第10話 追悼と招待
─「追悼」
退院の日の午後。
空はよく晴れていたけれど、風は冷たかった。
俺は、制服ではなく黒のジャケットを羽織っていた。
その場にふさわしいかどうかもわからないまま──足を運ぶ。
学校敷地内の一角にある、慰霊スペース。
本来は事故や異能暴走の犠牲者のために設けられた場所らしい。
けれど今日は、“クラス”単位でそれが使われていた。
Fクラス追悼式。
ダンジョン遠征の帰り道で、急遽取り行われることが決まったらしい。
ずらりと並んだ白い遺影。
誰もが──泣いていた。
「うちの子、どうして……」
「もっと早く気づいていれば……!」
「先生たちが、守ってくれるんじゃなかったんですか……!」
取り乱す保護者。
声も出せず、ただ佇む人たち。
誰かの母親が、誰かの兄が──
目の前で崩れ落ちる。
俺は、それをただ見ていた。
顔も名前も、ほとんど知らないクラスメイトたち。
教室でも会話したことなんて、ほぼなかった。
それでも今、彼らの“最後”に、俺はここに立っている。
(……俺が、もっと強ければ──)
きっと、誰かは助けられた。
プロの冒険者が倒されたとき、動けなかった俺が、もっと何かできていれば。
(……守れたかもしれない)
不意に風が吹いた。
白い花が一輪、祭壇から転がって、足元に落ちた。
それを拾って、そっと祭壇の上へ戻す。
その瞬間、誰かが俺に目を向けていた。
ゆうまだった。
隣には玲奈とカズキの姿もある。
──けれど、彼らもまた何も言わなかった。
ただ黙って、それぞれの思いを抱えながら、立っていた。
(これが、俺の原点になるのかもしれない)
何も守れなかった。
けど、それでも──
(次は、絶対に)
強くなる。
そのために、俺はこの日を忘れない。
──翌朝。
制服に袖を通して、いつも通りの時間に家を出た。
空気は澄んでいて、どこか静かすぎる。
(……登校日か)
たったそれだけのことが、妙に重たく感じる。
昨日の追悼式が、まだ胸に残っていた。
正門をくぐると、すでに生徒たちのざわめきが広場に満ちていた。
「ねぇ、聞いた? 第七ダンジョンでFクラスのほとんどが──」
「プロの冒険者までやられたって……マジ?」
「でも、生き残ったやつ……“ひとりで戦った”らしいよ」
「名前……綾瀬、なんとかって──聞いたことないな」
通りすがりの声が、耳に入る。
顔も知らない誰かたちが、“俺の話”をしていた。
(……別に、知られたいわけじゃない)
でも、胸のどこかがざわつく。
昨日、あの場で見た“死”たちが、まだ心に残っていた。
***
Fクラスの教室は、以前よりもずっと静かだった。
誰も喋らない。
空席が目立つ。
机がいくつも、撤去された後のまま。
その一番奥に、俺は座った。
(──これが、残された側の現実か)
そのとき、ドアが開く音がした。
担任が、ゆっくりと中に入ってくる。
「……静かだな」
教室を見渡し、溜め息をひとつ落とす。
「……綾瀬。ちょっと、来てくれ」
声をかけられ、俺は無言で立ち上がった。
***
職員室の前──ではなく、そのまま階段を上がった先。
使われていない準備室のような場所に通された。
「ここなら、聞かれる心配もないからな」
担任は小さく呟き、ホログラムを操作する。
「──Fクラスの件、すまなかった。……俺にも責任がある」
言葉は静かだったけれど、目だけは本気だった。
「……あの場に俺がいたら。そう、思ってる」
俺は何も言わず、ただ頷いた。
担任は小さく息を吐き、言葉を続けた。
担任はホログラム端末をいじりながら、どこか困ったような顔で言った。
「……で、だな。綾瀬。お前に、“ギルド”から連絡が来てるらしい」
「……ギルド?」
