真珠
水面から差し込む陽光が人魚の肌と鱗を照らし、まるで神の創りし存在のように神々しい。
だが、その外見とは裏腹に、彼女のふるまいには無垢な幼子のような甘えが滲んでいた。
トリスタンは、そんな彼女を見て――くすりと笑う。
「…あなたは、美しくて、優しい」
彼は静かに言う。
「私は、誰かを“得る”ことに、愛を見出さぬのです。
…私が誰かを想う事が許されるならば、それは常に、与えるばかりの愛でありたいと願うのです。」
水の中でその言葉は、やさしく、ゆっくりと人魚の胸へと届いた。
彼女はふるりと尾を揺らし、そっと彼の肩に頭を寄せた。
その小さな仕草に、どこか満ち足りた気配があった。
城のバルコニーから見える水底の景色は、静かで、幻想的で――
まるで、時すら凍った楽園のようだった。
『ねぇ、さっきの言葉……』
人魚がぽつりと切り出す。
彼女の尾が静かに揺れて、水底に光の模様が広がる。
『…どうして、与えるばかりの愛がいいの?それって、苦しくないの?』
トリスタン卿はしばらく黙っていた。
その横顔は静かで、どこか寂しげだった。
「……かつて私は、愛を欲した者のひとりでした。 その結果、誰かを、そして自分自身を深く傷つけたのです」
彼の言葉は、まるで古傷をなぞるように重く、穏やかだった。
「…その人を、純粋に、ただ幸せにしたいと願ったはずでした。けれど私の想いは、その人を傷つけただけだった。」
人魚は静かに、彼の言葉を聞いていた。
「だからこそ……私は今、望むのです。誰かを想うならば…奪うのではなく、与える者でありたいと」
その声は、深く沈んだ城の中に、まるで祈りのように響いた。
人魚は、小さく震えた。
その目に、ぽつんと涙が浮かび、水の中に零れ落ちた。
一粒、また一粒。 彼女の瞳から零れたそれらは、水に溶けず、ゆっくりと転がりながら沈んでいく。
やがて――
トリスタン卿の膝の上に落ちたそれは、まるで月の光を封じ込めたような、柔らかな白い輝きを放っていた。
「……真珠?」
驚いたように彼が呟くと、人魚はほんの少し、照れくさそうに笑った。
『うん……わたしたちの涙は、真珠になるの…でも、こんな風に泣いたの、初めて』
彼女はそっと真珠を手に取り、それを差し出した。
『これは、あなたに持っていてほしい…私があなたに与えられる、最初のもの。』
その手は、どこまでも優しかった。
まるで彼の心にそっと触れるように、そっと差し出されたその一粒の真珠。
トリスタン卿は、ゆっくりとそれを受け取った。
目は見えない。
けれど、手のひらの中の小さな温もりと重みが、彼に伝えていた。
この真珠には――ただの美しさではなく、誰かの“想い”が宿っているのだと。
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