龍人名家の落ちこぼれ
霧崎マユル
序章:まだ誰も知らない伝説の始まり
1話:名家ヴァフニールの落ちこぼれ
龍人。それは、太古に存在した偉大なる生物の力を宿す種族。
空を裂き、大地を揺るがし、世界にその威を示した伝説の生物『ドラゴン』。その血を引く者達は、現存する人種の中でも群を抜いて強大な魔力と常人離れした身体能力を誇り、王侯貴族の多くがその血を受け継いでいる。
なかでも、他種族国家のグランツヴァルト王国に名を馳せるヴァフニール家は、王国随一の名家貴族として知られていた。代々、一国家戦力に匹敵する力を持つ龍人を輩出し、文武の両方に秀でた一族。強き者こそがヴァフニール家の誇りであり、力なき者に居場所はない。
そんな家に、"例外"が生まれた。
「ルヴィン、不用意な外出はするなと言ったはずだ。お前はヴァフニールの名を汚す出来損ないという事を忘れるな。」
冷ややかな声とともに、父の視線が突き刺さる。
僕──ルヴィン・ヴァフニールは、生まれながらにして"落ちこぼれ"と呼ばれた。魔力量は兄や姉達と比べて圧倒的に低く、龍人種の誇る"龍化"の才能すら持たない。極めつけは、龍人が生まれながらにして持つ頑丈な『鱗』を持たずして生まれたこと。
兄達は鼻で笑い、母は憐れむようにため息をついた。
「てめぇは存在自体が迷惑なんだから何もすんな。燃やされたいのか?」
「弱く生まれたことを恥じ、慎ましく生きなさい。」
何度聞いたか分からない言葉の数々。何度味わったか分からない屈辱。僕はきっと産まれてくる家を間違えたのだろう。
いつものように、叱りを受けながらも雑務を終えた夜、薄暗い廊下を歩く音が微かに響く。
「ルヴィン様、またお怪我を?」
僕の姿を見つけるやいなや、彼女――シュバリエは足を止め、小さく息をついた。
淡い銀色の髪を後ろで束ね、
そんな彼女もまた異端だった。戦場に立つには"女"であることが足枷になり、貴族社会で生きるには騎士の誇りが邪魔をした。その結果、ヴァフニール家に仕える道を選び──そして、僕の世話役になった。
彼女の細い指がそっと僕の頬に触れる。痛みはあったが、こんなものにはもう慣れた。兄や姉たちの嘲笑、父の冷たい視線、母の諦め――それらに比べれば、この程度の傷は取るに足らない。
「大したことないよ。」
本当は痛いし、悔しい。だけど、泣き言を言ったところで何も変わらない。僕は『落ちこぼれ』なのだから。
シュバリエは黙ったまま、ハンカチを取り出して僕の服の汚れを拭った。その動作はどこまでも優しく、召使いと雑用をこなす僕の事をも主と考えてくれていることが伝わる。
どうして彼女は僕のような落ちこぼれに仕えてくれているのだろう?
屋敷の誰もが僕を疎み、父は侮蔑し、母は憐れむだけだった。龍人でありながら鱗を持たず、龍化の才能もない。ヴァフニール家の、これ以上ないほどの汚点。
最初は必死に抗おうとした。鍛錬に励み、龍化の練習もした。結果は見ての通り。努力は報われず、ただ嘲笑と失望を買うばかり。
なら、もういい。
もがくのをやめ、ただ"無害"であることに徹する。ヴァフニールの名を汚さぬよう、家の片隅でひっそりと生きる。それが僕に許された唯一の生き方なのかもしれない。
「…ルヴィン様。」
シュバリエの声が心配げに揺れる。彼女は気づいているのだろうか、僕が諦めかけていることに。
「明日の朝食の席には出られますか?」
「……いや、いいよ。」
家族と顔を合わせたところで、何も変わらない。どうせ無言の圧力と冷ややかな視線に晒されるだけだ。
シュバリエはしばし僕を見つめ、それからわずかに息をついた。そして、変わらぬ丁寧な仕草で言った。
「ではせめて温かいお茶をお持ちします。お身体を冷やすのは良くありません。」
こうして、彼女はいつも僕を気遣ってくれる。僕がどれだけ落ちこぼれでも、どれだけ不出来でも、シュバリエだけは変わらず僕を"ルヴィン様"と呼ぶ。
「情けないよね。こんなふうに助けてもらうことに慣れてしまった。」
自嘲気味に呟くと、彼女はふっと微笑んだ。
「お強いですよ、ルヴィン様は。」
「……どこが?」
「だって、まだ心のどこかでは立ち上がろうとしていますから。」
そう言われても実感はない。僕はすでに諦めている。家族からの期待も、龍人としての誇りも。どれだけ努力しても、僕は落ちこぼれのまま。
――それでも、こうして手を差し伸べてくれる人はいる。
「……ありがとう、シュバリエ。」
ほんの少し、あと少しだけ、自分を信じてみよう。そう思った僕は翌日、行動に移すことにした。
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