男の娘武将隊〜桶狭間に舞い降りたTS女装軍師メグミ〜

紫波吉原

第1話 メグミ、桶狭間に立つ!

※R15:コミカルな性的表現/戦闘あり


◇のぞみ852号新大阪行


 2028年6月12日、正午前。東海道新幹線のぞみ号、新大阪行。掛川駅を過ぎて車窓の右手に、こぢんまりとした掛川城の天守閣が見えると、名古屋駅まであと残り30分。2列の窓側のE席に座る尾和田恵は腰を浮かす。

 28歳、163センチ、49キロ。黒のスーツ、赤茶色の地味なネクタイ、黒縁の伊達メガネは、少し小柄な痩せたサラリーマンとして全く印象に残らない。棚の黒いキャリーバッグとビジネスリュックを下ろし、隣のでっぷりとした中年のサラリーマンに「前、すみません」とわざと低い声で断って通路に出る。

 もしも中年男がその所作や透き通るような白い肌、女性ピアニストのような細い繊細な指を見れば、なんとも言えない「色気」に目を見張ったかもしれない。だが、中年男はスマホに集中して憮然と下を向いている。その無関心さに恵はいたずらっぽく口角をあげる。


 恵は黒色のキャスター付きキャリーバッグを通路に下ろす。バッグの表面は、恵が勤務する会社が開発した超強化炭素繊維「ゴルティックス」。軽量ながら最新鋭の旅客機本体にも使われるほどの強度がある。愛知県にある工場で生産されているので、恵は品質管理のため東京本社から定期的に名古屋に出張しているのだ。

 ユノロクのビジネスリュックを担いだ恵は、キャリーバッグのキャスターの軽快な音を響かせて、車両後方のトイレがあるデッキに向い、男女共用の大きめの個室トイレに入ると、鍵をかける。


 恵はトイレに設置された鏡を覗き込むと黒縁の伊達メガネを外す。明るい栗色の瞳がキラリと鮮やかに光る。生まれついての透明感あふれる白い肌と輝く透きとおる瞳。男としては、その痩せすぎの体形とともにコンプレックスだったが、3年前の2025年に名古屋で「女装」を知ったことで、世界はパッと明るくなった。ユノロクのリュックを開いて中から、きれいに畳まれたセーラー服、ピンク色のブラジャーとパンティー、真っ白なソックス、ローファーの革靴、明るい茶色いウィッグ、その上にアクセントとしてかぶる白いベレー帽を取り出す。


 ズラッと並べた女ものを満面の笑みで眺めると、恵は一気に今着ている黒い上下のスーツ、ネクタイ、ワイシャツ、トランクス、黒いポリエステルの靴下、ビジネスシューズをババっと脱ぎ捨てて丸裸になった。脱いだ男もの服をゴミでも捨てるようにリュックにギュウギュウに詰め込んでジッパーで締めると、「ふーっ」と息をついた。


 恵は顎を引いて、白磁の裸を見下ろす。この3年間で、髭、脛毛や脇毛はもちろん陰毛にいたるまで徹底した全身脱毛をした。女性に性転換をしたいわけではない。ただ、女装に合わせた身体が「本当のワタシ」と思っている。ーーワタシはこれから、セーラー服を着てウィッグをつけて、メイクをして、「恵(メグミ)」になるんだ。


昼と夜の女装ルーチン


 女装した恵には名古屋でのルーチンがある。日本でも有数の武家コレクションを誇る尾張美術館で、大好きな桃山時代や江戸時代の美術品をひとり静かに鑑賞して、隣接する和風レトロ喫茶店で紅茶を飲んで文化系女子になることだ。しかしルーチンはそれでは終わらない。夜になると、発展場の女装サロン「玩具箱」を客として訪れ、淫靡な夜の蝶となって身をよじらせて舞うのだ。


 昼の静謐と夜の熱情、このギャップに妄想を巡らせた恵は、はたと気づく。

「セーラー服で美術館、初めてだわ」

 頬が桃色に染まる。女装した恵は20代前半に見えるが、さすがにセーラー服の年齢ではない。


 キャリーバッグにはほかにも様々な女ものの服があるが、選び直している時間はない。

 「テーマパークじゃJKコスは当たり前。なんとかなるわ」とつぶやくと、急いで、パンティー、ブラジャー、セーラー服の順番でまとっていく。すでにファンデーションは品川駅を出てすぐにトイレですませているので、アイライナー、マスカラ、眉書き、チークと手際よくメイクを済ませる。

 頭にウィッグをかぶり、鏡を見ながら位置を調整し、ウィッグの上にベレー帽をチョンと乗せる。最後に儀式のように唇に上品な赤いリップをたっぷり塗り、上と下の唇をなじませる。

 恵はトイレに備え付けの鏡ではなく、手鏡で自分を映し、顔の角度を何度か変えて、「うん、きょうもカワイイ」とうなずくと、キャリーバッグの脇ポケットから銀色のスマートチョーカーを取り出して、首に巻きつける。


スマートチョーカー


 スマートチョーカーは2025年末に発売されるや世界的な大ヒットガジェットとなった。ナニワ万博2025で発表されたもので、人間が呼吸する喉の動きによって発電し、電気を無線でスマホなどに充電できる夢のエネルギーだ。これによりボタン電池は1年で市場から消えた。

 恵はこのスマートチョーカーを、男である以上、どうしても目立つ喉仏を隠すために、女装時に装着している。


 「これで完璧ね」と美しく微笑むと、個室の扉をそっと開けて、デッキに出た。新幹線は三河安城駅を通過してあと10分ほどで名古屋に到着する。恵はすぐに席に戻らず、デッキの右側の窓に立つ。


