丈夫なのが、また不思議なところだ。
でも自分の血に他人が触れるのは、完全にNGだ。多分結愛の中では、足の裏に触れられるとかよりもずっと恐怖を感じる出来事だろう。想定しうる中で、最悪の事態だと言っても過言ではない。
だから私は、何かに急かされるように椅子から立ち上がろうとする結愛を、後ろから拘束するように抱きしめた。
「やめて…… 離して。あたし今汗かいてるから。汚い」
「大丈夫。汚くない」
汗をかいたのに抱きつかれるのも、結愛にとってはかなり嫌なことだ。でも最悪ではない。最悪ではない嫌な行為で、最悪を塗り替える。
「美樹、これ以上は怒るよ」
「いいよ。いっぱい怒って」
「わかった。もう落ち着いたから。だからもう大丈夫」
こういう時の結愛は、普通に嘘をつく。だから彼女の言葉は一切聞かない。私は結愛の薄い胸に手を当てて、早鐘のように脈打つ心臓が静まるのを、ただ待った。
「大丈夫。結愛は汚くない。すごい綺麗。いい匂いがする。だから大丈夫」
私のこの言葉にも、実はあまり意味なんてない。「汚くない」って言って、結愛が本当に心の底からそう思えるなら苦労はしない。トマトが嫌いな人に、いくら「トマトって美味しいよ!」って言っても、食べてみたら結局まずいと感じてしまうのと同じだ。
でも、結愛の心臓の音が徐々に正常に戻っていくのを感じた。発作的なパニック状態からは脱したようだ。
「結愛様、落ち着いた?」
「うん…… 不思議と」
私は精神科医とかじゃないからこの方法が正しいのかなんてわかんないけど、それでもこれで結愛が落ち着くのは知っていた。結愛は今15歳だけど、私は一周目の世界も含めれば15年以上も結愛と過ごしてきたのだ。多分今の彼女自身が知らないことも、私は知っているだろう。
「美樹ってたまにすごいね」
「そう?」
「うん、なんかママみたいだった」
「ママかぁ……」
その評価はなんかちょっと嫌だな、と思った。老けてるって言われてるみたいで。
「ねぇ美樹、私の背中、ちょっと触ってみて」
「いいの?」
これは一周目の世界でも無かったことだった。結愛の方から触ってみてなんて言われたことは、私の記憶の中には無かった。私は言われたとおり、座ったままの結愛の背中をさすってみる。
「どう?」
「なんか、あんまり嫌じゃないかも」
「良かった」
私は結愛の性質を治療したいみたいに思ったことはないけど、結愛自身はひょっとしたら改善出来れば、みたいなことを少しは考えているのかもしれない。私は精神科医ではないけれど、彼女がそう思うなら、寄り添って応援してあげるくらいは出来そうだった。
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