第25話:誰もいない教室、残り香の告白

文化祭前夜。

放課後のざわめきが静まり返り、校舎の中には、ほんのりと絵の具とカラーテープの匂いが残っていた。


僕はひとり、まだ片付けきれていない教室に残っていた。

掃除当番でもなく、手伝いでもなく、ただ“残っていた”。


……理由は、自分でもよく分かっている。


ふと目に入ったのは、椅子の背に掛けられたままの、淡いピンク色のストール。


(これ、美月のだ)


彼女が寒がりなのは知ってる。

昼間、窓際で作業していたとき、肩に羽織っていたのを見た。

たぶん、忘れて帰ったんだ。


僕はそっとストールに手を伸ばした。

その瞬間、鼻先をかすめたのは、ナイトフローラルの柔らかで大人びた香り。


普段の美月の香りとは違う。


(……夜のための香り)


静けさの中、香りが語りかけてくる。

それは、強くもなく、甘すぎもしない。

けれど、確かに“誰かに伝えるため”の香りだった。


「……あ」


振り返ると、教室の扉に小さな影。

そこにいたのは――久遠美月だった。


「あ、ごめんなさい。ストール……忘れちゃって」


「ううん、ちょうど今、気づいて……」


彼女は中に入り、僕の前まで歩いてくる。

そして、僕の手からストールを受け取りながら、少し顔を赤らめた。


「……匂い、ついてた?」


「……うん。強くはないけど、すごく印象に残る香りだった」


「やっぱり……ばれちゃうんだ」


美月はストールを胸元に抱きながら、静かに言った。


「昼間の香りは“周りのため”で、夜の香りは“自分のため”……そう聞いたことがあって。今日は、ちょっとだけ“自分の気持ち”を閉じ込めてみたの」


僕は彼女の横顔を見た。

校舎の窓から差す夕日が、彼女の頬をやわらかく染めていた。


「……ねえ、白井くん。香りって、ずっと残ると思う?」


「思い出になる香りは、たぶん消えないよ」


僕がそう答えると、美月は目を伏せ、そして静かに囁いた。


「じゃあ、今の私の香りも……残しておいて」


彼女は、そっと僕の腕に身を寄せた。

制服と制服が触れ合い、その間にストールが挟まる。


ほんの一瞬。

だけど、確かに香りが移った。


「……明日、文化祭が終わっても、きっと忘れないでいて」


「……うん。絶対に」


僕はそう応えた。

香りと一緒に、彼女の想いが伝わってきた。


言葉にならない告白。

誰もいない教室。

そして、香りだけが知っている“想い”。


文化祭の喧騒の前に、静かに落ちた――ひとつの恋の“余韻”。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る