車窓の桶狭間古戦場


 さっきまでサラリーマンが座っていた席に、突然美女が現れて、腰を下ろしたときの中年男の驚きを想像して、恵は興奮にブルっと身を震わせる。ただ、このサプライズには注意が必要だ。5分以上が経過すると、呆然としていた中年男が一転して興味本位にしきりに話しかけてくる面倒な事態が容易に想像できるからだ。だから恵は、名古屋駅に着く5分前までは、デッキで立っていることを決めているのだ。


 加えて恵にはこの待ち時間にもう一つの喜びを見出している。時間にするとわずか30秒にも満たないが、新幹線は猛烈なスピードで、桶狭間の古戦場の近くを通過するのだ。恵は織田信長と千利休と狩野永徳の熱烈なファンである。そう、「戦国オタク」でもあった。

 

 「はぁ、着物の女装をして、狩野永徳の障壁画で飾られた黄金の茶室で、織田信長と千利休に茶を点ててあげたいわ」と夢想しながら窓の外を見つめる。

 ひゅっと視界に、桶狭間の戦場となった大高丘陵の緩やかな稜線が入る。丘の上には無気味に蠢く黒い雨雲がなめるように立ち込め、新幹線に向かって猛スピードで広がり、近づいてくる。

 恵は眉をひそめて「まさに暗雲立ち込めるって感じ? 名古屋は雨降るのかなぁ、嫌だな」と言いきる前に、雲から新幹線の小さな窓めがけて強烈な稲妻が走る。恵の目の前が真っ白になり、意識が飛ぶ。





今川本陣


 仰向けになった恵(めぐみ)が目を開ける。空は鉛色の雲に覆われている。雲が蠢き、雨が今にも降ってきそうだ。セーラー服の胸が上下し、呼応するように喉のスマートチョーカーも震える。恵は濡れた草の匂いと手に泥濘を感じ取る。


 「うーん」と上半身を起こし、外れた白いベレー帽を頭にちょこんと乗せ直す。黒いキャリーバッグを梃子に、よろよろと立ち上がり、「ここはどこ?」とつぶやく。


 その瞬間、室町時代の武装—大鎧の肩板、胴丸の鉄板—をまとい槍を構えた武士や足軽たちに囲まれていることに気づく。恵は無意識にキャリーバッグを引き寄せて後ずさる。槍の穂先が、雨雲を映して鈍くギラつく。


 兜の前立てに赤い鳥の金物飾りをつけた一番偉そうな猪武者が「貴様、何者じゃ!  突然、本陣の陣幕の目の前に現れおった!なんと面妖な!」と野太い声で誰何する。


 「陣幕?」と恵は視線を周囲に向ける。幔幕や周辺に立てられたたくさんの旗には「丸に二つ引両」の紋。それに、足利将軍の親類しか使うことが許されない漆塗りの豪華な輿も置かれている。恵の戦国オタク脳がフル回転する。


ーー2028年6月12日、新幹線で名古屋駅の手前5分、名古屋市緑区あたり。6月12日?!ーそうだ、グレゴリオ暦1560年6月12日—旧暦永禄3年5月19日…つまり桶狭間の戦いの日だ。ワタシ、転生したんだ。そして「丸に二つ引両」は今川家の家紋。

 恵は確信をする。そして絶叫する。


 「なんでワタシ、織田信長じゃなくって今川義元の陣にいるのよー!」


 この言葉に侍大将風情の武者はムキーッとなり「貴様、織田信長と言ったな! やはり間者か!死ね!」と槍を突き刺す。

 恵は「ひぇ」っと情けない声をあげて尻もちをつき、ピンク色のパンティーを剥き出しにしながら、キャリーバッグを前に出して盾にする。

 ゴルティクスの超強化炭素繊維が、グニュと音を立てて槍の勢いを吸収し、そのエネルギーを貯めたあとに弾きかえす。

 「ぬぉっ」と声を漏らして男も尻もちをつく。足軽たちがざわつく。

 「侍大将の槍を布で防いだぞ、妖術を使ったのか?」「それよりあの下着を見ろよ、あんな薄い布見たことないぞ」


 視線と注目が恵に集まると、侍大将は顔を真っ赤にして「鋼の南蛮鎧も突き通すワシの槍術を布で防ぐだと?! ぬぬぬ、みなのもの、一斉に槍で刺すのじゃ!」と号令をかける。

 気を取り直した足軽たちが「おうー!」と言って、恵を360度隙間なく囲み槍を構える。パンティーを露出したままガクガクブルブルと震える恵は「憧れの戦国時代に来たのに織田信長にも会えずオワタ」と心の中でつぶやき、諦めて目を閉じようとする。


 「待てぇい!」


 陣幕の幕がシャッと音を立てて両側に開くと、ガタイの良い男が巨体をのしのしと揺らしながら出てくる。


 僧侶のようなデザインの衣装だが、その衣は煌めく金や銀の糸で綾を成す絢爛豪華な仕立てだ。僧体の男は無言で右手を上げると、恵を取り囲んでいた足軽たちが一斉に槍を下げて後ろに下がり膝をつく。尻もちをついたままの恵の前まで来ると、「騒がしくて昼飯も食えんわ、何事じゃ」と、同じく尻もちをつく侍大将にビシッと言うと、ハッとしたように侍大将は立ち上がり、直立不動の姿勢をとる。


 現れた男は顔におしろいを塗って眉をつぶして「まろ眉」を描いている。歯にはお歯黒。と言っても、恵は女装者ゆえに、この男が女になろうという方向性を全く持っていないことがわかる。女装の化粧でなく、公家の化粧だ。恵は確信を深める。


「絶対に今川義元だ」

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