第31話:異常な遺体臭、そして“車内の異変”
「……やっぱり、普通じゃないな」
浅見局長が、現場検証にあたる鑑識班の報告を聞きながら呟いた。
黒いバンの中から発見された遺体は、四十代の男性。職業は個人輸入業、身元は運転免許証からすぐに確認された。
死後三日以上が経過していた。
しかし――
「腐敗の進行と臭気の状態が合わない。体の保存状態に対して、臭いが“異常に濃い”んです」
僕はそう断言した。
「どういうことだ?」
「通常、三日も経てば腐敗臭はある程度空気中に拡散して“薄まる”はずなんです。
でもこの車は、密閉されていたのに匂いの滞留が異常に濃い。まるで……“封じ込めて熟成させていた”みたいに」
浅見は顎に手を当てた。
「わざと密閉して匂いを“溜め込む”。それが目的だったと?」
「か、もしくは――匂いで“何かを隠そうとした”可能性もあります」
僕はバンの車内に入る。
消臭スプレー、芳香剤、タバコ……どれもない。
代わりに、ある香りが僕の鼻先をくすぐった。
(これは……接着剤?)
「……あれ、局長。助手席側のフロア、なんか変な臭いします」
車内に充満していた遺体の腐臭とは違う、揮発系の化学臭。
アセトンやトルエンに近い、“工業用の強い溶剤系”の香りだった。
僕は手袋をつけてマットをめくった。
そこには、銀色のシートテープと、何かを固定していた痕跡がくっきりと残っていた。
「誰か……何かを“貼っていた”?」
「密閉して、しかも芳香剤も使わず、接着剤だけを残している……?」
僕の脳裏にある可能性がよぎる。
「偽装、かも。芳香剤で匂いをごまかすんじゃなく、あえて強い死臭で“香りそのものの記憶”を消そうとした。
でも残ってしまった、犯人自身の“生活臭”……それがこの接着剤だ」
浅見局長はうなずいた。
「この溶剤系の匂い。市販のものじゃなく、業務用と見たほうが自然だな」
「だとすると……使える場所も限られます。塗装業、家具製作、模型・クラフト系の店。香りの持続性が特殊すぎる」
そして、もうひとつ。
運転席のドアノブ付近。
わずかに指が触れたと思しき場所から、かすかに香る柑橘系の残り香。
それは香水ではなく、安物のシャンプーやハンドクリームに含まれる香料だった。
「……男の手にしては甘すぎる」
僕はつぶやいた。
「犯人、もしくは被害者以外の“誰か”がここに触れていた。女だ」
浅見局長の顔が引き締まる。
「……関係者がまだ近くに潜んでいる可能性もあるな」
死体の腐臭だけでは終わらない。
“香りの断片”が、犯人の生活の痕跡を物語り始めていた。
「次は、これらの香りを辿って、使われた製品・流通先を絞り込みましょう」
浅見は頷いた。
「頼むぞ、“鼻の名探偵”くん」
僕は深く息を吸い、バンのドアを閉めた。
車内にこもっていた、死と化学と日常が混じったあの匂い。
それは確かに、誰かの“暮らし”を閉じ込めていた。
香りは、記憶だ。
そして今回は、記憶が“罪”を暴く。
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