第三章∶八節 セヘテプの決意
夜明けの儀式が終わり、太陽が昇りきった頃、広場には大競技会の準備が整っていた。
マルカムとアルムはネケンの使節団と、葦と布で模様付けられた大きなゴザを三方に立てて設えた見物席に座している。傍らには三キロの金で造られた天文図版が静かに安置されていた。
各村から集まった腕に覚えのある若者達はそれぞれ弓や投石紐の手入れをしている。
その中にバラカもカカセオもザウリ、マシリと共に混じっていた。
それぞれの村から九人、計六三名が順に種目をこなし、合計点を持って勝者を決めていく。
それぞれの種目の最初の選手が位置に着くと、時を告げる牛の角笛が高々と吹き鳴らされた。
一気に歓声が上がる。
助走を付け槍が放たれ、弓が引き絞られ、投石紐が回転し始めた。
同村の選手を応援し、気合いを入れる大声や叫び声が飛び交う。
女達はお目当ての選手に黄色い声を上げる。
ネケンの護衛達までもが何故か選手に入り混じっているのが見受けられる。
そんな中、見物席ではセヘテプが儀式の事が頭から離れず考えを巡らせていた。
──あの呪術師に降りた言葉は一体何を意味するのだろうか?ナブタプラヤに危機が訪れると言う事か?砂と嵐、虚無…砂漠にのまれると言う事か?そして…ナブタプラヤの民はそれをただ受け入れた…なんという現実だ。私はこの素晴らしい文化を持つ人々に何が出来るだろうか?
その横ではアクメスとトヘルが拳を握り興奮と共に食い入る様に競技を見ている。
カカセオは槍を握り前へ進み出た。全身が研ぎ澄まされてゆく。
視線を槍が刺さるその遥か向こうに合わせる。
大きく胸を張り肩の上に構えると走り出した。
地面を蹴る反動さえも全て右腕に流すように蓄え、一直線に引かれたラインのギリギリを左足で踏み込むと、バネの様に身体を反らせそのまま全ての力を槍に乗せる。
ネケン一向はその姿を注意深く見つめている。
槍が風を切る音と共に放たれた。
見物席にまで届く様な轟音を立て何本もの槍が刺さる地面の遥か向こうへと突き刺さった。
誰もが揺れる槍の柄に視線を奪われる。
一瞬の間をおいて会場は感嘆の声で埋め尽くされた。
そこに一人前へ進み出る男がいた。
ザウリである。カカセオに向かってニヤリと笑みを投げると、カカセオもニヤリと返す。
ザウリは肩に槍を構えると地面を蹴り大きく反動を付け放った。
轟音を立て槍は飛んでゆく。
カカセオが放った槍のすぐ手前にザウリの槍は刺さった。
会場にまたどよめきが起こる。
「くそっ!あと少しだったのに!」
ザウリは拳で空を切る。
カカセオは白い歯を出しながらザウリの肩を叩いた。
その向こうではマシリが投石紐を華麗に回し滑らかに動きを取ると鋭く体重を紐に乗せ石を放つ。
凄まじい速さで一番遠い的のど真ん中を撃ち抜き、跡形も無く木っ端微塵に吹き飛ばした。
また会場は感嘆の声で震える。
アクメスは言う。
「ナブタプラヤの民は素晴らしき戦士が揃っている。これほどの戦力は我がネケンにおいても中々無い。」
セヘテプは返した。
「うむ、想像以上の能力だ。この様な者達に夜襲をかけられたらひとたまりもないな。」
「この技術をネケンの戦士に教え込めば我軍はエジプト一となるだろう。」
アクメスは顎をさすりながらしきりに頷いた。
女の歓声が一際大きく響いた。
バラカが弓を引き絞り真っ直ぐに的を据えている。
胸を張り無駄なく矢をつがえるその構え姿に気品さえ漂っていた。
指を離した瞬間、弦は風を切る音を従えて矢を放つ。間を開けずに的に吸い込まれた矢はその中心に深々と突き刺さっていた。
