レーゾン・デートルの炎上

はじめアキラ

<第一話>

 もやもやした気持ちを抱えたまま、小百合はいつもの古書店に入った。

 いらっしゃい、と半分あくびをしながらいつもの年老いた店長が言う。受付から、こちらに視線を向ける様子もない。小百合にとってはそれがむしろ有難かった。今の自分はきっと、人に見せられないような酷い顔をしているに決まっているのだから。


――どうして、あの子なの。どうして。ねえ、どうして?


 事務の仕事をしながら、小説を書き始めて既に六年あまりが経過している。小説家を志して、一体いくつの公募に挑戦したことだろう。WEBのコンテストにだって、応募を繰り返した。小百合ちゃんは作文が上手ね、将来は作家になるの?――先生や家族に何度もそう言われて、調子に乗ってしまったのが始まりだったかもしれない。

 自分にはきっと、文章を書く才能がある。

 そして自分の作品は、世間に出してさえ貰えれば他の誰よりも面白いものとして評価してもらえるに違いない。

 先生や家族、友人に周囲に褒められ続けた経験は、小百合に大きな自信を生んでいた。応募さえすれば、きっとすぐにどこかの賞で拾って貰える筈である。二十代で作家になったら、珍しいというほどではないにせよ、きっとみんなにもっともっと褒めて貰えるし喜んで貰えるに違いない。

 だが、現実はそう簡単なものではなかった。小百合は先日の誕生日で、ついに三十歳になってしまった。そして小百合の応募した作品は――今まで、どの公募にもコンテストにも、名前が載ることがなかったのである。

 入賞はもちろん、佳作にも、それに準ずる優秀作品にも。

 三十作品に選評が貰えるWEBの短編コンテスト、百作品に選評が送られてくる長編の公募。送った端から、小百合の作品は落とされて、日の目を見ることはなかった。選評もレビューも殆ど貰えないので、結果として何が駄目だったのかもわからない。


――私の作品は、面白い筈なのに。何でみんな、私なんかより他の人の作品を褒めるの?


 自分が応募したコンテストの大賞受賞作品なんて、絶対読む気にはならなかった。他の人の作品が運営にベタ褒めされているのが我慢ならなかったのである。

 何より、読むまでもなく自分の方が面白い筈だと信じていた。評価されないのは、編集側の目が曇っているからに違いないのだと。


――悔しい……悔しい悔しい悔しい!私の作品は誰より面白いハズなのに、みんなそうやって褒めてくれたのに!面白くないはずがないのに!!


 何よりも腹立たしいのは。SNSで知り合った友人。小百合が登録し、いつもコンテストに参加している投稿サイトに一年前に登録したばかりの彼女が――小百合を差し置いて、たった一年で長編コンテストの大賞を受賞したことである。

 そのコンテストは、出版社と提携し、書籍化を約束するものだった。小百合が六年かけて指先すら掠らなかった夢に、彼女はたった一年で到達してしまったのである。

 その発表があったのは、ついに昨日のこと。

 どうして彼女が。何故自分じゃなくて、あんな新人が!

 嫉妬と憎しみで心臓が爆発しそうだった。小百合はイライラを持て余し、会社を欠勤して今日この場所に来たのである。

 どうしても許せないことがあった時。どうしてもムカムカしてしょうがない時。いつも小百合は、この『ラクナン古書店』にやって来るのである。年配の男性店主が一人で経営し、崩れ落ちそうなほど大量の古書で囲まれた――この場所へと。


――ああ、本がいっぱい。……私の本も、いずれこうやって棚に並べられる筈なのに……。


 古書の独特な臭いを嗅ぎ、狭くて暗い本棚の間を歩いていると自然と気持ちが落ち着いてくる。

 作文を書くのが好きで、人にしょっちゅう見せていたのも――元々は、本が好きだったからだ。新しくて若い作家の作品など読む気にはならないけれど、此処には大昔の偉人から大御所の純文学まで多種多様な“まともな本”が並んでいることを知っている。最近の、チャラチャラして頭の悪い文章ばかり書く連中とはまるで違う。此処にある歴史ある本こそ、小百合が目指し尊敬する『本物』の書籍なのである。

 純文学とライトノベル、文芸に差などないと言う人がいる。小百合はそうは思わない。

 まともで、頭の良い人間だけが理解できる真実の書籍だけが、純文学と呼ばれて称えられるべきであるはずなのである。自分の小説が評価されないのは、その純文学である己の作品を理解できる知的な人間が減ってしまったからに違いない。やれファンタジーだのチートだの、どうしようもないライトノベルばかりが流行っているからと、そういうものばかりチヤホヤされる現状が小百合は残念で仕方なかった。


――ファンタジーだったとしたって、頭の良い本物の作家が書いた作品なら、ちゃんと純文学と言えるレベルに落ち着いてるのにね……。


 そんなことを思いながら突き当たりを曲がり、ファンタジー系列の本が並ぶゾーンへと足を踏み入れる。

 この古書店に通い始めてから長いが、だからといってこの古書店に並ぶ本すべてを網羅できたはずもない。まだまだ此処にはお宝が眠っていると確信していた。小百合が一番好きなのは恋愛小説だが、『純文学』でさえあるのならファンタジーでも全然構わなかった。今はとにかく、あんんな女が書いたものよりもずっと面白い(彼女の作品は一行たりとも読んではいないけれど)まともな小説さえ読めるなら、何でもいいと思っていたのである。


