第14話 交錯する一撃

視界を裂くように、蒼い残光が弧を描く。


《ゼロパス》──空間座標を瞬間的に飛び越える移動術式。

凪人はその一閃と共に、黒瀬の拳をかすめるように回避していた。


「チッ……ちょこまかと……!」


黒瀬が舌打ちと共に振り返る。

次の瞬間には、凪人の銃口が──すでに奴の背後にあった。


「《ライン・ブレイク》──ッ!」


放たれた一撃が、衝撃波と共に黒瀬を弾き飛ばす。

だが──


「オラァッ!!」


黒瀬は咆哮と同時に腕を交差し、衝撃を耐え切る。


(──効いてる、けど決定打にはならない!)


一瞬の間を置いて、ふたたび黒瀬が踏み込んできた。

スーツ越しに筋肉がうねるような動き。視線を外した刹那、足元の床が爆ぜた。


「逃げんじゃねぇよ、“英雄様”!」


──バンッ!!


凪人はふたたび《ゼロパス》を起動。

射撃と移動を同時に行い、黒瀬の攻撃範囲からギリギリで離脱する。


「くっ……はァ、はァ……っ!」


(身体の反応が……遅れてきてる……!)


限界は近い。

それでも──凪人は撃つ。


一発、また一発。

黒瀬も次第に息を荒くし、肩で呼吸しながらそれを迎え撃っていた。


「──ガキのくせに……面白ぇじゃねぇか……!」


攻防の隙間。

ふたりの足元には、幾筋もの焦げ跡が刻まれていた。


結城瞬は、観客席から静かに呟く。


「……互角、か……」


その隣で、明璃は拳を握る。


(まだ……まだ凪人くんは戦える)


一進一退。

蒼と黒の閃光が交錯する中、凪人の表情は、戦いの中で確かに変わり始めていた。



「ッらぁああああああああっ!!」


黒瀬の拳が唸る。


爆音と共に、リングの床が砕けた。

凪人は滑るように身を引いたが、肩がかすめられ、血飛沫が舞う。


「がっ……!」


(やべぇ、速い──! でも……見える)


敵のリズムが、ほんのわずかに──読めてきた。


「避けんじゃねぇぇぞコラァ!!」


黒瀬はさらに飛び込んでくる。

だが、凪人の足がその瞬間──フッと消える。


《ゼロパス》


再び空間を断ち、反対側へ回り込む。

背後から至近距離での《ライン・ブレイク》を放つが──


「読めてんだよ、その程度!!」


黒瀬が振り向きざまに肘打ちを叩き込んできた。


──ドガッ!!


視界が揺れる。吐き気と鉄の味が喉を満たす。

凪人の身体が吹き飛び、リングの壁に叩きつけられた。


(くっそ……マジで、こいつは──バケモンだ)


だが。

凪人は、倒れながらも手を離さない。ゼログリムを握り続ける。


そのときだった。


──ピッ。


『適応率:上昇確認──現在:13.4%。新戦術領域への移行を検討可能』




「……っ!」


『戦闘環境への適応値が基準突破。

新戦術スキル──《ゼロレンジ・アンサー》、使用可能』


(……カウンター。至近距離対応……!)


凪人の目が見開かれる。

倒れたまま、静かに銃口を下げ──膝をついて立ち上がる。


「……あ?」


黒瀬が眉をひそめた。


「まだやんのか、ガキが……!」


だが、凪人の表情は、さっきまでと違っていた。

ゼログリムが、低く音を立てて再起動する。


(……次の一撃。あいつが来る瞬間……)


(──決める)


《ゼロレンジ・アンサー》


そのスキル名が、脳内に焼き付いた。


明璃の息が、わずかに止まる。


結城が目を細めたまま、呟いた。


「……目つきが変わったな、綾瀬凪人」


リングに、重たい空気が流れていた。


何度倒れても立ち上がる凪人に、観客席のざわめきも徐々に止んでいく。

それを見下ろし、黒瀬豪司が、ついに顔を歪めた。


「……マジで、うぜぇな」


ボキ、と首を鳴らし、拳を握る。


「もう終わりにしてやるよ。人間相手にこれ使うのは初めてだぜ」


その声とともに、黒瀬の体が闇のように歪む。

右腕が膨張し、黒い衝撃波のような波動が周囲に広がる。


「《砕神の腕(アーム・ブレイカー)》──フル・ドライブ」


凪人の目が、微かに揺れた。


Orisの警告が、耳の奥に突き刺さる。


『危険──敵異能、破壊出力・制圧加重にて“致死圏内”』


だが、凪人の脚は、もう動かない。

肩で息をするだけで精一杯だった。


(……もう……避けられねぇ)


