第6話「“文化祭”という名の試練」
「ねぇ、聞いた? 来月、文化祭だって!」
朝の教室。まだ全員が揃わないうちから、すでに一部の女子たちは盛り上がり始めていた。
「来月だっけ? ウチのクラス今年は何やるんだろうね~」
「どのクラスが模擬店やるか、もう決まってんのかな?」
その会話の輪に入らず、しかし聞き耳を立てているのが一人の少女——“朝野結”。
(……文化祭……)
その響きだけで、心がざわつく。
(高校生の文化祭……あの憧れの、アレ……!)
胸が高鳴るのをなんとか抑えつつ、ふと隣を見ると、ほのかも小さく盛り上がっている様子だった。
「文化祭って、出し物とか準備とか、ワクワクするよね〜」
「……うん。夢みたい」
結月は小声で呟いた。
そして、5時間目。学活の時間——
「じゃあ、文化祭に向けて、クラスの出し物を決めたいと思いまーす!」
担任が軽く拍手すると、生徒たちはざわめき始める。
「メイド喫茶は?」「いや、王道すぎ」「射的とかやりたい!」
好き勝手にアイデアが飛び交うなか、教室の隅でほのかはそっと手を挙げた。
「……あの、もし予算が少ないなら、折り紙体験コーナーとか、どうですか……?」
静かに、けれど確かに発言した。でも——
「……」 「……あー、うん。まあ、地味すぎるかも?」
「あ、ごめん……」
誰も責めていない。でも、誰も拾ってくれなかった。
ほのかの声が、教室の空気に吸い込まれていったそのとき——
「……出し物って……お化け屋敷とか、演劇とか……あるの?」
ぽつりと。まるで台詞のように、自然に。
それを言ったのは結月だった。
その瞬間、教室の一角が、ふっと静かになった。
「えっ、演劇!?」「それってめっちゃ準備大変じゃない?」
「でもちょっと面白そうじゃない?」
ざわざわと、意外にも好反応が返ってくる。
「でもさ、演技できる人いないと無理だよ〜」
その言葉に、ほのかが小声でつぶやく。
「……演技できる人、ねぇ……」
その横で、結月がそっと、低く、震えるように——
「……それって、私でも……?」
「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇ!! バレるぅぅぅぅぅぅ!!」
突如叫んで立ち上がるほのか。
「は、葉山? ど、どうした?」
「あっ、えっと、すみませんっ! 喉にツバが……ごほっ、ごほっ!」
「……あはは、大丈夫? 無理しないでね」
教室の笑いが戻るなか、ほのかはこっそり結月の袖を引いた。
「ちょ、なに本気出して低音ボイスで迫ってんの!」
「え、あれナチュラルに出ちゃった……!」
「プロのクセが強い!」
「ご、ごめん……でも、舞台って聞いたらちょっとテンションが……」
「ちょっとどころじゃなかったよ!? 完全に“女優が目覚める瞬間”だったから!」
小声のツッコミ合戦。誰にも聞こえていないはず——そう思っていたが。
その様子を、すぐ後ろの席で静かに見ていたのは、桐原るなだった。
「……ふふっ」
ほのかの背中に、嫌な汗が流れる。
(あの子、絶対また何か気づいた顔……!!)
放課後。昇降口。
「……舞台、やりたい?」
帰り支度をしながら、ほのかがぽつりと聞いた。
結月は、黙って頷いた。
「やりたくて……でも、やったら終わりかもしれない」
「……そっか」
「私ね、ずっと、演技って“見せるためのもの”だと思ってた。でも、この学校に来てから、誰にも見せない“演技”が一番難しくて……」
「うん」
「それでも、“舞台に立ちたい”って思っちゃうんだよ。誰かと、台詞を重ねたくなるの」
その目は、まるでステージを見つめる女優そのものだった。
「……バレるかもしれない。でも、それでも……」
「やりたいんだね」
結月は、ぎこちなく微笑んだ。
「……欲張りだよね、私」
「ううん、青春って、そういうものじゃない?」
ほのかは、そっと結月のリュックのストラップを直してあげながら言った。
「でもね、バレたら一緒に走って逃げるから。走力には自信あるよ?」
「ほのかちゃん……!」
「さ、帰ろっ、青春の相棒」
二人は並んで歩き出す。
翌朝。教室に入ると、担任が軽やかに告げた。
「じゃあ文化祭実行委員、推薦か立候補でお願いしまーす」
「え〜、面倒だよー」「推薦って誰を……?」
「じゃあ、朝野さんどう? 転校生だし、思い出作りにちょうどいいかも!」
「えっ……え?」
「いいじゃん、朝野さんなら真面目そうだし、責任感ありそう〜」
(ど、ど、どうしよう……!?)
ざわめく中、誰よりも焦っているのは、もちろん結月。
だが——
「じゃあ、お願いしてもいいかな?」
担任の言葉に、結月は逃げる暇もなく、コクリと頷いていた。
(えええええええ!?)
その瞬間、ほのかは机に突っ伏した。
(この人、青春にどんどん踏み込んでく〜〜〜!!)
結月のノート、今朝の記録。
『文化祭実行委員、任命される。“普通の女子高生”の青春、一歩踏み出す……けどこれは、波乱の始まり?』
その横に、ちいさなステージの落書きと、「いつかこの場所に立てますように」と、こっそり書かれた文字。
——幕が上がる、その前に。
試練と秘密の青春が、走り出す。
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