「そうだ。《銀鷹連》。日本でも屈指の実力派ギルドだ。
お前を──“注目した”らしい」
俺はまばたきをする。
(銀鷹連……あかりさんのギルドか)
担任は端末のホログラム画面をこちらに向けた。
【《銀鷹連》より:綾瀬凪人への個別接触通達】
【内容:冒険者ギルド本部での面会希望/本人の意思を優先】
【時刻:本日12時/受付カウンターDへ】
【場所:銀鷹連本部】
「えーと、正式な内容まではこっちにも共有されてなくてな。どうも“面会希望”ってだけみたいだが……理由は書かれてない」
担任は苦笑いを浮かべた。
「いやな、こういうの初めてで……俺も正直、どう扱えばいいのか……」
「俺、まだプロの冒険者じゃないんですけど」
「ああ、そこも気になってんだが……“登録者に限らず、個別対応可能”って注記があった。つまり──例外的な対応ってことなんだろう」
俺は無言で視線を落とした。
「ま、詳しい話は実際に行って聞いてくれ。授業は……まぁ、今日は免除ってことでいいだろう。早めに向かったほうがいい」
「……了解です」
担任はどこか他人事のように、けれど戸惑いを隠せないまま、背を向けた。
(俺は、まだFクラスの生徒だ。だけど──)
その視線の先に、変わってしまった“日常”が、静かに広がっていた。
「さっき先生に呼ばれてたけど……どうしたの?」
教室に戻った凪人を見つけて、ゆうまが首を傾げる。
玲奈も小さくうなずいて、「なんだか……心配で」と言った。
真壁カズキが、少し茶化すように言葉を挟む。
「まさか、また“ダンジョンに行け”とか言われたんじゃないよな?」
凪人は、少しだけ笑ったあと、ポケットから端末を取り出して3人に見せた。
「いや──《銀鷹連》から、面会希望が来た」
「……ギ、ギルドの?」
ゆうまが目を丸くする。
「しかもトップじゃんか、銀鷹って……あの明璃先輩の所属してるとこだろ?」
「うん。たぶん……あかりさんの推薦か、何かだと思う」
凪人は端末の画面を見つめる。
【《銀鷹連》より:綾瀬凪人への個別接触通達】
【内容:冒険者ギルド本部での面会希望/本人の意思を優先】
【時刻:本日12時/受付カウンターDへ】
【場所:銀鷹連 本部】
玲奈が、不安そうに尋ねる。
「……行くの?」
「行くよ。断る理由もないしな」
「そっか……でも、無理だけはしないでね」
「おう。あかりさんもいるはずだし、何か無茶なことにはならないさ」
カズキが腕を組みながら、ニヤッと笑った。
「ちゃんと話聞いてこいよ、プロ候補さん」
凪人は苦笑して応じた。
「……まだ何も決まってないっての」
そう言って、鞄を背負い直す。
「それじゃ、行ってくる」
銀鷹連本部──。
──午前十一時四十五分。
凪人は、《銀鷹連》本部の前に立っていた。
都市の中心部、高層ビル群の一角に構えるその建物は、他のどれとも違っていた。
全面ガラス張りの外装には、青銀のラインが幾何学的に走り、ビル全体が“機能美”を纏っているような印象を与えてくる。
そして、上層部に大きく浮かび上がる紋章──銀色の翼と剣。
誰が見ても、“最強ギルド”の名に恥じない威容だった。
「……場違い感、すげぇな……」
端末を確認して、凪人は自動ドアをくぐる。
エントランスホールは、まるで美術館のようだった。
ホログラムによるミッション履歴の表示。ギルド加盟者のランクスコア。
天井には薄く光を放つルミナスパネルが埋め込まれ、近未来的な光が床を照らしていた。
受付カウンターDへ向かい、端末を掲げると──すぐに声が届いた。
「綾瀬凪人さんですね。お通しします」
無人のカウンターから、ドローン式の案内端末が浮かび上がる。
静かに凪人の前を飛び、奥のセキュリティゲートが開いた。
