31/ 逆鱗を破壊せよ
エンシスは、スブリーデから粒子化魔法を付与され、アンデッドドラゴンの体内へ侵入し、疾走していた。
「はぁ、はぁ……!」
アイスドラゴンの体内を進む時より、格段に精度高く迷宮を解き明かし、進んでいく。
それは、技術の向上だけでなく、彼の心境の変化も影響していた。
ただ、フと気を緩めると盟友の顔がチラついて感情が昂りそうになる。
だが、それはもう絶望ではない。
確かな希望へと変わっていた。
もしかしたら。
もしかしたら……!
「フ、フラマっ!!」
助ける。
今度は、助ける。
必ず助け出してみせる。
――アンデッドドラゴンは、初めてエンシスが戦った時、実際は死んでいなかった。
角による再生を待つ、言わば仮死状態。
ということは遺骸にもなっておらず、浮遊効果を一時的に失って市街地へ落下こそしたものの魔力爆発は起きていなかったはずなのだ。
「だから、フラマ君たちは迷宮を彷徨っているだけなんじゃないか? というのが私の見解だよ。時間感覚を喪失し易いドラゴンの体内だ。彼らは迷っていることにすら気付いていないだろう」
スブリーデは柔和に……しかし緊張感を孕んでエンシスにそう伝えた。
「ということはだよ? 今からこの子の『逆鱗』を見付け出して破壊し、ドラゴンの解体を成功させれば……フラマ君たちも迷宮から解き放たれるんじゃないかな」
アイズに対して「今更、無罪放免を望まない」とは言ったが、叶うことならフラマたちにまた会いたいとは思っていた。
会って謝りたいと思っていた。
感謝や、これまでの自分の至らなさを償いたいと……
そういう気持ちはずっと消えることはなく、これからどれだけの人生を前向きに過ごしていたとしても胸に刺さり残り続ける楔だと思っていた。
それが、まさか……救える可能性が残っていたなんて――。
「ここは右」
「次は……左」
「今度も左!」
「…………上っ」
「ここは……真っ直ぐ」
「下だ!」
真剣の刃先のように極限まで研ぎ澄まされたエンシスの感覚。
まるで最初から答えが分かっているかのように迷宮を進んでいく。
「きっと、この感覚をまたすぐに再現するのは難しいだろうな」
オウラとの死闘、スブリーデの真実、ミカーレとの邂逅……
天変地異のように目まぐるしい刹那が、実力以上の実力を引き出してくれている。
そうエンシスは理解していた。
しかしそれでもいい。
「今だけでいい……今だけは、もう少し、この感覚に頼らせてくれ!!」
目の前の道は、分岐していない。
ただ真っ直ぐ1本の道だけがある――エンシスには、そう見えていた。
導かれるように、ひた走る。
そして、遂に。
「はぁ……はぁ……待たせたな。アンデッドドラゴンの『逆鱗』よ」
エンシスの目の前には光り輝く魔法陣。
三重円と幾何学模様、古代文字で構成された魔法陣が、荘厳で静謐に回っていた。
「大丈夫だ……まだ、時間を把握出来ている。まだ30分くらいだ」
しかし、そこではたとエンシスは気付く。
忘れていたことを思い出す。
「やば……俺、『逆鱗』の解体方法…………ちゃんと、教えて貰ってないじゃん!」
スブリーデから教わったのは――――――――。
舌も引かずに、エンシスの思考はひっくり返る。
そうではなかった、と。
「いや、待てよ。『これをあーして、こうして、こうすれば出来る』みたいに教わったことなんて、1個もなかったじゃないか」
魔力の繊細な操作も、『逆鱗』の意志を辿る方法も、〝錆〟を焼き切る方法も……
全て、見せてくれたり、コツを伝えては貰ったが、明確な〝やり方〟を提示されたことはなかった。
それでも出来た。出来るようになった。
(そうだ……スブリーデは、俺に答えを教えるんじゃなく、答えに辿り着くためのヒントをくれていたんだ……!)
多分、あの距離で肌で感じられたことこそが、最大の学び。
魔導書も高名な魔法講師も、比肩すらしない。
だってスブリーデは〝三神〟の『龍食』。
ドラゴンの解体の究極にして真髄たるスブリーデとあんなに近い距離で、同じ時間を過ごした。
全ての所作を目に焼き付けてきたというのに……もし、それでも片鱗すら掴めないのならば――他にどんな手段や方法を用いても、到達出来ないだろう。
「最高の師匠に、恥をかかせるわけにはいかねぇな……!」
エンシスは不敵な笑みを浮かべながら、魔法陣へ近付く――
右手の人差し指をピンと立てながら。
「……でも、せめて……も〜ちょっと真面目なやり方を見ておきたかったかなぁ〜」
その人差し指を、ゆっくりとクルクル回し始めた。
エンシスは既に魔法陣と、魔力的に繋がっている。
回す指には魔法陣の回転する力が負荷として返ってきている。
重い、わけではない。
むしろ軽い。
『逆鱗』を構成する魔法陣は、その複雑さと反比例して必要とする魔力はとても小さく、繊細。
ドラゴンの体内で半永久的に稼働させることを目的とした結果なのだろう。
エンシスは深呼吸をし、心を落ち着かせる。
(強さも、魔力の質も……ちょっとでも間違えれば、きっとすぐに錆び付かせてしまいそうだ)
目で『逆鱗』を見ているが、心ではスブリーデの魔力操作を思い起こしていた。
彼女は『逆鱗』を逆回転させていた時、どんな風だったか。
彼女に解体される瞬間の『逆鱗』はどんな風だったか――。
エンシスは思い出す。
目に焼き付けた全てを、心に刻んだ全てを……思い出そうと、集中する。
その瞬間。
エンシスの脳裏に、ある言葉が蘇ってきた。
(……思い……出す…………?)
