side 千夏 噂話、少しだけ過去の話をしようか
「聞いた?最近三組の雀野(すずめの)が隣町のヤツにボコられたんだって」
「全治三ヶ月でしょ?治安が悪い話だよね」
園芸部の朝の活動が終わり、教室へと戻ると、教室内では珍しくザワザワとした喧騒に包まれていた。
千夏は自分の机へ向かうと、椅子にストンと座った
すると其処へ普段仲良くしてくれている友人である御影が小走りに近づいてきた。
「あのね、千夏」
「どうしたの、御影」
「嫌な予感がしたから、今日の千夏の運勢を西洋占星術じゃなくって、手法を変えて水晶に訊いてみたの、そうしたら『過ち』『再会』『危険』の単語が出たから知らせようと思って…」
「そっか、ありがとう、御影」
「ううん…気にしないで、気をつけてね」
それだけ言い残すと、御影は自身の席へと戻っていった。
頬杖をついて、想いを馳せる
(過ち…思い当たる節がありすぎるな)
千夏は誰にもバレないように小さく溜息を吐いた。
*
幼い頃から正義感は強い方だったように思う
母親の転勤と引越しを繰り返す矢先、各地方で、双子の兄の夏也が同学年の子供達から『勉強ができるから』と適当ないちゃもんをつけられ苛められた。
『かすり傷だから大丈夫』と頬に殴り傷を残しては強ぶる兄に対し、憤慨した千夏は、その度に夏也に害を為す人間を殴った。殴りまくった。
『因果応報って言葉があるだろ?今度はきっと千夏が危ない目に遭うから、兄ちゃんは絶対に大丈夫だから、千夏は気にするな』と心根の優しい兄は言ってくれたが、腹が立つものは立つ。それはそれ、これはこれである
勝ち気で負けん気が強い千夏は売られた喧嘩は全て買っていた。気がついたら全ての喧嘩に勝っていた。
血に塗れた千夏の拳を見て兄の夏也は涙したが、悲しきかなことに慣れていってしまった。
小学三年の夏、母親の転勤でまたしても違う場所に引っ越すこととなった。
友達はいなかった。
「千夏、夏也、この人は母さんのお兄ちゃん、あんたらの叔父にあたる人だよ」
「こんにちは、久しぶりだねぇ、千夏ちゃん、夏也くん、見ない間に大きくなって、俺は驚いたよ」
朗らかに笑みを浮かべる叔父と名乗る人に夏生は礼儀正しく挨拶をした。千夏はしなかった。『挨拶』をすると皆が怖がるから。
ふい、と目線を逸らした千夏に叔父は一瞬だけ目を丸くして、その後、すぐにゆったりとした所作で、此方の目線に合わせるように腰をかがめた。
「久しぶりで驚かせちゃったかな、改めて、叔父の蛍光太(ほたる こうた)です」
「…」
「お久しぶりです、叔父さん、少しの間、ご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、この町にいる間、どうか、よろしくお願いします」
隣にいた兄が言った。握手をする二人を傍目に千夏は自身の足元へなんとなく視線をずらした。すると、見兼ねた母がぶっきらぼうに言った
「千夏も挨拶しておきな」
「ごめん母さんっ!もぉ!こら、千夏、挨拶しないとっ!すみません、叔父さん、千夏ってば人見知りがひどくって…!」
「良いんだよ、京子(けいこ)、夏也くん、千夏ちゃんはきっと挨拶が苦手なんだよね、それに人見知りってやつも叔父さんも昔は酷かったもんさ、徐々に慣れていけば良いだけさ〜」
(なんだこの人)
千夏の叔父への第一印象はそれであった。それ以上でも以下でもない、そう思っていた。
* * *
ある日のこと、相も変わらず兄が殴られていた。だから殴っていた相手を殴った。そうしたら相手から顔を殴られた。夏也は『もう、妹なんかに守られるのなんかごめんだ』と珍しく怒り、千夏の手当もせず家へ帰ってしまった。
遣る瀬なくなって、路地裏を歩いていた時、腕を舐めている黒い猫を見つけた。
「どうしたん?あんたも怪我したんか?」
「…」
真っ黒い猫は警戒したように腰を高く持ち上げ、尻尾を宙に揺蕩わせた。金色の瞳をカッと開くと、毛を逆立て千夏を引っ掻かんばかりの勢いで目線を遣った。