「あら?」


 思わず、声が漏れた。その本はなんとなく、小百合の眼には光り輝いているように見えたのである。

 赤い――赤い背表紙の、本。ただ、文字らしきものは背表紙のどこにも書かれていない。


「よいしょ……!」


 少しだけ背伸びをして、高い場所にあったその本を抜き出した。そしてその本が、背表紙どころか表紙にも裏表紙にも文字が書かれていない事実を知る。


――何かしら、これ。バーコードも、ISBNも無い……。


 値札は一応貼られている。二百円。辞書のように分厚い本なのに、妙なほど安い。まあ、古い本であるようなので、コンディションを見て値段が下げられた可能性はあるが。

 ちなみにISBNというのは、世界共通で本を識別するための番号である。原型が始まったのは1965年のイギリスであるらしいが、日本にその仕組みが渡ってきたのはだいぶ後になってからのことだ。枠組みに参加したのは1981年だが、昭和の頃の本などにはまだ徹底されていなかったのか、昔の本にはISBNの番号がついていないものも散見される。一般に流通した、やれ芥川賞や直木賞を受賞した作者の作品であってもそれは同様だ。

 また、これは非売品の本や、一部自費出版の本にはついていないコードでもある。個人が発行する同人誌などを見ればわかりやすいだろうか。本屋でつけるバーコード以外に、本そのものにバーコードがついていないし番号もつけられていないので明白である。

 ISBNの規格は、2006年までは十桁だった。今では十三桁の規格が制定され、2007年以降完全施行されている。つまり現代の本でそれがついていないということは、よほど古くてISBNの規格が決定される前であるか、あるいは非売品であるかのどちらかということになるのだが(余談だが、非売品の本は古本屋などでも買い取ってくれないことがあると聞いている。この本屋はかなりゆるそうなのでその限りではないかもしれないが)。


――頑丈な作りね。カバーも凄く硬い。……古いけど、全然安いものじゃない。でもどうしてタイトルが無いのかしら。


 引き寄せられるように小百合は、その最初の1ページを開いてみた。

 そこには、真っ白な扉に、一文だけ真っ赤な文字が印刷されている。




『あなたには、何を犠牲にしてでも、叶えたい願いはない?』




 ごくり、と。思わず唾を飲み込んでいた。

 不思議な感覚だった。たった一文読んだだけだ。それなのに私は、この本が本物だということを確信してやまなかったのである。

 小走りで、時折本棚にぶつかりそうになりながらカウンターへと本を持っていった。


「これ!」


 私が声を出すと、半分うたた寝をしていた店長はびっくりしたようにがばりと身を起こした。


「この本、どうしたんですか?何処で手に入れたんですか!?」

「わ、わ!何だい何だい、どうしたんだい嬢ちゃん」


 私はこの古書店の常連であるし、むしろこの店に来る中でもトップクラスに本を買っているという自負がある。こんな言い方をしてはなんだが、この本屋がある場所は寂れた商店街のはしっこもはしっこ、人通りそのものが乏しい場所なのだ。この店の存在に気づいていなければ、わざわざ来る人もいないであろうところにあるのである。

 だから、この店主と話をしたことも一度や二度ではない。いつも仕事をしているんだかしていないんだかわからぬご老人ではあるが、私の顔を覚えていないはずはないのである。いつものお嬢さん、であるからこそ入ってきても気にされないのだと個人的には思っているほどだ。


「この本です!ファンタジーのところの、書架にあったんですけど……タイトルも著者名も書いてなくて、ISBNもなくて!本当にこの本、二百円で売って下さるんですか!?」


 矢継ぎ早に尋ねると、彼は眼をしばしばとさせた後、私の持っている本を受け取った。そして表紙を見、裏表紙を見、訝しげに首をかしげている。


「う、うん?こんな本、入荷したかねえ……覚えがないんだが。あ、でもこれは確かにウチで貼ってる値段シール……うーん?」


 彼の顔は明らかに、こんな本が欲しいのかい?と言っている。

 私は焦れったくなった。この本の価値がわからないなんて、何て虚しいのだろう、と。――どうして自分がこんなにもこの本に魅了されているのかさえわからないのに、何故だかそう思えて仕方なかったのである。


――ああ、でも本の価値に気づかれてしまったら、値段上げられちゃうかも。というか、売って貰えなくなっちゃうかも……!


「タイトルも何もない……これが欲しいのかい?何、知っている本なのかい?」

「知らないわ。知らないけどっ……」


 何も知らない筈なのに、私は確信していた。この本は――魔導書に違いない、と。そして。




「作者は分かるわ。……アルルネシア。災禍の魔女、アルルネシアよ」




 何故か、本の何処にも書いていなかったはずの情報が、私の頭に浮かんでいたのだ。

 何か、見えない力に囚われるように、引っ張られるように――あるいは、魔法にかけられたように。


「この本、買います。……買わせてください、お願い!」


 それは、誰かによって意図された、仕組まれた出会いであったのかもしれなかった。

 私がそう叫んだ瞬間、本の中から湧き出すように――女性の、甲高い笑い声が聞こえたような気がしたから。 

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