第13話 抹消者名簿と、残響する番号

 校長室の奥に、開かずの棚があった。


 扉は重く、鍵はかかっていなかったのに、なぜか“拒絶感”だけが漂っていた。


 けれど、今の僕にはもう、制度の視線は届かない。

 名前を失い、肩書きを失い、記録者としても分類されていない。


 だからこそ、触れられる場所がある。


 棚を開けると、中には古びた端末が一台だけ、静かに眠っていた。


 表面は煤けていて、いつ焼かれてもおかしくなかったはずなのに、

 それはなぜか“焼かれずに残された”ような雰囲気を纏っていた。


 電源を入れると、画面がゆっくりと立ち上がる。

 パスワードはかかっていなかった。


 ファイル名:《抹消者名簿》


 僕は、迷わず開いた。


 画面に並んでいたのは、ただの数字だった。

 名前は一切記されていない。

 並んでいたのは、何百という“番号”だけ──


 0172

 0831

 1701

 0423

 0000


 数字の羅列。


 だけど、その中にひとつだけ、見覚えのある番号があった。


 0423──

 それは、かつて僕が使っていた職員コードだった。


 ページをめくるように、番号ごとの記録ログを開いていく。


 どれも、形式は同じだった。


 主観記録:あり


 観察記録:逸脱


 処分理由:基準値以下の客観度


 結果:記録抹消


 けれど、ある記録の末尾に、異なる記述があった。


 《再燃処理中》


 僕の目が止まる。


 何度見ても、確かにそう書かれていた。


 抹消されたはずの記録が──

 まだ、制度の中で“何か”に引っかかっていた。


 それは、僕の番号だった。


 僕は、震える手でそのログを開いた。


 “0423”──それはかつて僕を記号化していた番号。

 名札が消え、名前が記録から抹消された今、

 制度に残っているのはこの番号だけ。


 だが、ログの中身は空白ではなかった。


 最初の記録は、見覚えがあった。


 教室の一角で──

 立ち歩いた児童に話しかけられた場面。


 それに対し、僕はこう記していた。


『この子は、問いを探していたのだと思う。

 答えではなく、自分の声を出せる場所を。』


 当時は、これが“逸脱”とは思っていなかった。

 でも制度は、これを“主観干渉”として処理していた。


 ページを送るたびに、僕が記した記録が次々と現れた。

 だが、そのすべての末尾に──同じ文字が追加されていた。


 《客観性検知:過剰共感により失格》


 《記録保持:非推奨/再起動監視対象》


 そして、最新の行に表示された文字は、こうだった。


 《記録者コード0423:再認証申請を検知》


 ──再認証?


 僕はそんな申請をした覚えはない。


 けれど、思い当たる瞬間は、あった。


 あの夜。

 校長室で、もう一度記録を始めた──あの瞬間。


 あれは、“制度から見れば”申請だったのか。


 不意に、画面が切り替わる。


 新たなファイルが、勝手に開かれた。


 タイトルは、《再燃候補者一覧》

 その最上段に、僕の番号があった。


 そして、こう書かれていた。


《再燃監視中──アクセス履歴:校長室/記録再起動/主観率45.2%》


 制度は、僕を“見ていた”。


 そのとき、どこからか小さな声が聞こえた。


「……やっぱり、消しに来るね。」


 振り向くと、マッチくんがいた。


 床に座って、ノートの灰を指でかき混ぜながら、つぶやいた。


「火ってさ、ちゃんと消さないと、すぐ再燃するんだよ。」


「だから制度は、“最後まで”焼こうとするんだ。」


 僕は、胸の奥で何かがチリ、と音を立てるのを感じた。


 これはただの“過去の記録”じゃない。

 これは今、制度が僕に向けて“次の処理”を始めているということだ。


 僕は──まだ、“記録されていた”。


 《再燃監視中──記録者コード0423》


 その文字が、画面の奥からこちらを睨んでいるように見えた。


 番号──

 制度にとって、僕の名前はもう必要ないらしい。


 “名前のない者”は、責任を問われず、意見も記録も求められない。


 けれど“番号のある者”は、まだ制度の管轄にある。

 つまり、僕はまだ──捕まえられる側だった。


 マッチくんがぼそりと呟いた。


「番号で呼ばれた時点で、それは“制度の手のひら”ってことだよ。」


「名前は奪われても、番号は付けられる。

 そのほうが、処理しやすいからね。」


 僕は問いかける。


「じゃあ、完全に消えるにはどうすればいい?」


 マッチくんは、しばらく黙ってから、こう言った。


「“番号すら持たない者”になるしかない。

 つまり、“記録されることすら拒む”生き方。」


「でも、それって……

 ほんとうに、生きてるって言えるのかな?」


 その言葉が、深く刺さった。


 “記録されない”ことが、自由なのか。

 それとも、“存在を許されない”ということなのか。


 僕はもう一度、ノートを開いた。


 この記録が、また“制度にとっての火種”になるのだとしても──

 それでも、書きたい。


 名前はなくても、番号でもなく、

 “僕という視点”で、世界を記録したい。


 制度の記録ではなく、

 自分の記録として。


 画面が、再び切り替わる。


 《再燃対象:観察中》

 《記録抑制処理:準備中》


 その横に、ひとつだけ新しい項目が表示された。


 《記録ブロック回避率:上昇中(45.2% → 58.6%)》


 僕の書いた言葉が、“制度をすり抜け始めていた”。


 マッチくんが、ニッと笑った。


「ね。やっぱりさ、火ってしぶといよね。」


「灯された火は、誰かに見られるまで、燃え続けようとするんだ。」


 僕は、そっとノートの角を指でなぞった。


 制度に管理されない、でも確かに“ここにある”記録。


 誰にも認識されなくても、

 それでも灯る──僕だけの火。




---------------------


この記録の裏側について、

少しだけ“僕自身のこと”として語ったものがあります。


noteの「燃えかすマッチ」で、検索してみてください。


書き手の火が、どうやって灯ったのか──

もし気になったら、そちらものぞいてもらえたら嬉しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る