さて、どうしたもんか、そんなことを考えて、千夏は考えた末に小さく、ちいさく鳴いた
「…にゃぁーん」
「……」
返ってくるのは沈黙で、そりゃそうか、と納得して膝に手をついて帰ろうとした矢先
「ごろにゃあ〜ん」
叔父である光太が背後で鳴いた
「…いつからいた、んすか」
「ん〜?この時間帯ね、この黒猫さんよくここ通りかかるから、おやつをあげにきたのさ〜」
「そう、すか、…じゃあ、私はこれで」
「千夏ちゃん、泣いても良いんじゃない?」
『我慢してるとね、猫さんにもそれってきっと伝わっちゃう』
叔父は穏やかな口調で言った。千夏はなんだかそれが悔しくなって『余計なお世話、す!』と言い放つと家まで全力疾走した。
『泣いても良いんじゃない?』
その言葉にどれだけ救われて、苛立ったか、きっと叔父は知る由もない。
千夏は泣きながら帰路を走った。
家に帰ると、自分の怪我の手当てが終えたばかりの夏生が台座に乗って、キッチンで夕御飯を作っていて『さっきは、ごめんな』とフライパンに向かって呟いた。
その日の晩御飯は千夏の大好きなハンバーグで、夏生に聞いてみたら『叔父にもっと美味しくなるレシピや作り方を教わった』のだと言う。
* * *
時は少し経過して、千夏はまた母の仕事の関係で隣町へ引っ越す時、叔父に挨拶する際、きちんと『挨拶』をした。
「またね、叔父…ちゃん」
この人は自分を怖がらない人だと思ったから、優しい人だとわかったから。
友達はいなかった
でも、心を許せる人ができたら、その人を自分なりに大切にしてみようと思った。
それは千夏の中での大きな変化だった。
* * *
成長してからもそれは相変わらずで、引っ越してからも変わらず喧嘩を売られれば買った。
喧嘩数を以前より減らしたとはいえど、過去にした喧嘩という因縁で増えた喧嘩の数は数えきれない程で。
これが、兄の夏也がいつの日か言っていた『因果応報』というやつかもしれない。千夏は身に染みてから改めて実感した。
「覚えてろよ〜!」
「ごめん!多分忘れてる!」
勿論喧嘩は圧勝であったが、相変わらず、破天荒な千夏を見て手当てをする夏生は呆れるばかりであった。
兄が理不尽に訳のわからない理由やら屁理屈やらを並び立てられて、同級生や上級生から殴られるような回数は、叔父に出会ってから徐々に減ったらしい。
それが何故だか千夏にも夏也にもわからなかったが『叔父が体質を魔法か何かで改善してくれたのかもしれない』という話でこの話は一旦落ち着いた。
* * *
そして夏也と千夏が無事十四歳になったある日のこと、母親の転勤続きをとうとう見兼ねた叔父が『夏也くんと千夏ちゃんはウチで暮らせばいいさ、中学もこっちの中学に通ったらいいよ』と、二人を引き取ってくれた…のだが、こうして隣町から再度この町に戻ってきて、千夏が改めて目にしたものはとんでもなく美しい女性だった。
「怪我はないかしら」
女性は千夏が買った喧嘩に珍しく負けそうになっている時に、横から突如として現れ、空手のような立ち回りで顔も見知らぬ千夏を見返りも無く助けてくれたのだ
「なんで助けた、んすか?」
「困った人が居たら助けるのが大切なことだと思ったから?」
こてん、と小首を傾げ答える彼女は不思議な人で『じゃあ、お野菜のお手入れがあるから、私はこれで』と颯爽と去ってしまったのだ。
「…かっこいい」
千夏は決めた。あのような爽やかで居て美しい女性になろうと、見返りもないのに、人を助けてしまうような御人好し、けれど憎めぬ人間性ー…要は千夏は彼女に惚れてしまったのだ
その後『今度通う中学からは普通の女の子として』と考え、心機一転、心を入れ替えたのだが、それを夕飯の際、さりげなく伝えると、一番驚いていたのは兄の夏也だった。
「えぇ…、また急な、まぁいいけど」
「うん、急だけど、そういう事だから、普通の女子について教えて、兄ちゃん」
喧嘩の強い向日千夏と特定されぬよう、乱雑に伸ばしていた長い髪を切った
図書館へ赴き、沢山本を読み、語尾や言葉遣いを研究し、直した
が
「…慣れない」
