第16話 次なる兆し
都市中央エリア、第三環状階層(サード・レイヤー)。
天井高く伸びた多層構造のショッピングゾーン。
空中を移動する歩道と、情報表示を浮かべたホログラム広告が立体交差する。
左右には無人展示式のブティックや、ARフィッティング対応の雑貨店。
一面ガラス張りの“雲上カフェ”では、浮遊ソファで食事を楽しむ人々の姿が見えた。
「……いろいろ変わってしまったな」
人混みというより、情報の渦に包まれながら──凪人は周囲を一瞥した。
その隣で、明璃が軽く手を挙げる。
「ほら、ついてきて。今日の目的、忘れてないわよね?」
「……プレゼントってやつか」
「そ。プロ試験、合格おめでとうってことで」
「別に、そんな大したこと……」
「──だめ。これは、私の気持ち。受け取って」
軽く睨まれ、凪人は観念するように肩をすくめた。
***
2人が入ったのは、アクセサリーと装飾機器を扱う高感度セレクトショップ。
陳列棚には、発光素材を埋め込んだリストデバイスや、感情反応で色の変わるマテリアルリングなどが並んでいる。
「んー……これなんか、シンプルでいいかも」
明璃が手に取ったのは、細い黒革のブレスレット。
中核には微細なメモリチップが内蔵されており、薄く青いラインが脈打っている。
「戦場でも邪魔にならないし、日常でも違和感ない。──あなたに合ってる」
「……本当にいいのか?」
「いいの。気に入らなかったら、あとで文句言ってもいいから」
凪人は静かに受け取り、その場で手首に巻いた。
「……悪くない」
その一言に、明璃はふっと目を細めて笑った。
***
カフェスペースは、建物の上層フロアにある浮遊ラウンジ。
都市全景を見下ろせるガラスドームの中で、凪人と明璃は向かい合っていた。
「甘いの、好き?」
「……特に嫌いじゃない」
テーブルには、炭酸の泡がきらめくノンアル・フルーツドリンクと、薄く焼かれたグリッドケーキが並ぶ。
会話は多くない。それでも、不思議と気まずさはなかった。
凪人がふと、目を伏せながら呟く。
「こういう時間……久しぶりかもな」
「……そう」
明璃はカップを持ちながら、そっと微笑んだ。
「また一緒に、来てくれる?」
「……ああ。別に、構わない」
「ふふっ……ありがとう、凪人くん。
少し頬を膨らませたように言って、明璃は視線を逸らす。
凪人はその横顔を見て、小さく笑った。
──そんな時間が、ほんのわずかだけ、永遠に続く気がした。
***
──とある高層ビルの最上階。暗く、重厚な装飾が施された室内。
巨大なホロスクリーンには、凪人と黒瀬の激戦が繰り返し映されていた。
静かに流れるのは、プロ冒険者試験の映像記録。
試験場で銃を手に戦う少年の姿が、再生されている。
「……なるほど」
革張りの椅子に背を預け、脚を組むひとりの男が、映像に目を細めた。
年齢は不詳。黒のコートに身を包み、声にも顔にも棘はない。
しかしその眼差しだけが、冷たく底知れなかった。
「見どころはある。正規の訓練を受けていない者にしては、反応が洗練されすぎている」
誰に語るでもなく、淡々と評価を口にする。
「――あれが、名簿に記録のなかった“綾瀬凪人”か」
「はい。試験の記録からの照合でも、過去データは確認できておりません」
背後で控えていた幹部らしき男が、静かに頷く。
「記録にない者が、結果を残した。しかも、うちの“黒瀬”を倒して、だ」
ふ、と笑みが漏れた。
「……面白いな」
そこへ、室内の扉がノックされる。
「黒瀬が、参りました」
「通せ」
返事は柔らかくも、決して逆らえぬ威圧を含んでいた。
数秒後、黒いスーツに身を包んだ黒瀬豪司が姿を現す。
その表情には悔しさも怒りもなく、ただ、虚ろな沈黙が漂っていた。
「来てくれてありがとう、黒瀬。……君に、失望はしていない」
男は穏やかに語りかけながら、机上の小さなケースに手を伸ばす。
「ただ、君には──もう少し“正確に動いて”もらう必要がある」
「……っ?」
黒瀬が反応するよりも早く、背後に控えた部下が静かにインジェクターを首筋に押し当てる。
ピッ──
一瞬、微細な起動音。
その瞬間、黒瀬の身体がビクリと硬直した。
「チップの埋設完了。神経接続、安定。応答信号受信確認」
背後の部下が淡々と報告する。
男は頷き、再び黒瀬の前に目を戻した。
「これで、君は無駄な感情に惑わされることもなくなる。──ただ、命令された通りに動き、勝利を積み上げればいい」
黒瀬の表情からは、明確な“意志”が消えていた。
その瞳はどこか、遠くを見つめているようだった。
「……聞こえるか?」
「……はい。命令を、承認します」
その言葉に、男は微笑を深める。
「良い子だ。君にはまだ、果たしてもらう役割があるからね」
そして、男はふたたび凪人の映像へと視線を移した。
──ゼログリムの銃口が、黒瀬を捉える直前。
少年の目に浮かんでいた“覚悟”だけを、男は見逃さなかった。
「さあ、“綾瀬凪人”……君はこの世界のどこまでを、踏み越えてくるつもりだ?」
黒いフードの男の声が、再び闇に溶けていく。
その部屋にはただ──制御された沈黙だけが残っていた。
─夕暮れの風が、ビルの隙間を抜けていく。
買い物袋を提げた凪人とあかりは、駅前の歩道に並んでいた。
空は朱に染まり、街路灯が静かに灯り始める。
「……今日はありがとな、色々と」
凪人が視線をそらしながら言うと、あかりは小さく笑った。
「ふふ、どういたしまして。こっちこそ付き合ってくれてありがとう」
一拍の間が流れる。
そして、ふとあかりが思い出したように言った。
「──そういえば、ギルマスが言ってたわよ。あなたに“伝えたいことがある”って」
「え?」
その瞬間、凪人の端末が振動した。
画面には、新しい通知が表示されている。
【《銀鷹連》通達:綾瀬凪人 様】
【内容:ギルドマスターより個別面会の希望】
【日時:任意(なるべく近日中)】
【場所:銀鷹連ギルド本部・第2会議室】
「……また、呼ばれたか」
凪人が苦笑混じりに呟くと、あかりは肩をすくめて言った。
「ギルマスって、一度気になった人にはとことん話したくなるタイプなのよ。きっとあなたのこと、相当気に入ってるんだと思う」
「……俺はまだ、ギルドに入るとは言ってないけどな」
「そうね。でも──いつかは、わからないわよ?」
からかうように微笑んだあと、あかりは軽く手を振る。
「それじゃ、またね。今日は楽しかったよ、凪人くん」
そう言って、制服の裾を揺らしながら、街の灯に溶けていくように背を向ける。
残された凪人は、しばらくその背中を見つめたあと──静かに端末の画面を閉じた。
(……ギルマスが、俺に伝えたいこと……か)
まだ知らない“何か”が、また動き出している気がした。
少しの風が吹き抜ける。
──凪人はゆっくりと端末を閉じると、目を伏せて呟いた。
「……まあ、銀鷹の結城瞬さんに推薦してもらえなかったら、俺はプロの冒険者にはなれなかったからな」
その声は、どこか静かな決意を帯びていた。
「なるべく早く、お礼も兼ねて行かないとな……銀鷹連本部へ」
空を仰ぐ。朱色が、夜に溶けていく。
──次の一歩を踏み出す、その時はすぐそこまで迫っていた。
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