素早くもう一本の矢を放つと始めに放たれた矢が砕け散る。続けて矢を放ち、また矢は的の中心へ吸い込まれていった。
三本を中心に当てたバラカは満足気に頷き退いた。
トヘルはその姿に見惚れて思わず拍手を送っている。
横目で見ていたセヘテプは眉を上げ驚いた表情をみせたが、やがて笑みを浮かべ目を細めた。
会場にどよめきがまた走る。
ネケンの護衛が弓をつがえて的を狙っている。既に二本の矢が的の中心を貫いていた。そして三本目の矢も風を切り中心を射抜いた。
ナブタプラヤの若者達は護衛の肩を叩きその健闘を讃えている。
マルカムは真剣に見物しているネフェルスに言う。
「ネケンの戦士も中々やりおる。」
「うむ、驚くべきはあやつらがナブタプラヤの若者達と既に打ち解けあっている事ですな。ネケンの戦士は簡単には他の集団と相容れぬ。それがあんなに楽しそうにしているとは思ってもみぬ事。」
ネフェルスの顔に笑みが浮かんだ。
マルカムはただ頷き返した。
広場では盛り上がるその傍らで子供達が槍や弓で大人の真似をして遊んでいる。
次々と競技が行われ、太陽も中天に差し掛かる頃、競技は終盤へと進んでいた。
トップは二番手のバラカを大きく離してカカセオで、槍投げ、弓、投石紐と、どれを取っても無双であった。
それを見たネケン使節団はあまりの技術に恐れさえ抱いた。
「カカセオは凄まじい腕前だな。あれ程の戦士はエジプト中を探してもいないだろう。」
セヘテプが呟くと、アルムは深く頷きながら言う。
「ナブタプラヤにおいてもカカセオはバラカと並んで英雄的な男だ。」
「一度ネケンに呼んで戦士達を訓練してもらうのも良いかもな。」
アクメスはすっかりカカセオに心酔した様子で腕を組みながら満足気に言った。
「うむ、不測の事態に対する備えの為にも、定期的な軍事訓練が必要かも知れぬ。この様な催しがその技術を飛躍的に高める仕組みとなる事が分かった。」
セヘテプはそう応えるとマルカムとアルムに振り向き言う。
「どうだろう?ナブタプラヤ側が良ければ、ネケンに定期的に訪れ、その技術を教えてはくれぬか?」
マルカムは少し考え応える。
「それは良い考えじゃ。この件については一度皆でよく話し合ってから返答するで良いかな?」
「もちろんだ。私達の方からしても他の族長達と話し合わねばならぬ。しかし、この先ネケンとナブタプラヤの関係を密に取り続け、お互いに困った事があれば協力し合うという方向で進めて行こうてはないか。」
セヘテプは意味深にそう言うと、続けた。
「失礼ながら、ヌエベで困り事などあったりはせぬか?呪術師が口寄せにて降ろした言葉は、砂漠化の脅威に関する事では無いのか?ネケンに出来る事があれば協力したいと思っている。」
トヘルは横で話を聞いていたが、セヘテプの言葉に深く頷いていた。
マルカムはうつむきながら応えた。
「そうじゃ、今はまだ紅花栽培がうまくいっているが、砂漠化は刻一刻と進んでおる。今年も雨季に入ったと言うのにまだ雨が降っておらん。わしらの移住先としてネケンが受け入れてくれると良いのじゃが…」
ネケン一向はポンと手を打った。
アクメスは言う。
「うむ、それは良い考えだ。そうすれば我が戦士達の能力も飛躍的に上がる。」
セヘテプは続ける。
「それに関しては他の族長達の承諾を得ねばならぬ。しかし、ナブタプラヤからの移住となると我がネケンにおいても利になる事しかない。星読み、戦闘能力とこの先の我らにとって必要な物をナブタプラヤは持っている。族長達の理解も得られるだろう。」
その眼には確固たる信念が宿っていた。
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