第10話:伝統を背負う男、自由を生きる女

 〜神棚の消えた家〜


 ネオ長州空港から郊外に向かう片側二車線の道を、一台の「わ」ナンバーの車が走っていた。助手席のユタカは、やけに得意げな表情で、腕組みをしながら景色を眺めている。

「おおっ、ええやないか!この整然とした道こそ、日本の秩序そのもんやで!車も少ないし、まるでワイを歓迎しとるようや!」


 ハンドルを握るユキは、前方に視線を固定したまま、表情も変えずに返事をする。「そうですね。地方の田舎には不釣り合いな道路ですけど……あ、ウインカー出します。」


 するとユタカが、ここぞとばかりに声を張り上げる。「不釣り合い? これこそ日本の未来の姿やないか。秩序を守るには無駄も必要なんや!」


 ユキが脇道に入ると、『売土地』の看板が立てられた空き地が目立つ。何か言いたげなユタカに、ユキはさらりと告げる。「うちの近所のスーパーも潰れて、今は更地です。車がないと買い物もできないって、逆に不便ですよね。」


「住んどる人間は変わらんのに、なんでスーパーが潰れるんや? 無秩序やなあ。」ユタカが眉間にシワを寄せてぼやく。


 路肩に車を停止させて、対向車に道を譲ったユキが、さらに言った。「お隣も空き家ですよ。長男さんが時々戻ってくるだけで。」


 ユタカが「ふん」と鼻を鳴らしたところで、カーナビが「目的地に到着しました。」と唐突に宣言する。ユキは慣れた様子で、狭い空き地にバックで駐車させる。


 車を降りたユタカは、ユキの実家に続く坂の途中から見下ろせる溜池に目を向け、大きく伸びをした。「やっぱ見晴らしエエわ〜!さすが田舎やな。」


 昭和の香り漂う瓦屋根の家の前に着くと、ユキはリュックから古い鍵を取り出しながら、淡々とした口調で言った。「庭木の手入れもできないので、そろそろ手放そうかと思ってるんです。」


「なんやて! ほな、ワイの別荘にして外国人向けに日本文化を伝える宿を始めたるわ。」玄関の引き戸を力任せに開けるユキを横目に、ユタカは離れにつながる通路を覗き込む。


「父が倒れてから、もう10年です。家財道具も全て処分しました……あぁ、家の中も土足で大丈夫です。」玄関に散らばるチラシを拾い集めていたユキは、靴を脱ごうとするユタカに声をかけた。


 ユタカは遠慮がちに靴のまま家に上がり、廊下を進んで一番奥の和室に入る。「神棚のあった場所、何もないやんけ……神様まで片してもうたら、家の秩序が乱れるやろ。」


 部屋を見回り、戻ってきたユキが、ユタカに声をかけた。「父がここに戻ることはもうないので、必要ならリフォームして別荘に使って構わないですよ。」


 ユタカはわずかに言葉を詰まらせたが、すぐにいつもの調子に戻って笑う。「おう、早う墓参りに行こうや!」そしてわざと足音を立てるように玄関へと向かった。


 〜墓参りの礼儀〜


 車を再び走らせ、墓地の駐車場に到着する。トランクからスーツケースを出し、何かを探しているユキに、ユタカは少しイライラした調子で声をかけた。「ワイが水汲むから、お前は先に墓行っときや。」


 水汲み場で、錆びたブリキのバケツと空のペットボトルを見つけたユタカは、得意げに蛇口をひねりながら呟く。「こういうんが、日本の礼儀っちゅうもんや。しっかり汲んで、アイツに見せつけたらんとな。」


「アイツはご先祖様への礼儀がホンマ足りんからな。」満タンになった水を担ぎ、墓地の坂道を登りながらブツブツ説教を続けるユタカ。


 ところが墓前に着くと、ユキは軍手で雑草を抜いていた。「お水、ありがとうございます。すみませんが、そこのゴミ袋に入れた草を捨て場まで持っていってもらえますか?」


「……お、おう! ま、任しとけ!」ユタカは慌てたように水を置き、ゴミ袋をつかむと坂道を下り始める。途中、小声で独り言のようにぼやいた。「草ぼうぼうなんて、礼儀がなっとらんわ……しゃあない、ワイも片付けたる!」


