第二章

08/ 龍かお菓子か


 エンシスは転倒した時、その手にあったココラタを宙に放っていた。



 空高く舞い上がったココラタは、まるで決められていたかのように少女の手に納まる。


「……あ、あり」



 ――パキリ。


 地面に落ちなくて良かったと安堵した心は無慈悲に噛み砕かれた。

 パキパキという小気味良い音と、甘い香りが広がる。



「……ふむ、あむあむ…………んぐ。ぷふぁ〜……やっぱり美味しいね〜! これ、どこのやつ?」

「お、おい! なに、勝手に食べ……!」


 ペロリと舌なめずりをして少女は笑う。


 その笑顔は、一瞬エンシスの警戒心を揺らがせた。

 ピンクブロンドが、白く輝くような肌が、金色の瞳が、強い引力でエンシスの視線を引きつける。




 だが、ここはワスタ。油断は禁物だ。かろうじて正気を取り戻す。


(バカか! ここを、どこだと思っているんだ、俺!)


 そう、ここはワスタ。

 ドラゴンの遺骸によって空間が歪み、魔力に汚染された死の大地。


 魔力を持たない市民など言うに及ばす、龍伐士や解体士であっても階級の低い者たちは正気を保てないだろう。



 そんな場所に平然とたたずみ、笑顔を見せる少女。普通であるはずがない。



 一体何者なのか――エンシスは、警戒心を解くことなく、少女を見る。



「え? 名前を聞かれたんだから、このくらいいいでしょ〜……他にもある? もっとくれる??」


 爛々と目を輝かす少女とは裏腹に、エンシスの緊張は高まり続けていく。汗が頬を伝う。



「ねえ、ココラタ以外にも持ってるの? 持ってないの? どっちなの〜?」


 エンシスの警戒など意に介さず、ピンクブロンドを揺らしながらズンズンと進んでくる。自ずと身構えてしまう。


「持、持っていたら……なんなんだ」

「あぁ、そっか。聞かれたのに名乗ってなかったね。これは失礼。スヴィのちゃんとした名前は、スブリーデ。ハイドランギア=スブリーデよ」

「ハイドランギア……スブリーデ…………?」


 漠然とその名を繰り返すエンシス。


 それはまるで御伽噺のように、ぼんやりとしていて、あやふやな輪郭の響き。



(どこかで聞いたことが……?)



 エンシスが逡巡していると、一人称が『スヴィ』の少女がニカッと弾けるように笑った。そして腰に手を当てて、胸を張る。


「そうさ……聞いて驚け、知って慄け、唱えて悔いろ! 我が名はハイドランギア=スブリーデ! またの名を、りゅ……じゃない、じゃない」

「……またの名を?」

「あ、いや。そこは忘れて」

「それは無理だろ。気になり過ぎる」

「えー? 気にならないでよ! イジワル!」

「イジワル!?」


 両手を振り回して抗議するスブリーデ。

 この瞬間だけ切り取ると、見た目通りに少女のようだ。


 もし泣き出しでもされたらどうしようと、エンシスは頓珍漢に焦り出す。



「ん〜もう! ココラタの為だ、しょうがない!」

「……すげぇ食べたいんだな」


 エンシスは、スブリーデの言葉に、思わず苦笑してしまう。




(いや、違う。そうじゃないだろ……さっきから、どうしたんだ俺は)


 ――緊張感が欠けている。エンシスもすぐに自分で自分をたしなめる。


 ツッコミを入れたり自然な会話が成立しているように見えるが……普通に考えればそれ自体が異常。


 スブリーデの独特な雰囲気に呑まれているのだ。


「ホラ、いくよ? ココラタのためとはいえ何回も言わないからね! ……またの名を『龍かお菓子か《ドラゴン・オア・トリート》』、あるいは『東の魔女』!」

「東の、魔女?」

「これでどうだ! さぁさぁ、ココラタを、よこせ〜!」


 ゴクリとエンシスは唾を呑み込む。



 スブリーデは自分を魔女と言った。

 御伽噺で聞くのとは全く意味が違う。魔女は、かつてドラゴンよりも恐れられた〝人の形をした厄災〟だ。


 冗談でも名乗るものじゃない。




 だが――今のエンシスにとっては希望の名前でもある。




(もし、本当に遺骸を解体できるなら……ブルーヌの、あの遺骸も……)


