第28話【万能の奇跡】
「間に……合った……!」
「テディ……くん、なんで……?」
崩壊を始めたエマの精神を引き戻したのは、テディ・クラークという男だった。息を切らし現れたその男は、子犬が喘ぐように息を吸うと、額に浮かんだ汗を拭った。穏やかで優しげな彼の顔が、この瞬間だけとても凛々しく見える。
「フローラさんが教えてくれました。『声色的にパニックになっているから、ちゃんと確認した方が良い』と……!」
すっかり日も落ちて暗くなった頃合。避難所の入口に現れたテディという男は、紛れもなく、エマにとっても英雄であった。
「あ……うん、ありがとう……」
エマは驚いたような、それでいて安堵したような声を漏らすと、自らの口元に手を添える。彼女の無意識の内に眉が下がり、呼吸に僅かな揺らぎが生じる。全身の力がゆるゆると弱まっていく、錯覚……いや、明確な変化。
(私、もう無我夢中で、とりあえず目の前のことに集中してって……でも……そういう私の行動が、かえって皆に迷惑かけてる)
急に、ぼんやりとエマの視界が霞み始める。
「これは、脊椎損傷……! 回復魔法で治せるかな……」
テディの声が、遠く聞こえる。
潜る。潜る。深いところに。それは、彼女なりの防衛本能。
(私……何の役にも立ててないな……)
彼女の抱いた無力感が、エマの精神に変化をもたらす。
見ているようで、見ていない。聞いてるようで、聞いていない。彼女の心は世界を離れ、少し、心に安寧をもたらす。
(ああ、もう考えるのはやめよう。私は、ここじゃ役立てないから)
エマの現実逃避が加速する。無力感に、足を取られる。
しかし。
「く……回復魔法が効かない……!!」
「えっ……」
テディの切羽詰まった声に、エマは強制的に現実に引き戻された。「私は十六等星である」、その無意識にも近い自覚と責任が、一瞬で彼女をクールダウンさせ、その行動に意識が重なる。
「はい、これ治癒力を高める薬! ノエルも今呼んでるよ! あ、あとはどうすればいい!? オーダーある!?」
エマは早口でそう捲し立てると、即座にテディに視線を向けた。彼女の視界に映ったのは、いつも穏やかなテディの焦った横顔。一瞬。本当に一瞬だけ、エマの胸中に不安が過ぎる。
「回復薬は効きません! ノエルさんの処置で助かるかも怪しい……連絡が来れば嬉しいですが、延命処置でもあと5分が限界ってところですっ……」
「そん、な……」
そして、絶望的な現状報告。
エマは縋るように通話用水晶を見るも、ノエルが通話に応じることは無い。その微弱な魔力の振動が水晶を揺らす度、エマの心もまた揺らいでいく。
「ど、どうしようっ……」
今のエマには、この状況を打開する策は無い。頼れるのは、隣に立つテディだけ。どうしても縋るしかない状況でエマが視線を彷徨わせていると、隣から、酷く落ち着いた声が響いた。
「……エマさん。離れてください」
「……え?」
テディは、エマが今まで聞いてきた中で最も硬い声を発した。テディと視線を通わせようとするが、彼は何やら真剣な表情で下を向いていた。
エマがつられて下を向くと、テディの右手がスルリと動いた。彼が腰に下げたポーチから取り出したのは、短く、鋭い銀色の物。
一般的には、暗殺や諜報時に使われる――……
「あ…………え……?」
綺麗な、小型のナイフだった。
エマの混乱を他所にテディはふぅっ、と息を吐くと、そのナイフを高く振り上げる。と同時に自身の左腕をナイフの真下に差し出し、一切の躊躇いも無く振り下ろす。
(え、え? え……?)
