【第八章 シーナの憂鬱】
──昼過ぎ、一行は目的地である中間拠点へと到着した。
緩やかな岩場の窪地を利用したその場所は、かつて調査隊によって使われていた野営地の跡地だった。
今は仮設の簡易テントがひとつと、魔導灯の光が風に揺れている。すでに誰かが到着している気配があった。
「……誰か来てるな」
ベルンが警戒を崩さず声を落とす。
「査定官の方かな……」
リエルが息をのむ。
そのとき、野営地の奥──風を切るような軽やかな足音が近づいてきた。
静かな気配をまといながら、一人の女性が姿を現す。
長く流れる黒髪に、深い紫の瞳。
深藍のローブを身にまとい、胸元には王都ギルドの査定官章が光る。
その立ち居振る舞いには、明らかに一般の冒険者とは異なる品と威圧感があった。
「あなた方が、今回の同行補助チームですね?」
その声は静かで、そしてよく通った。
威圧ではなく、自然と人の注意を集める“貴族の声”。
学が慌てて一歩前に出た。
「はい。マナです。こちらはリエルとベルン、それから……」
「クレア=フリオリーナです! よろしくお願いしますっ!」
クレアがひときわ大きな声で名乗った。
女性は淡く目を細めた。
「私は、王都ギルド本部査定官──シーナ=カリステリア。
本件、誤査定クエストにおける再評価任務の現地責任者として、今回の査定を担当します」
名乗りの一言に、空気が少しだけ張り詰める。
「……まさか、本当にご本人がいらっしゃるとは……」
クレアが感極まったように呟く。
「名前、知ってたの?」
リエルが小声で尋ねる。
「知ってますとも! 査定官の中でも上級に位置する現場担当者で、再査定案件専門の“王都直轄査定室”の所属……
それに、カリステリア家って、王都の中でも相当な名門貴族の……あっ、すみません、語ってました……!」
「いや、言ってくれて助かった」
学が小さく笑う。
──そして改めて、目の前の女性を見る。
その背筋は真っすぐに伸び、指先ひとつにまで気品が宿っていた。
「──本日は拠点で一泊、明朝より調査対象地へ向かいます」
シーナはそれだけを告げると、淡々とテント設営へと向かった。
彼女の護衛らしき二人も、無言でその後に続く。
「……緊張した……」
リエルが肩をすくめ、息を吐いた。
「さすがに格が違うな。あれが王都本部の査定官ってやつか」
ベルンも腕を組んだまま、わずかに眉を上げた。
「でも、すごく冷静で……無駄のない感じ。ちょっとかっこいいかも」
リエルが小さく笑った。
「ねっ!? あああ、ちょっとだけでいいから雑談したい……いや、むしろ弟子入りしたい……」
クレアは小声でぶつぶつ言いながらノートを取り出し、すでに何かを書き始めていた。
「……やっぱり、うちのチームってだいぶにぎやかだな」
学は苦笑しながら、アリアのホログラム越しに「明日の予定」と「警戒区域」の再確認を始めた。
* *
夕刻、夜の帳がゆっくりと中間拠点に降り始めていた。
魔導灯の淡い光が揺れる中、焚き火のそばで一人座っていたのは──シーナだった。
背筋を伸ばして座り、ローブの裾にはうっすらと旅の埃がついている。
移動の疲れが見えるものの、その姿勢に乱れはない。
けれど、ふと彼女の指先がそっと首元の襟をつまみ、わずかに眉をひそめた。
「……やはり、少し気になりますね」
そのとき、そっと近づく気配があった。
「シーナさん……ごめんなさい、驚かせちゃいましたか?」
声をかけたのはリエルだった。手には湯を入れたカップを持っている。
「いえ。足音はしていました」
シーナは静かに答えると、焚き火を見つめたまま言葉を継いだ。
「そちらのチームは、野営慣れしているようですね」
「……えっと、慣れてるというより、マイホームがあるので、わりとずるいんです」
リエルは苦笑を浮かべた。
「マイホーム──あの、魔導設備と空間制御を組み合わせた拠点、ですね」
「はい。実は、そこに……お風呂もあるんです」
シーナの視線が、わずかにリエルの方へ向けられる。
それは拒絶でも否定でもなく、ただ「聞いた」という気配。
「今夜は、拠点に戻って入るつもりだったんですけど……シーナさんも、よければ一緒にいかがですか?」
リエルの言葉に、ほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。
そして──シーナはそっと焚き火の火を見つめたまま、静かに口を開いた。
「……それは……いいのですか?」
「少し気にはなっていたのです。……旅の埃がまとわりついていると、眠りも浅くなりますから」
柔らかな灯火が、シーナの頬をわずかに照らしていた。
その瞳には、どこか少しだけ──肩の力を抜いたような、そんな色が混じっていた。
リエルは学たちのもとへシーナを案内した。
「マナさん、ちょっといいですか?」
リエルが焚き火のそばに戻り、学に小声で話しかけた。
「どうした?」
振り返ると、少し離れた場所でシーナが焚き火の光に照らされている。
「シーナさん……少し疲れてるみたいで。マイホームで、お風呂に入ってもらえたらって思って」
「なるほど」
学は頷くと、すぐに理解したように笑った。
「もちろん構わないよ。ゲート使えばすぐだし、アリアにも準備させておく」
リエルの提案に、クレアがすぐに乗ってきた。
「えっ、お風呂? じゃあ私も行きます! シーナさんがどんな反応するのか、見たいですしっ!」
ベルンは、クレアのテンションにやれやれという顔で肩をすくめた。