 グッと力を込めて言葉を発しようとしたエンシスを、スブリーデの小さな掌が制する。


「あっ、あー……ココラタを1つ貰ったけど、スヴィともっとお話ししたいなら、あなたの名前も教えてね?」


 首を傾げながら、金色の瞳で見詰めてくる。恐ろしいほどに、美しい。


「あ……お、俺はエンシス。プルヴィア=エンシス」

「エンシス? へぇ〜」

「なんだ? 何か文句でもあるのか?」

「いや、変な名前〜と思ってね」

「なっ!? 初対面の相手に向かって、変な名前とか……!」

「あら、意外と常識的なこと言うのね〜。でも……こんなワスタのど真ん中じゃ、そんなもの何の役にも立たないでしょ?」


 小憎たらしく笑うスブリーデ。


 しかし、そこかしこに高貴さや妖艶さが滲み出ている。

 正気を失わないようにエンシスは、慎重に言葉を返す。



「そ、それは」

「それと。この巾着袋、一旦預かるわよん。甘いものが他にないか改めさせていただくわ」

「……っ!!」



 エンシスは目を疑う――さっき確かに腰へ戻したはずの巾着袋を、スブリーデが持っているのだ。



 豪華な装飾からして同じもの。

 慌てて腰をまさぐっても、やはり無くなっている。


 ジリジリと近付いてきているとはいえ、まだ手が届くような距離ではない。エンシスは背中にじっとりと嫌な汗が滲むのを感じた。



「い、いつの間に」

「今の間に、だよ? ふふふ、エンシスちゃ〜ん。もしかして眠い? しばらく寝てないでしょ」


(……ただ者じゃないな。この動き、この気配の消し方……)


 スブリーデは右手の人差し指をピンと立てて、スっと横に滑らせる――「んなっ!!」それとシンクロするように何かが、エンシスの目の下を撫でた。



 エンシスは顔をぐしゃぐしゃと拭いながら、後ろに二〜三歩飛び退く。



「ぶっふふふ……! 面白っ! 『英雄』ともあろうお方が、そんなにビビりとはね〜! ウケる〜」


 膝を叩いてスブリーデはケラケラと笑う。

 顔が熱くなるのを感じつつエンシスは違和感に眉をひそめる。



「今、英雄って?」

「ははは! って、アレ? 人違いだった? あなた、〝牙折〟のエンシスでしょ? あるいは『英雄』、あるいは……なんだっけ?」

「何故、知っているんだ」

「何故って……どういう質問? あなたくらいの人なら、他国にだってその名は轟いている。いろんな噂と一緒にね。だったら、それをスヴィが知らないわけないでしょ? だってスヴィは――」



 スブリーデの息継ぎの間に、心臓が早鐘を打つ。

 口から飛び出てきそうだ。


 きっと彼女は、またあの名を言う。


「魔女なんだからねっ!」


 エンシスの目の前で、くるりと爪先で回転するスブリーデ。紫色のドレスがワスタの風に舞い上がり、美しい弧を描く。


 ピンクブロンドの長い髪は風と戯れて、キラキラと光を散らす。



「……お、お菓子がないなら、砂糖を渡せば良いじゃない」



 回転しながらも、切れることのない視線。全てを見透かすような金色の瞳にエンシスは飲まれ――気付けば、絵本のオチを口走っていた。


 無類の甘党の魔女。


 街にある全てのお菓子・甘いものと引き換えに遺骸を解体しては消えていく、そんな天真爛漫・天衣無縫の魔女。



「あ、それ。スヴィのことでしょ!? 南フィーニス共和国辺りで流行ってんのよね〜、その絵本」


 あっけらかんと言い放つスブリーデ。


 御伽噺の存在が、目の前に居る。実在したのか。




 信じるに足る証拠などない。

 しかし、肌から、目から……五感の全てからスブリーデの尋常じゃなさが伝わってくるのだ。



 焼けるように冷たく、凍えるように熱い。果てないほどに近く、触れられるほどに遠い。


 こんな無茶苦茶な存在を説明するのに適した単語は1つしか思い浮かばない。


 気圧されてばかりいたエンシスが、ついに前に踏み出す。


「ま、魔女……魔女! スブリーデ、お前が……あの魔女なのか!? さっき、スカルドラゴンを消したのも、お前がやったのか!? 魔女だから出来るのか!?」


(もし本当にそうなら……!)


 逸る気持ちを抑えきれず、気付くとエンシスはスブリーデの手を握っていた。



「ぼ、ぼほぇえ!!?」

「……頼む、教えてくれ! 遺骸を、ドラゴンの遺骸を解体する方法を、お前は知ってい――」



 ドンっ!!



 言い切るより早く、エンシスの体が宙を舞う。


「――るのか……って、ぐはぁ!!」



 そのまま十数メートル吹き飛ばされ、三つ首竜の遺骸に叩き付けられた。



 痛くはない。

 ただ唐突の衝撃に、またしても思考は追い付かない。


 両手両膝を地面に着きながら、顔を起こして元居た方を睨む。


「いきなり何すん……!」


 エンシスは声を張上げるが、しりすぼみに消えていく。

 睨み付けた先の様子がおかしい。



「き、き、ききき……き、気安く触るなぁああ〜」


 一瞬前までそこに居たはずの高圧的で掴みどころのない『東の魔女』は姿を消し、代わりに頬を赤らめモジモジと身を捩る魔女っ子が居た。


「それは……反則だろ」




 何がどう反則なのか、エンシスにも分からないのだが。



――――あとがき――――


★御礼とお願い★

ここまで読んでくださり、本当に有り難うございます!

ドラゴンノベルスコンテスト用の新作、毎日1話更新でやっていきます♪


「スヴィちゃんかわいい」

「ちょっと面白いじゃん」


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執筆のモチベーションもアップして、もっと面白い物語になっていくと思います♪


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