数回の曲がり角とフロアエレベーターを経て、案内は止まった。
扉がスライドして開く──
そこにいたのは、6人ほどの男女。そしてその中心には、
「あら、来たわね」
金髪ロングの少女──神谷明璃が、軽く手を挙げて微笑んだ。
その隣に立つ長身の青年が、ゆっくりと振り返る。
漆黒のコート。端整な顔立ち。目元は鋭いが、どこか穏やかな空気をまとっていた。
「君が、綾瀬凪人くんか」
声は落ち着いていたが、芯がある。
「……あんたは?」
「結城 瞬。《銀鷹連》ギルドマスターだ」
その名を聞いて、凪人の背筋が少しだけ伸びた。
──現日本ランキング1位ギルドの頂点。
──異能者の頂点。
そんな存在が、今──自分の目の前に立っている。
結城瞬は、静かに目を細めた。
「まずは、あの戦いでの行動に敬意を表する。あの“バケモノ”と正面から戦ったのは、君だけだったそうだね」
「……いえ。俺は、ただ……生き残っただけです」
凪人は視線を逸らす。
「他にも、生き残ったやつはいます。でも──俺が、誰も守れなかった」
その言葉に、明璃が静かに言葉を添える。
「けれど、あなたがいなければ、あの3人も死んでいたわ。……それは事実よ、凪人くん」
結城はそのやり取りを聞きながら、うなずいた。
「話の続きは──落ち着ける場所でしようか」
そう言って、ギルド奥の応接室へと歩き出す。
(……なんなんだ、この展開)
ついていく凪人の手のひらには、うっすらと熱が残っていた。
─翌日
都市中心部、高層ビル群の一角にそびえる銀鷹連本部。
凪人は、再びそのエントランスをくぐった。
受付カウンターDで端末をかざすと、すぐに無人案内ドローンが浮かび上がる。
「綾瀬凪人様、ご予約を確認しました。応接室Bへご案内いたします」
「……ああ、よろしく」
無機質な声に頷き、案内に従って歩を進める。
セキュリティゲートを抜け、いくつかの曲がり角とエレベーターを経て──ドアが開いた。
そこにいたのは、神谷明璃だった。
「あ、来たわね。……凪人くん」
「よぉ。ちゃんと来たぞ」
凪人は、部屋の奥に視線をやる。
そこにはすでに数名の銀鷹連メンバーが立っており、その中心に──
「ようこそ、綾瀬凪人くん」
結城瞬が立っていた。
黒いコートに身を包み、落ち着いた声で言葉を続ける。
「来てくれてありがとう。──今日は、どういう話をしに来てくれたのかな?」
凪人は一度、深呼吸をした。
「……俺は、正式に銀鷹連に入団したい。もっと強くなりたいんです」
数秒の沈黙ののち──
「おお、マジか! 言ったな、今!」
そう叫んだのは、短髪で筋肉質な青年メンバーだった。
他のメンバーたちも、どよめきと拍手のような反応を見せる。
「歓迎するよ! 新入りって感じ、全然しないけどな!」
「いや、前から気になってたのよね。試験の映像、見たわよ?」
「あの黒瀬を倒した子か……いい目してるわ」
明璃が凪人の隣に歩み寄り、静かに言葉を添える。
「……ようこそ、銀鷹連へ。私も、うれしい」
凪人は照れくさそうに一瞬だけ目を逸らし、そして結城を見つめ返す。
「……ありがとうございます」
結城は柔らかく笑いながら頷いた。
「なら、改めて──ようこそ、銀鷹連へ。君の本当の冒険は、これからだ」
その瞬間、部屋の壁に設置されたホログラムディスプレイが起動し、
新たなメンバー情報が追加される。
《綾瀬凪人/登録完了》
それを見つめながら、凪人は静かに拳を握った。
(──ここから始まる)
英雄への道は、まだ遠い。
だが、確かに“新たな場所”を得たのだ。
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