目の前で起こっている現実に理解が追いつかず、エマはその目を見開いた。しかし、エマの身体は本能的に動き、駆ける。飛ぶ。軌道をずらす。
「だ、ダメェぇぇーーーー!!!」
「っ、うわあっ!? ちょ、エマさん!?」
大胆にボディタックルを仕掛けたエマは、テディと一緒に地面に倒れ込む。テディの情けない悲鳴と一緒に転がる2人は、そこだけ見れば子犬のじゃれ合いだ。
しかし。
「エマさん! 何するんですか!? 危ないじゃないですか……お怪我は!?」
即座に起き上がったテディの声音は、じゃれ合いとは程遠い雰囲気を纏っている。一刻を争う事態の中で、エマが自身を邪魔してきた意図が、理解できていないのだろう。
「ちょっとナイフで切っちゃったけど、あとは大丈夫……」
「そ、そうですか……」
テディは少し表情を和らげると、再びナイフを手に取った。
流石のテディとて、この状況では若干の冷静さを欠いているようだ。まだ19歳の若き十六等星がここまでやれていること自体が素晴らしいのだが……
「大きな怪我が無いなら何よりです! では……」
「っ、うわあ!? ちょっと待って! なんでまたナイフ刺そうとしてるの!」
「えぇっ!?」
自身をナイフで切りつけるという自傷行為が、どれだけ異常かを理解する余裕は無かった。
慌ててエマが制止したから良いものの、あと数瞬対処が遅ければ、ここに真っ赤な華が咲いていたことだろう。エマはその未来を想像しゾッとすると、テディの腕からナイフを奪おうともがいた。
「離してください! 危ないですよ!」
「そっちこそ離して! なんで自傷行為しようとしてるの!?」
「自傷っ……!? 違います! 僕は自分が傷ついた分、回復魔法の威力を高められるんですっ!!」
「そ、そうなのっ!?」
テディはそこまで言い終えると、ナイフを離してエマの目を見た。
「すみません、説明不足でしたね。ご心配ありがとうございます。もう時間がありませんし、エマさんは気にされるでしょうから……あっちを向いていて貰えますか」
テディは困ったような笑みを浮かべると、屈んでナイフを優しく拾った。エマが無意識にその動きを追うと、ほんの僅かに、テディの手が震えている……気がした。
(あれ……。テディくん、もしかして怖がってる……?)
エマは改めてテディに視線を向けるが、その表情に怯えや恐怖といった感情は見当たらない。むしろ、どこか穏やかな表情で、ナイフを握り直しているようだ。
(……気のせい、だったのかな……。いや、でも確かに震えて見えた。どうしよう……でも、この人を救うにはそれしかない……)
ぐるぐると、エマの脳内にあらゆる思考が溢れだす。視界に映る全ての事柄に、意識を持っていかれそうになる。鋭利なナイフ。優しい少年。今にも消えそうな、1つの命。
(ああ、私ってなんて無力なんだろう……テディくんはこんなにも頑張ってるのに。私、さっき邪魔しちゃったし、迷惑な人だと思われたかなあ……)
エマの心の遥か遠くに、耳馴染みの無い音と声の存在を感じる。
(なんで私って
遠くに、再び耳馴染みの無い音と、確かな彼の声がする。
「ぐっ……うっ……!! 『
それは、紛れもなく少年の悲鳴。肉を裂き、痛みを堪える、若き十六等星の命懸けの声。エマが尊敬する仲間であり、そして、最も嫌いな状況がそこにはあった。
「っ……テディくん、もうやめよう……! テディくんが死んじゃうよ!」
エマ・マーベルは無力である。彼女には人を癒す奇跡も、この状況を変えられる策も無い。目の前で傷つく誰かを見てられない、ただそれだけの平和主義者。慌ててテディの右腕を掴むが、それでは彼は止まらない。
テディは血にまみれた左手に視線を落とすと、殺気立った眼光でエマを見上げた。その瞳に一切の穢れは無い。テディはどこまでも純粋な、覚悟の光でエマを睨んでいた。
「離してください!! エマさんは……エマさんはこの方の人生に責任が取れるんですかっ!?」
「えっ……」
テディは鋭く、迫力のある声でさらに続けた。身体の震えは、もう見当たらない。
「僕は、責任なんて取れません!! この人にはもう僕らしか居ないんです。もしこの方が死んでしまったら……僕はその後悔を一生引き摺っていく! だったらっ……誰も幸せにならないなら、死んでも生かすしかないじゃないですか!!」
誰よりも優しい光を持った碧眼に、僅かな揺らぎと濁りが生まれる。それは、19歳の少年らしい、素直な感情の発露だった。
「そんな……。だって、テディくんが死んだら……ソフィアちゃんはどうなるの? 十六等星だって……誰が避難所の人々を救うの?」
エマは、自身の声が徐々に震えていくのを自覚しつつ、絶対に言わないでおこうと思った一線を踏み越えていく。それは、十六等星としては最大の
「私は、誰に頼ればいいの……? ねえ、テディくん、おかしいよ…………」
エマがしまった、と思った時にはもう遅かった。テディは零れる血と涙を気にも留めず、震えたような、引きつった声を上げた。
「……はは、そうですね、僕はもう……おかしくなってしまったのかもしれません。どれだけ助けたいって思っても、残念ながら助からないこともある。この感謝より非難の目立つ救助活動は……僕には、向いてなかったみたいです」
テディは血液の溢れる左手に手を添えると、今度はまた違った感情でエマを見る。テディは声に一層力を込め、かえって泣きじゃくったような声を出す。
「でも、それが十六等星です! 僕らは皆、どこかがおかしい! おかしくないと最強になんてなれないし、ましてや人々の期待には応えられないから! っ……おかしくないと、僕らはもう……! 最強の英雄では居られないんです!!」
ボロボロと宝石よりも純粋な涙を零し、テディは想いを吐き出していく。まだ弱冠19歳の十六等星には、この災害現場は荷が重すぎた。年相応の、迷いを浮かべたその表情は、彼らしく、同時に最も彼らしくない表情だ。
「テディくん……」
エマは何を口にしようか迷いつつ、テディのことを見つめ返す。非常に痛ましい姿の少年と、ほんの少しの傷しか持たないエマ。明確な違いを持つ2人に流れるのは、同じ無力感なのだという。
(……なんだ。皆、一緒なんだ。それぞれの得意分野でも、悩んで、苦しんで……)
ドクン、とエマの鼓動が変わる。エマの精神が、安堵に包まれる。
(ああ。本当はもっと皆幸せに生きれたはずなのに……どうしてそうならないんだろう?)