黒瀬の巨腕が、空気ごと空間を裂きながら、凪人へと振り下ろされる──!


──その瞬間。


Orisの声が、静かに響いた。


『……撃てます、凪人』


(……っ!?)


一言。それだけだった。

だが、それは確信をもって背中を押す、揺るがぬ言葉だった。


ゼログリムが、凪人の意志と完全に“同期”する。


視界が加速する。思考が研ぎ澄まされる。

迫る破壊の一撃が、ゆっくりと見えてくる。


(……今なら──届く!)


「──ゼロレンジ・アンサー」


凪人の右手が、ゼログリムの銃口を上へと向けた。

真上から迫る黒瀬の拳。その拳の“中心”へ、まっすぐに──


──ズガンッ!!!


轟音と閃光。

リングの床が弾け飛び、観客が息を呑む。


黒瀬の腕が、勢いのまま空中で吹き飛び、床へと叩きつけられた。




──沈黙。


灰色のリングに、白煙と焦げた臭いが漂う。


「…………っはぁ、っ、は……!」


凪人は膝をつきながらも、ゼログリムを握ったまま、その場に立っていた。


目の前には、黒瀬豪司の巨体が、床に崩れ落ちている。


仰向け。右腕は焦げ、胸には焼き付くような衝撃の痕跡。


静寂の中、試験場の天井から浮かぶホログラムが──“身体反応の停止”を示していた。



「ダ、ダウン確認──黒瀬豪司、戦闘不能!」



その瞬間、凪人の肩がわずかに揺れた。


深く息を吐き──叫ぶ。


「……っしゃあああああああああッ!!」


全身ボロボロ。足元もふらついている。

それでも、勝った。やりきった。

今にも崩れそうな体を、気力だけで支えながら、凪人は拳を握り締める。


場内がざわつく中、試験官が走り寄った。


「黒瀬の様子を確認! 急げッ!」


係員が駆け込み、意識を失った黒瀬の容態を診る。

肩や腹部に重度の損傷、骨折。だが、命に別状はなさそうだ。


「意識は……なし。だが脈はある!」

「すぐ搬送班を──!」


凪人はそのやり取りを聞きながら、ゆっくりと腰を落とした。

全身が痛む。だが、奇妙な静けさと達成感が、胸の奥に残っている。


ホログラフ端末を操作し、周囲の試験官たちへと目配せする。


「これより、判定処理に移行します」


試験場の中央に、青い光が展開される。


《A.N.G.E.L》による審査プログラムが起動し、凪人と黒瀬、両者の戦闘データが高速解析されていく。


──約十秒後。


空中のホログラムに、判定結果が映し出された。


【プロ等級冒険者試験:特別推薦枠】

【対象者:綾瀬 凪人】

【判定:──合格】


瞬間、観客席からどよめきが起こった。


「え、今のって──」「マジで倒したのか……!?」「プロ合格!?」


だが、その声は、凪人にはほとんど届いていなかった。


視界が、揺れていた。

全身が、限界に近い。意識が、落ちそうになる。


(──勝った、のか……?)


ふと、視界の端に、誰かが駆け寄ってくるのが見えた。


金髪が揺れる。神谷明璃だった。


彼女はしゃがみこみ、静かに笑った。


「凪人くん……お疲れ様。やっぱり君は、すごい人だったんだね」


その言葉が、ようやく凪人の背中を支えてくれた気がした。


──そして、そのまま。


凪人の身体が、静かに倒れ込む。


明璃がすぐにその身を抱き留め、振り返る。


「救護班! 早く、こっち!」


試験の勝利。合格の判定。


けれど、それは──“始まり”にすぎなかった。

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