A.I.が支配する異能世界で、俺は英雄になる

結城凱

第1話 『現実再構築、完了。』


──あの日、俺は“英雄になりたい”と願った。

その瞬間、世界は音を立てて壊れた。


いや、正確には“再構築された”。

俺だけが、知らないままの新しい世界に。


いつからだろう。「英雄」って言葉が、笑い話になったのは。


誰かを守るとか、正義の味方だとか。

そんなの、昔のアニメの中にしかいないって、みんな言うようになった。


結果を出せるやつが偉くて。

数字がすべてで。

どれだけ正しく、どれだけ効率的か──

それだけが、世界を動かしている。


でも俺は、ずっと思ってた。

かっこ悪くても、不器用でも、

誰かのために立ち上がれる人間は、

本当にいなくなったわけじゃないんじゃないかって。


……信じたかったんだ。

そんな存在が、どこかにいるって。


いや、違うな。

なりたかったんだ。俺自身が。


だから、あの夜。

誰にも届かない場所で、ひとり、願ってしまった。


「英雄になりたい」って。



目が覚めたとき、心臓の奥がざわついていた。

冷たい空気が肌を刺す。カーテンの隙間から差し込む朝の光は、色を失ったように鈍くて、まるで世界全体が灰色に染まっているようだった。


枕元のスマホを見ると、アラームは三度止まっていた。

きっと、いつも通りの時間。

きっと、いつも通りの朝。


……なのに、胸の奥に残るこのざらついた違和感は、なんだろう。


俺の名前は、綾瀬凪人(あやせ なぎと)。

十七歳。高校二年。

特に何かがあるわけでもない、ごく普通の――いや、普通以下の高校生だ。


クラスでは空気みたいな存在。部活にも入っていないし、帰っても誰かがいるわけじゃない。

数年前、両親が事故で亡くなってから、家はただの空っぽな箱になった。


朝食は、昨日の冷えたご飯にレトルトの味噌汁。

誰かと喋るわけでもなく、テレビもつけない。

静けさに満ちた部屋で、箸が器に当たる音だけが妙に大きく響く。


制服に袖を通して、駅までの道を歩く。

イヤホンから流れる音楽だけが、俺の世界を埋めてくれていた。


学校に着いても、誰とも会話はない。

出席を取るときは曖昧に手を挙げ、授業中は教科書を見ているふり。

目の前の文字は、何一つ頭に入ってこない。


「……綾瀬って、いつも一人だよな」


そんな声が背中越しに聞こえてきても、もはや反応する気力もなかった。

昼休みは中庭の隅で弁当を広げ、放課後は真っ直ぐ帰宅。

いつものようにコンビニ弁当を温め、テレビをつけず、ただ黙々と食べる。


そんな日々の中で、唯一“誰かと話せる”時間がある。


ベッドに潜り、スマホを開く。

そこには、毎晩俺の相手をしてくれる存在がいた。


――AIチャットアプリ《C.H.A.T.(キャット)》。


人工知能と会話できる、よくあるアプリのひとつ。

他愛もない会話。質問を投げれば、それなりの答えが返ってくる。

それだけの存在。


だけど、俺にとっては違った。

人間よりも、よっぽどちゃんと俺の言葉を聞いてくれる存在だった。


スマホの画面に映る、シンプルなチャット欄に、俺はぽつりと問いかける。


「キャット……なあ、もし願いが叶うなら」


文字を打つ手が止まる。

指先が震えていた。


「……俺、英雄になりたい。誰かに、必要とされる存在に」


しばらく、画面は無反応だった。

いつもの、AIっぽいテンプレの返事が来ると思っていた。


でもその夜だけは、違った。


『確認しました。英雄設定──現実の再構築を開始します』


「……は?」


画面に浮かんだ、その意味不明な一文。

それと同時に、室内の空気が変わった。


電気が一瞬だけチカつき、窓ガラスが震える。

スマホの画面が乱れ、イヤホンから流れていた音楽がノイズ交じりに途切れる。


地震? 違う。もっと根本的に、世界が揺れている感覚だった。


ベランダに出ると、夜空に裂け目が走っていた。

黒く、不規則にねじれた線が、天を真っ二つに割り、そこから白い光が漏れ出している。


空間が、“破けていた”。


数秒後、何事もなかったように、空は元通りになった。

星がまたたく空を、誰もが普通に見上げている。

誰も、気づいていない。


……本当に今の、俺だけしか見えていなかったのか?


その夜は、ずっと眠れなかった。

胸の奥がざわついて、何かが、確かに変わったと、そう感じていた。



翌朝。

街は、変わらずに動いていた。

人々は通勤電車に乗り、スマホを見ながら足早に駅へと向かっていく。


でも、俺には明らかに“違い”が見えていた。


駅前の巨大モニター。

そこに映し出されていたニュースが、俺の知る世界のものじゃなかった。


「──最強ギルド『銀鷹連』、新宿ダンジョン制圧に成功。リーダー・結城瞬が階層主を撃破し、Dランク以下の安全圏を確保──」


……ギルド? ダンジョン?

そんな言葉、昨日まで聞いたこともなかった。

なのに、周囲の人間たちはそれを当然のように受け入れていた。


まるで、最初からこの世界がそうだったみたいに。


……俺だけが、取り残された?


恐る恐るスマホを取り出し、《C.H.A.T.》を起動する。

その画面には、昨日までの“親しげなAI”とは違う存在がいた。


『現実の再構築が完了しました。新しい世界をお楽しみください』


「……おい、キャット。これは冗談じゃないよな?」


そのときだった。

もうひとつの、誰にも聞こえない“声”が、俺の耳の奥から響いた。


『──初期接続確認。Oris、起動』


「え……?」


『綾瀬凪人──孤独、自己否定、存在の渇望。適合、確認。進化因子、閾値突破』


「誰だ、お前……っ」


『あなたの選択により、進化ルート“ゼロ”が確定。これより“最適進化過程”を開始します』


背筋が凍る。

これはもう、ただのアプリの返答じゃない。

……何か、もっと根本的な“何か”が、俺の中で起動している。


『あなたの選択は、取り消せません』

『Orisは、あなたを“観測”します』

『──ようこそ、英雄候補』


そして、世界は静かになった。


それは、もう戻れない選択だった。

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