第二章∶四節 夕陽の紅花畑
ヌエベの入り口が見えてくると、先ほどの交易隊の護衛達が村の入口に立っている。
村の中に入れる事は村長が許さなかったか、上エジプトなりの配慮かはわからないが厳しい目つきで辺りを警戒している様子がはっきりとわかる。
「やはり思ったよりも事態は深刻そうだな。」
ザウリがつぶやく。
バラカは何も言わず進んでいった。
「おい!待て!」
護衛の一人が先頭をゆくバラカを制止する。
バラカは内心身構えたが、ここはあくまでも交易人に徹する事にした。
「何か?」
「随分と見事な牛を連れているじゃないか。一体何処からやってきた?」
「それを言う必要があるか?」
毅然と自信を滲ませながら穏やかに答えた。
その態度に護衛の男は少し怯み、もう行け、と手を振るい、他の護衛達に生意気な奴だと言わんばかりの表情で訴えた。
村の入口から西へ廻り、紅花畑の方へ向かった。村の中へ牛を入れる事は面倒を引き起こす要因にしかならない。
甘い柔らかな香りが漂う紅花畑は夕刻に染まる空を橙色に染めていた。
「これは凄い…」
思わずマシリは呟く。
作業していた女達はバラカの来訪に黄色い声をあげた。
バラカは牛の放牧地へ案内を頼み湿地帯へ向かうと愕然とした。
湿地帯の水は明らかに少なく、そこで草を喰む牛はおよそ三十頭…
「これは…」
「雨が全然降らなくて、湿地の水がどんどんなくなってしまったの…みるみる内に放牧が出来なくなってしまって…紅花は水をそんなに必要としないから助かっているけど、この先はどうなるのかしら…不安でたまらないわ。」
女達は言う。
バラカは何も言えず、自分達の牛に黒曜石を積み直し、サルナプから連れてきた牛を放った。
その後、裏から村へ入ると長老マルカムの元へ向かった。
「おぉ!バラカ!大きくなったな…もう何年ぶりじゃ?元気にしとったか?」
長老マルカムとバラカは実に十年ぶりの再会であった。サルナプとヌエベは人々の往来はあるが、長老格の人間では一日を要する旅は容易でない。
三人はそれぞれマルカムの前に座り、腿へ両手を置いた。マルカムはそれぞれの頭に片手を据える。これがナブタプラヤで他の村の長老に対する挨拶である。
バラカは言う。
「随分と長い間ヌエベには来ていなかったが、あまりに変わりすぎて信じられない気分だ。」
「そうじゃ、年々雨が急速に降らなくなり、今ではわしらの牛も飼えなくなってしまった。この異常な変化はわしらのゆく末を決定づけてしまったのじゃ。」
「というと?」
「牛が飼えなくなった代わりに紅花に切り替え、そこである発見をしたのじゃ。それが功を成して高価値の作物として取引きされるようになった。じゃが、今では上エジプトとの交易で生活を営んでいるも同然じゃ。」
バラカは静かにマルカムの話に耳を傾けた後に切り出した。
「上エジプトの影響はヌエベにとって歓迎するものか?」
マルカムは黙り込んだ。
そこへ村長であるアムルが家に入ってきた。
「バラカじゃないか!裏から村へ入ったのか?」
アムルはそう言うと一瞬止まり、何かに気付いたような表情を浮かべマルカムの横に座った。
「バラカがわざわざここへやって来るという事は、理由を聴かなくとも分かりきった事だったな。」
「上エジプトの者は族長か?」
ザウリは尋ねた。
「そうだ。」
アムルは炉の炎を見ながら答えた。
「今、ヌエベはどういう状況にある?」
マシリが尋ねる。
間を開けてからアムルは話しだした。
「我々の紅花が価値のあるものになってから上エジプトとの交易は盛んになり、今ではそれ無しではここでの暮らしは成り立たない物になっている。これも雨が降らず、木々が枯れ始め砂漠は年々広がり続ける事が原因だ。先行きの分からぬ我々には上エジプトの要求にも甘んじなければならぬ時がある。」
火の粉が弾ける。
束の間の静寂をザウリが破った。
「なぜ我々に助けを求めぬ?ここから西へ行けばタリナムの村もあるではないか。」
アムルは首をゆっくりと振った。
「タリナムも我々と同じ状況だ。サクタラはまだ湿地帯が残っているが、北に面した我らは砂漠に脅かされ、牛を無くしつつある。いや、むしろタリナムはここよりも砂漠化が急速に進んでいる。サクタラも我らを救う余力はあるまい。」
ザウリは黙り込んだ。
確かに近年の雨不足はサクタラにとっても驚異と成り得る状況でヌエベを賄う程の食料があるとは言い難い。
バラカが口を開いた。
「状況は分かった。ヌエベは今困っている事はあるか?」
「お前達も村の入口にいる護衛達を見ただろう?最近は交易商ではなく、族長が直々にやってくる。今日はここに上エジプトの駐屯地を作るという事でやってきたが、これが正しい事かは俺達にはわからない。」
「上エジプトの使者は暫くヌエベに滞在するのか?」
「明日にでも駐屯地建設を始めるだろう。」
「よし、では明日使者に会おうか。アムル、俺を紹介できるな?」
「どうやって紹介すれば良いのだ?」
「俺は旅の交易商を装うつもりでいたが、それは辞めだ。」
ザウリとマシリは大きく目を見開いてバラカに釘付けになった。
「正面突破する。」
バラカはニヤリと笑い、告げた。
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