第32話:春祭り、ドキドキの前日
春祭りの前日、
厨房の空気は、
そわそわと弾んでいた。
「りるむちゃん、後輩ちゃん!」
店長が、にこにこと声をかけてきた。
「今日のうちに、最終確認しようね」
「はいっ!」
私と後輩ちゃんは、
ぱたぱたと並んで返事をした。
作業台の上には、
きらきら光るパックたちと、
ふわり香る春キャベツ。
チーズも、
ちいさな春巻きの皮も、
ぴんときれいに並んでいる。
「パック詰めはこれで大丈夫かな?」
店長が、
メモを見ながら言った。
「はいっ、ミニ春巻きが6個入りで、合計30パック作りますっ!」
後輩ちゃんが、
元気いっぱいに答える。
「試食用も、ちゃんと準備しますっ」
私は、
胸をとんとん叩きながら、
小さく深呼吸した。
──大丈夫、大丈夫。
でも、
心の奥では、
ちいさなドキドキが跳ねていた。
──うまくいくかな。
──誰も買ってくれなかったら、どうしよう。
そんな不安が、
そっと顔をのぞかせた。
後輩ちゃんも、
そわそわとエプロンのすそをいじっていた。
ふたりとも、
ちょっとだけ、緊張していた。
「りるむ先輩」
「ん?」
「わたし、すっごく楽しみだけど、ちょっとだけ……こわいですっ」
後輩ちゃんが、
小さな声で言った。
私も、
そっとエプロンのすそをにぎった。
「うん、わかるよ」
ふたりで顔を見合わせて、
くすりと笑った。
──こわいのは、
──きっと、それだけ本気だから。
「でも」
私は、
胸の奥から、ゆっくり言葉をつむいだ。
「大丈夫。
わたしたち、春風を届けるだけだよ」
後輩ちゃんが、
ぱっと顔を明るくした。
「はいっ!」
エプロンのすそを、
きゅっとにぎりしめて、
ふたりで、春巻きを包みはじめた。
春キャベツをふんわり、
チーズをたっぷり。
くるくる、ぺたぺた。
トングをにぎる手も、
いつもより少しだけ、強くなった気がした。
ジュワッ。
油の中にすべらせると、
春キャベツのやさしい香りが広がった。
きつね色に揚がったミニ春巻きたちが、
ころころと並んでいく。
売り場の奥では、
パックがきらきら光っていた。
──あした、この春風たちが、たくさんの人に届きますように。
心の中で、
そっと願った。
準備がすべて終わったころ、
外はすっかり夕暮れだった。
お店のドアを開けると、
春の夜風が、ふわりと吹きぬけた。
「りるむ先輩っ」
後輩ちゃんが、
ぱたぱたと駆け寄ってきた。
「がんばりましょうねっ!」
私は、
胸いっぱいの「うれしい」と「よしっ」をこめて、
にこっと笑った。
「うんっ!」
また、あした。
ふたりで、いっしょに。
ちいさな春風を、
誰かの今日に、そっと届けられますように。
今日も、願いをこめて。
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