それは、スブリーデの手によって『逆鱗』が逆回転を始めた瞬間、エンシスの心に浮かんだ言葉。
「そうだ! 魔法陣はどれもこれも〝何かを、思い出したように〟……回り出したんだ」
例えば氷。
氷は放置すれば、そのうち溶けて水になる。
しかし、氷でありつづけるように魔法をかけたとしたら、周囲がどんな高温でも氷のままでいるだろう。
溶けるという、在るべき現象を忘れて。
そして、かけられた魔法を解除したら、その瞬間、氷は思い出すのだ……
『そうだ、溶けるべきだった』と。
超常的なドラゴンを、存在させ続けるなんて自然なことではない。
不自然の極地と言ってもいい。
自然にしていたら、ドラゴンはドラゴンとしての存在を保つことは出来ない。
だからこそ『逆鱗』が必要なのだ。
つまり『逆鱗』は〝ドラゴンという存在が不自然である〟という事実を忘れさせているのかもしれない。
「だから……それを、思い出させれば……」
スブリーデは、そっと語り掛けるように、気付かせるように、思い出させるように――
魔力を流して、逆回転させていたのだ。
「お前も、もう十分だろ。この辺で、終わりにしとけ」
エンシスが優しく語り掛けながら、指にたおやかな魔力を漂わせ回転させると、それに同調するように『逆鱗』の魔法陣は逆回転を始めた。
――まるで、何かを思い出したかのように。
「……どうだ? フラマ。俺も少しはマシになったろ?」
気付くとフラマに呼び掛けていた。
そこには居ない、しかし確かに気配を感じるフラマに向かって。
それは、贖罪の言葉ではなく、成長した自分を見てほしいという、純粋な願いだったのかもしれない。
◆◆◆◆◆◆
「はぁ。僕に剣を抜かせてくれる奴は、なかなか現れないね〜」
くぁあ、と『剣聖』は欠伸をした。
剣を抜くことなく、〝斬るという概念〟だけを相手に押し付けて、斬られたという現象を引き起こす。
故に剣を抜く必要がない。
いや、事実により近しい表現をすれば、『剣聖』は剣を抜けない。
抜こうとした時には勝負が着いているから。
「もうドラゴン斬るの飽きたからさぁ? ハイドラんが相手してくんない?」
「ヤダよ!」
オウラが残したアイゼル粒子は、やはり相当に良質だったようで、第一陣を退けただけでは波は止まらなかった。
第二陣も第三陣も、数十匹あるいは数百匹のドラゴンが押し寄せて来ていた。
しかしブルーヌの街は……イニティア王国は、微塵たりともドラゴンによる侵攻を受けてはいない。
ミカーレが全て、斬り伏せたから。たった1人で。
「わざわざ大陸の真反対から呼び戻されて、これかい。ねぇ、ハイドラん」
「仕方ないでしょ。貴方が『魔法帝』に負けたんだから、じゃんけんで」
国の命運はじゃんけんに委ねられていた……というわけではない。
『剣聖』と『魔法帝』がじゃんけんをして、その負けた方が、この場に出向くことになったのだ。
どちらが来たとしても、国の未来は揺るがない。
なんなら、どちらとも来なかったとしても変わらなかったろう。
少なくとも『龍食』は居る。
「……はぁ〜あ。ほら、減ってきたよ? 帰っていい?」
「ダメ」
「どうして〜」
「せっかくだから見ていってよ。私の弟子の晴れ舞台を」
もうドラゴンはほとんど飛来してこなくなった。
恐らくは情報共有がされたのだろう……良質な食事よりも避けるべき危険がある、と。
それでもやってくるドラゴンは知能も戦闘能力も低く、ミカーレは最早そちらを向くことすらしない。
しかし勝手に斬り刻まれて、消えていく。
スブリーデに促されて振り返ったミカーレは、ブルーヌ上空に揺蕩い続けるアンデッドドラゴンの遺骸を見据えた。
ミカーレだけじゃない。
空中ではアルバたちが、地上ではアイズたち龍伐士が遺骸を見詰めていた。
戦場に『剣聖』が出たと噂を聞き付けて集まった王国民たちも、次第に遺骸に注目し始める。
「さっきオウラんとやっている時のプルヴィアん、だいぶナーバスになってなかったぁ? 間に合う?」
「あれは多分、あの剣のせいよ。それに、今のあの子なら大丈夫」
「【黒帳】ん……精神にまで干渉するようになっていたかぁ。それにしたって、もういい時間じゃない? ダメそうなら、僕が斬……」
ピシッ――。
ミカーレの言葉を遮るように、何かが砕ける音が鳴った。
繊細で美しく、神々しい音。
「ほお。プルヴィアんにしちゃ、良い音させるじゃん」
山のように大きな遺骸が、瞬くうちに細かな亀裂で覆われていく。
几帳面に全てを塗り潰すように、亀裂と亀裂がぶつかり合っては、新しく亀裂が生まれて、走っていく。
「素晴らしい。師匠としては……鼻が高いよ。エンシス」
目を潤ませてスブリーデが呟くが早いか、アンデッドドラゴンは、砕け散って光の塵になった。
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