 少しだけ息を切らせて戻ってくると、今度はユキが墓石を水で洗っていた。「残りの草を捨ててくるので、そこにあるロウソクとマッチで火を灯しておいてください。」


「お、おう!」ユタカは墓石を清めるようにペットボトルの水をかけ、ロウソクに火をつけると、誇らしげに二礼二拍手一礼した。


 仕事を終えて満足そうなユタカの元に、ちょうどユキが戻ってきた。「お前も早う拝みや。腹も空いたし、ホテルに荷物置いて晩飯行くで!」


 〜本物と無秩序の関係〜


 宿泊先のホテルからほど近いお好み焼き屋。鉄板の上のお好み焼きにソースを塗ると、ユタカは語り出した。「お好み焼きは日本の自由な食文化の象徴や。せやけど広島焼きはアレンジしすぎや。本物のお好み焼き言うたら、材料ぜんぶ混ぜるのが基本やで。」


 あたりにはソースの甘い匂いが漂う。ユキはいつもの淡々とした口調で返す。「どっちも美味しいですから、全部本物でいいんじゃないですか?」


「何言うとんねん……全部本物って、秩序が崩壊するわ!」むっとした顔をしたユタカだが、何かひらめいたように別の話題へ移る。


「ところで、奥津城って知っとるか?あれこそ日本文化の象徴や。うちの墓も奥津城やろ。カミドーは伝統そのものや。」


「そうなんですね……」ユキは小皿に取り分けたお好み焼きを食べながら、興味なさげに相槌だけ打っていた。


 ところが、ふと思い出したかのように、ユキは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。「うち、もともとカミドーじゃないんです。」


「はあ?お前んち神棚あったやろ!」ユタカの声が大きくなる。少し顔をしかめたユキだが、軽くため息をついて話を続ける。


「お祖父ちゃんの実家はブッポーのゴクラク宗なんです。でも兄弟仲が悪くて、お葬式を手伝ってもらえなかったから、カミドーのお祖母ちゃんの親戚にお願いしただけで……」


「そんな話は初耳や! 祖父ちゃんの部屋にも神棚あったやないか!」机に手をついて身を乗り出したユタカに、周りの客や店員が「何ごと?」と視線を向ける。


 ユキは箸を置いて、おちょこを手に持つとテーブルから少し身を引きながら言った。「お祖父ちゃんのお通夜で、私が線香の匂いが嫌だって言ったので、お葬式もお墓もカミドーになったんですよ。」


「な、なんやその無秩序な決め方は!」思わず机を叩くユタカ。背後のテーブル席の客と注文を取っていた店員が、一瞬ビクッとした顔をする。


 ユキは軽く頭を下げ、徳利を持ち上げてにっこりと笑い、店員の向かって言った。「もう一合、お願いします。」


 〜秩序と自由の戦いの始まり〜


 翌朝。維新の志士たちを祀った櫻山神社へ向かう車の助手席で、ユタカが熱弁をふるっていた。


「奇兵隊の精神はワイの人生そのものや。身分や家柄に縛られへん、"Free"な生き方。それこそが真の秩序やねん!」


 ユタカは喋りすぎたのか、ペットボトルを手に取ってフタを開ける。赤信号で停止した車内で、ユキがぽつりと呟いた。「……実は私、性別違和なんですよ。」


 お茶を飲もうとしたユタカがフリーズする。一瞬の間おいて、カクついた映像のように動き出し、急に声を張り上げる。「お、お前が性別違和なわけないやろ! 昨日の冗談の続きか?」


 視線が泳いで早口でまくし立てるユタカとは対象的に、ユキは信号機を見つめたまま落ち着いた声で言った。「昨日のも冗談じゃないんですけど……」


 その時、信号が青に変わり、ユキは何事もなかったようにアクセルを踏み込む。ユタカはペットボトルを持ったまま、外の景色を無言で見つめた。


 櫻山神社近くの駐車場に着くまで、二人とも一言も発しなかった。車をおりて通りに面した鳥居をくぐり、石段をゆっくりと上る。靴音だけが妙に響く中、ユタカが突然、沈黙を破る。


「ユキ、あれや、あれ。奇兵隊も多様性を受け入れたんや。これからは誰もがFreeに生きる時代やろ。それが”真の秩序”ちゅうモンや!」


「え……多様性って、私の話をしてるんですか?」ユキが不機嫌そうに訊ねるが、ユタカは構わずに続けた。


「奇兵隊は”真の秩序”を守るために戦ったんや!せやからお好み焼き……あ、いや、まぁとにかく、ワイは現代の奇兵隊なんや!」


 ユキは困惑の表情で、ため息混じりに言った。「……とりあえず、その奇兵隊の神霊を祀ってる神社のお札でも買いましょう。ほら、あそこが御社殿ですよ。」


「おう、そやな!」軽快に階段を駆け上がっていくユタカ。後ろからついていくユキの顔には、どこか諦めと、それでもなお憐れむような温かさが混じっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る