第四章∶十節 浜辺の宴

既に太鼓の周りに数人の若者が集まり、音に合わせて身体を揺らしている。セトゥとイシャナの姿もそこにあった。

ゲブトゥの若者達も周りに集まり出していた。


セヘテプがカカセオ達の焚火にやって来た。

アナシラは牛角杯にマハラを注ぐとセヘテプに手渡す。すると両手を仰ぎ、神への感謝を捧げるように受け取った。

そして炎に少し注いでから一口飲む。

発酵はだいぶ進み、もはや酒と化していた。

少し眉を上げ驚くような表情を見せたが、頷いてからもう一度杯を傾けた。

その姿を見て、バラカはニヤリと笑った。


「忙しそうだったな。」


セヘテプは深く溜息をつくと応えた。


「ああ、予想以上に有益な情報が沢山舞い込んだ。」

「そして、予想以上に美しい景色だ。これが海か…」


遠い目をして藍色に染まりゆく海を見る。

全員頷いた。


「明日から船の再建を始める。その時に航海士のイフを紹介しよう。彼はネケンにおいて数多くの交易に携わり、風を捕まえる名人だ。」


ネケンから同行した航海士と呼ばれている二人は、海を見るのが今回初めての事だった。

彼らは川の流れと風を読むことにかけては並ぶ者がなく、ナイルの操船においては熟練の技を誇っていた。


「そうか、それは楽しみだ。俺はこの海を見て確信した。この星空は砂漠と同じだ。地図があれば俺達は海で迷うことはない。風を読んでくれる人がいればなんとかなりそうだ。」


カカセオはそう言うと、空を眺めた。日はすっかりと暮れ藍色の空に星が姿を現し始めている。


「海には潮の流れという物があるそうだ。言ってしまえば大きな海に何本もの大河が走っていると言うことだな。支流や急に逆流する様な物もあるという。それに乗ると船の速度も速く風を捕まえれば驚く程の速さを得られるようだ。しかし、間違えて乗ればそこからは抜けられぬらしい。また、ナイルと違い、いくら風を捕まえようともその流れに逆らう事は出来ぬようだ。」


セヘテプはそう告げた。


「海に大河…」


カカセオは呟く。星と風を読めば何処にでも行けると思っていたが、そう簡単には行きそうにない。


「幸い、その大河の流れをよく知っている者がいる。地図に記して行くと良い。しかし、これだけ広大な海だ。外洋へ出るには紅海で確実に技術をつけながら行くことだ。」


セヘテプはそう言うと、また杯を傾けた。

誠実で真面目なこの男でも、この海を前に酒が進むようだ。

アナシラはまたマハラを注ぐ。

バラカは肉を切り分けると手渡した。

それをかじるとだんだん冗舌になり始めた。


「正直、私も海へ出てみたい。この海を見るとなぜか血が騒ぐのだ。この先に何があるのか?どんな人々がいて、どんな神々がいるのか?私はそれが見てみたいのだ。」


「では、ここにネケンの駐屯地を作れば良い。」 


バラカは笑顔でそう言うと更に付け加えた。


「それにはまず、上エジプトを統一し、ゲブトゥに影響力を持つ事だな。」


セヘテプは頷いた。

そしてバラカに言う。


「それには武力だけでは無理だ。そもそも、それはいくらネケンが強大であろうとも、必ず限界がくる。そして離反が生じ、事態は混乱へと陥る。武力とはそう言う物だ。」

「ここに、新たな神の概念と思想が必要だ。バラカよ、ナブタプラヤの思想がそれを成し遂げる大きな力になるのだ。」


セヘテプは完全に酔った様である。

次々と杯を傾け、その度にアナシラはマハラを注いだ。


「任せろ。ネケンには俺やザウリ、マシリが入る。俺たちに出来ることは全力を尽くす。」


セヘテプは深く頷き、マハラを飲み干したかと思うと立ち上がり、音のする方へふらつきながら歩こうとし始めた。

皆、腰を上げ支えようとしたがそれを制し振り返り言った。赤くなった顔はご機嫌な様子である。


「今日はここに辿り着いた事を存分に祝おうぞ!」


ザウリとマシリは立ち上がり、既に踊り始めた人々の方へセヘテプを連れて行った。


「セヘテプも血がたぎっているな。」


バラカはポツリと呟くと立ち上がった。

カカセオとアナシラも立ち上がり、太鼓と笑い声の渦へと、身体ごと引き込まれていった。


波の音と太鼓、手拍子、雄叫びがそれぞれ混じり合い濃密な空間はドーム状に膨れ上がっていった。


鳴り響く太鼓の音に合わせ、それぞれ思うままに自由に身体を動かし砂を踏みしめる。

角笛が精神を加速する。

高揚感は耐えきれず雄叫びを上げる。


踊リながら目が合うと笑う。近寄る。更に手足をくねらせる。笑う。

何度も何度も繰り返し、歓喜の声は高まり続ける。


気の利いたゲブトゥの若者達は香炉にキフィ(神託と夢を誘う調合された香)を焚きながら人々の間を縫って踊る。


その高まり続ける音の渦にセヘテプは両手を宙に突き上げ足を踏み鳴らしていた。


人々の足踏みが、大地を震わせる。


角笛が方々から繋げる様に吹き鳴らされると、人々の意識は限界まで高まり腹から込み上がる力を空に放つ。

いつの間にか円陣が組まれて行き、楽団の周りを囲むように輪が出来た。香炉から立ち昇る煙は、星々に繋がる橋のように輪の中心から立ち上がり、香りは一人ひとりの内なる神を呼び覚ましていく。


互い違いに輪は回り、人々は足踏みを強め、瞬く間に、香と歌と祈りが渦を巻き、天地を繋ぐ光の柱が立ち上がった。


星々と海、そして炎の揺らめきの中で人々は陶酔し歓喜に浸った。

そうしてタウの浜辺での一日目の夜が更けていった。


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