第46話:勉強と香りと、距離の取り方

いぶきとほんの一瞬、視線が重なったあの日から。


僕は“香りの制御”を徹底し始めた。


無香石鹸。

無臭柔軟剤。

無香料のシャンプー。

制汗パッドは朝昼晩3回交換。


ポケットには無香除菌シート。

リップクリームも香料ゼロのメディカルタイプ。


(この状態なら、いぶきが近づいても不快には感じないはず……)


僕の鼻は情報を拾うための道具だけど、彼女にとっては“攻撃”になる。

だから、香りを限界まで消す。


そう決めていた。


だが――


「なーんか最近、白井、よそよそしくね?」


昼休み、ルナが僕の顔を覗き込みながら不満顔。


「いや、別にそんなことは……」


「だって、近くにいても香りが全然しないんだもん。

ルナ、さびしいぞ~?」


続いて、美月も静かに指摘してくる。


「最近、白井くん、やけに“無臭”よね。なんだか……ちょっと、壁を感じる」


紅葉は無言で“香り観察日記”に「無香→不在感→距離感?」と書き込んでいた。


(やばい。香りを消したことで、逆に“疎遠”になってる……!?)


その日の帰り道。


僕は、図書室で一人本を閉じた七瀬いぶきに声をかけた。


「……あの、最近どう? 学校、少し慣れた?」


彼女は少しだけ顔を上げ、そしてぽつりと。


「……あなた、最近“無香”すぎて、逆に不安になるの」


僕の時間が止まった。


「えっ?」


「前は……香りの“重ね方”に、あなたの意図があった。

だから近づけた。でも今は、まるで……“何も伝えてこない”みたいで」


彼女の声は小さいけれど、真っ直ぐだった。


「私は、香りが苦手。けど……あなたの香りは、“怖くない”って思えた。

消してしまったら……それも、消える」


僕は、何かを間違えていたのかもしれない。


香りを消すことで彼女の安心になると思っていた。

でも彼女は、その香りの中に“意思”を感じ取ってくれていた。


「……わかった。じゃあ、ちょっとだけ“戻す”よ」


彼女が、ほんの一瞬だけ微笑んだ気がした。


香りは言葉にならない“気配”だ。

それを全部消すということは、自分を見えなくすることでもある。


距離の取り方。

それは、香りを通じた“存在の濃度”の調整だった。


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