【毎日17時投稿】『白馬は二度現れる』
湊 マチ
第1話 白馬の記憶
東京・六本木。
ビルの谷間に浮かぶように佇むガラス張りの会議室で、北山吉高は沈黙を守っていた。革張りの椅子に背を預けたまま、窓の外に広がる春霞の東京湾をじっと見つめている。
彼の眼下には、かつて“夢”を売る城だったフジテレビ本社ビルの影がかすかに映っていた。斜陽の光を浴びたそのフォルムは、もはや過去の栄光の残像にしか見えない。
心の奥が、微かに軋んだ。
あの日々を、忘れたことはなかった。
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──2005年。
ライブドアによるニッポン放送の買収劇。
テレビ局という“聖域”に外資が乗り込むなどという未曽有の騒動に、業界全体が揺れた。北山はその渦中に飛び込んだ。SBIホールディングスという金融グループの社長として、そして「ホワイトナイト」として。
「正義」の顔をして、買い支えた。
「公共性を守るため」という大義が、彼自身の胸にも確かにあった。
だが──それは本当に、正しかったのか。
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北山はゆっくりと立ち上がる。
机の上には今朝の新聞が積まれていた。その一面には、自分の名前とともに、「フジHDへ株主提案、北山氏ら12名が取締役候補として名乗り」とある。脇には、あの発言の一節が抜き出されていた。
「5%くらい買うのはわけないことです」
言ってやった、と彼は思った。
だがその言葉の裏に、自らも気づいてしまった感情がある。
“怒り”だ。
誰に対してか──それは自明だった。自分自身である。
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「私が、堀江くんに悪いことをした。」
昨日の会見の壇上で、彼はそう言った。
20年前の決断が、結果としてフジテレビを延命させた。だが、それは組織としての延命であり、魂を救ったわけではない。彼が守ったのは、“理念なきテレビ局”の未来だったかもしれない。
「私の判断が、珍しく外れていた。そう思うんです。」
声にした瞬間、胸の奥に沈んでいた何かが動いた。悔しさか、羞恥か。あるいは、それでもなお立ち向かおうとする再起の意思か。
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彼の耳には、いつかの堀江の声が蘇る。
「変わらなきゃ、テレビなんて終わるんですよ」
嗤ったように見えた、あの挑戦者の目。
今になってようやく、それが真実だったと理解したのだ。
だが遅すぎるという気は、不思議となかった。
「変えられる。いや、今しかない。」
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北山は窓の前に立ち、静かに拳を握った。
報道を名乗る者たちが、既得権益に塗れ、問題を揉み消す様を見てきた。
組織改革を提案した者が社内で冷遇される現実も、知っている。
にもかかわらず、誰も声を上げない。それを「伝統」や「文化」と言って美化する空気に、彼は嫌悪を覚えた。
だからこそ、今、自らが乗り込むのだ。
ただの批判者ではなく、提案者として。
脅しではなく、実行者として。
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「私は反省する者です。だが、対抗してくるなら、いつでも受けて立ちます。」
そう宣言した昨日の会見。
その言葉が一人歩きしても構わない。
むしろ、“あの北山が本気だ”と伝わることが大事だった。
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この春。
フジテレビが変わるか、変えられるか──その瀬戸際に立たされている。
いや、正確には、「自分が変えねばならない」という使命感が、北山を動かしていた。
彼の心は、再び火を灯された白馬のように、静かに、しかし確かに闘いの場へと向かっていた。
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次回 第2話「取締役候補12人の素顔」
牙を剥かれた組織は、どう応じるか。
そして、若き報道局員・朝倉あかねの覚醒が始まる。
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