千夏は参っていた。元々気性が荒かったのだ。
編入先の中学校は中高一貫校で、喧嘩の強かった向日千夏だと周囲にバレたら、と考えるだけで恐ろしかった
ぐるぐる悩み、千夏は裏庭へ赴いた。
編入先の中学校は高等部の校舎とも併設しており、裏庭は花が綺麗なのだ。
園芸だけでなく、畑もあり、中でもビニールに覆われた葡萄の実が目に入った時なんかは千夏は嬉しくなる。
そんな時だった。
「あら、貴方あの時の」
喧嘩から助けてくれた女性が現れたのだ
「何か悩んでいるなら園芸部、入ります?植物は優しいですから、きっと心が軽くなりますよ」
「あの、名前…」
「そうでした、名乗るのを忘れていました。深々夜 春花(ふかがや はるか)です。貴方は?」
「私は...!」
その日から千夏の人生は一変した
*
「あの、もしかして、向日千夏さん、っすか?」
残念ながら、やはり、御影の勘は当たっていたらしい。
ホームルームが無事に終わり、園芸部の活動に取り掛かった千夏は、部長である春花から早めに帰宅するよう促された。
どうやら、町の治安が悪くなっていることを見越して、千夏を早く返そうとしたのだろう。
然し、帰路、偶然見てしまったのはカツアゲ現場で、悩んだ末に助けに入ってしまった。
「お巡りさん!こっちです!」
「やっべぇ!警察だ!ずらかるぞ!」
「…」
「大丈夫?あ、お巡りさんはさっきの奴らを追い払う為の寸劇だから!嘘も方便って言うでしょ⁉︎もう大丈夫、安心していいよ!」
「…もしかして、最恐ヤンキー向日千夏?」
何という偶然だろうか、出逢ってしまったのだ。千夏の過去の姿を知っている人間と
「…チガイマスヨ〜」
「ウッソだぁ!そっくりっすもん!ホラ!オレ、◯町に住んでた砂糖恭子(さとう きょうこ)!ちょっと前に千夏さんに喧嘩売って負けて、覚えてろよ〜!って言った!」
「…お前かぁ!」
「ほら!覚えてるじゃないっすか!」
否、あんな典型的な負け台詞を吐かれたら、誰だって覚えているだろう。
然し何で隣町でヤンキーをやっていた彼女がカツアゲなんてされていたのだろう、ふと千夏は顎に手をかけ思案した。
すると恭子は千夏の思考を汲み取ったのか『実は…』と話し出した
「あの後、千夏さんに負けてぇ…、千夏さんを探し回ったんす、けどもうその頃には千夏さん、こっちの町に引っ越したって風の噂で聞いて…、ヤンキー辞めて追いかけてきたんす」
「それで何でカツアゲに繋がるのさ…」
「ルンルン気分でアイス食べてたら、こっちの不良にぶつかっちゃって…、アイスべっとりつけちゃって…」
「自業自得じゃんか」
はぁ、と溜息を吐いて折っていた膝を立ち上がるために伸ばす。
「兎に角、私、今は学校で普通の女の子として生活してるから、黙っていてね」
「…もし、バラしたらどうなるんすか?」
「処す」
「しません」
「てなわけで、じゃあね〜」
「はい!また学校で!」
少し違和感を覚えながらも空腹が凄かった為、無視を決め込み千夏は帰宅した。
そんなやりとりをした三日後
「初めまして!砂糖恭子っす!尊敬する人は向日千夏さんす!よろしくお願いします!」
千夏は呻いた。どうしてお前までこっちの学校に来たのだと。
途端ざわつく教室内、千夏は頭を抱えた。御影が不安そうに此方を見ている。雛哪に至っては『何したん⁉︎』というような目で此方へ疑問を訴えかけている。知るか。知りたいのは此方の方だ。
『因果応報』昔、兄である夏也に言われた言葉を思い出した。これは確かに注意もんだわ、そんなことをぼんやり考えながら千夏は眉間の間に寄った皺をほぐすようにもんだ
「聞きました?千夏先輩、三組の唐辛(とうがら)が他校のヤツにボコられたんすよ」
取り敢えず昼休み休憩中に喧嘩情報を教えてくるのはやめてほしい。
向日千夏(むかい ちなつ)、十四歳、中学二年生、またまた波瀾万丈な学園生活を送ることになりそうです。
終
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