テディが乱雑に涙を拭って、回復魔法を展開する。
(そうだ。全部、神様のせいだ。皆と私が元気を失くしていったのは、神様に負けたあの日からだ。じゃあ、私がもっともっと強くなったら……皆、楽しく生きられるかな?)
エマはゆっくりと歩みを進め、テディの正面に座り込んだ。それは、残り僅かな命の灯火を持った男の傍だ。
エマは、自分が無力であることをわかっている。しかし、それでも助けたいと願う、それこそが彼女らしさだった。
(私は無力だ。この場で1番。私はテディくんにはなれないし、本来は回復魔法も使えない)
ドクン、ドクン、ドクン。
エマの精神が高揚状態に入り、脈拍が増加する。彼女の内に眠る何かが、その精神から解き放たれる。
(でも、好きな魔法が使えないなんて「自由」じゃない。それは、
彼女の本能が、その名を告げる。性格タイプという鎖から、エマの才能が解放される。心拍が上がり、魔力が巡った。
「おいで、私の新しい
――ポタリ。
血が、1滴滴り落ちる。先程の小さめな切り傷から、僅かな血液が滴っていた。雨粒のように小さく、しかす陽光より眩く煌めくそれは、万物を救う黄金の血液。
書物にて「天使の加護」とも呼ばれる、選ばれし者の奇跡の力だ。
「っ……これは……!?」
テディが驚きの声を上げる。消えかけの命に触れたその血は、どんな魔法よりも眩く光った。夜の闇から朝の光へ。空模様さえ変化させるようなその煌めきは、瞬く間に避難所全体に広がった。誰もが視線を奪われるような慈愛の光に、確かな生命の息吹が宿る。
「う…………ここ、は……」
黄金の光は、先程まで死を迎えるはずだった男の意識を取り戻させ、そして、避難所全体を包みこんでいる。人々のあらゆる怪我に寄り添い、癒し、数秒後にはゆっくりと消えていく。
「皆、私が助けたい……受け取って! 私の力を!」
「エマさん! これは、一体……」
エマは希望に満ちた笑みを零して、その力を操っていく。今度こそ、無我夢中だった。エマに声をかけたテディの腕には、もう、小さな傷すら無い。それどころか、この避難所にいる国民の中には、怪我人など一人もいなくなっていた。
「私の中の、新しい力だよ……!」
エマは一通り避難所での治療を完了すると、テディに向かって小さな傷を見せる。そこから僅かに滴っていたのは、眩い黄金の血液だ。
「っ……それは、
テディが再度驚きの声を上げると、エマはおもむろにテディの元へ歩いてくる。くしゃりとテディの頭を撫でると、困ったような笑みを浮かべた。
「年上なのに、情けなくてごめんね。テディくんのお陰で、能力に気づけたの……本当に、ありがとう」
「えっと……僕のおかげ、ですか……?」
テディはされるがままに頭を撫でられつつ、エマの言葉を反芻する。エマは、どこかスッキリしたような、穏やかな声音で言葉を紡いだ。
「そうだよ。私はISFPの冒険家。自由な心が最大の武器。テディくんの必死な気持ちが、私にも、今と向き合う覚悟を決めさせてくれた」
ISFP・冒険家のエマ。
奇跡を意味する名を持つ彼女が手に入れた力は……まさしく
ーーーーーーーーーーー
最新話【
回復魔法組が覚醒するのでは? という予想もありましたが、今回はサポーター的なポジションでしたね。今回の覚醒で、
今後の彼らの活躍にもご期待ください。
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いつも応援ありがとうございます。次回も最高の物語をお届けできるよう努めて参ります。これからも応援よろしくお願いいたします。
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