「ああ、こっちはもともと戻るつもりだったしな」
──こうして、学たちは中間拠点からマイホームへ一時帰宅することになった。
丘の陰に設置されたゲートマーカーの前に数人が集まる。
学が手をかざすと、空間がわずかに揺れ、淡い光の輪が展開される。
「これが……“ホームゲート”ですか」
シーナの声は落ち着いていたが、その瞳には明確な興味と観察の色が宿っていた。
「ギルドから、ある程度の情報は受け取っていました。
“特殊な魔導設備と精霊支援技術を駆使する”──とだけ。
……けれど、実際にこうして目にすると、想像とはまるで違いますね」
「どうぞ」
学が一歩退く。
「では……失礼します」
シーナは躊躇わず、光の中へと足を踏み入れた。
──転移の感覚は一瞬だった。
次に開けた視界には、静かに灯る照明、清潔な玄関、木材のあたたかな香りが広がっていた。
「……これが……“家”……」
シーナが息を呑んだ。その声は抑えられていたが、言葉の奥に驚きがにじんでいた。
「ようこそ、マイホームへ」
学が微笑みながら一歩後ろから声をかけた、そのとき──
ふわりと光が舞い、玄関の空中にホログラムの少女が現れる。
『初めまして、マイホーム制御中枢・アリアと申します。本日はお疲れさまでした』
シーナはその姿をじっと見つめた。
「……投影……? いいえ、これは……魔素媒体による半実体構造。
この安定性、術式単位で維持するには……」
その静かな反応に、ベルンが低くつぶやいた。
「……あの反応で済むのか。やっぱ、ただ者じゃねぇな」
「ギルド報告には、“精霊のような存在”とありましたが……
なるほど、これは確かに言葉では説明しきれない」
シーナが視線を戻し、アリアに小さく頷いた。
「アリアは、私たちにとって家族みたいな存在です」
リエルが優しく微笑む。
「……家族、ですか」
その言葉を反芻するように繰り返しながら、シーナは一歩、玄関へと進んだ。
* *
湯気の立ちこめる浴室に、静かな時間が流れていた。
広々とした湯船には、リエル、シーナ、そしてクレアの三人が肩まで浸かっていた。
香り湯の心地よい匂いが空間を包み、空中の魔導換気ユニットが静かに作動している。
「……本当に、いい香りですね。これは……魔導芳香術ではありませんよね?」
シーナが湯の表面に指をすべらせながら、ぽつりと呟いた。
「はい、アリアが香料の調合をしてくれてます。……リラックスに効果のある天然成分だそうです」
リエルは笑顔でそう答えると、お湯に手を伸ばして、波紋を作った。
「最初にここに来たとき、びっくりしました。お風呂があるってだけでもすごいのに……“快適”って、こういうことなんだって思えて」
「……そうですね」
シーナは静かに湯船の縁に頭をもたせかけた。
「これが“日常の一部”だというのなら、あなたたちは──とても、贅沢な暮らしをしているのだと、思います」
少し離れた場所で、クレアがうっとりしたような表情で湯に浸かっていた。
「はぁぁ〜……このお湯、熱の伝わり方まで計算されてるぅ……データ取っておけばよかった……」
つい口を出してしまい、リエルに「今だけは我慢」と軽く睨まれると、小さく肩をすくめて沈黙する。
「王都でも、ここまでのものは……?」
問いかけるようにリエルが尋ねる。
「ええ。貴族の家であっても、“整った設備”と“心からくつろげる空間”が一致することは稀です」
「……たぶん、私が驚いているのは、その二つが両立しているという事実かもしれません」
リエルがそっと笑った。
「なら……シーナさんにも、マイホームの一部になってもらえたら、嬉しいです」
シーナは少しだけ目を細めた。
「……こういうの、苦手なんです。あまり……打ち解けるのも、打ち解けられるのも」
「でも今のシーナさん、すごく“やわらかい”ですよ?」
「……湯のせいです」
短く、しかしどこか穏やかにそう返すシーナの頬に、湯気が淡く色を差していた。
──そして、風呂上がりのリビング。
ナイトモードに切り替わったマイホームは、やわらかな照明に包まれていた。
冷えたフルーツ水の入ったグラスを手に、シーナはソファの端に腰を下ろしている。
「……お風呂に、こういう飲み物……」
「ちょっとした贅沢ですね」
「どうぞ、たくさん飲んでください。アリアが自動で補充してくれますから」
学が笑いながら言った。
その向かい側のソファでは、ベルンが足を組んで腰を落ち着け、手には軽く注がれた自家製のレムベリー果実酒。
無言のまま、ときおりグラスを傾けながら、シーナの様子をちらりと観察している。
壁際ではクレアが湯上がりのままタオルを頭に巻き、ノートに何かをせっせと書き込んでいた。
「浴室の空気循環、再現できるかも……」「あ、でも魔素濾過系が問題なんだよな……」と、独り言は止まらない。
それぞれが思い思いの姿で過ごす中、学とシーナの言葉が交わされた。
「この環境……なるほど、ギルドが“特殊”と表現するのも無理はないですね」
グラスを口に運びながら、シーナが言う。
「でも、私が想像していたのとは少し違いました」
「これは、“戦うための拠点”ではない。……“帰る場所”だと、思いました」
学は目を見開き、それからゆっくりと笑った。
「そう言ってもらえると、ちょっと嬉しいかも」
静かな夜だった。
けれど、ほんの少しだけ──この場にいる全員の距離が、縮まった気がした。
──夜が明け、出発の朝。
マイホームで朝食を終えた学たちは、ゲートを使って中間拠点へと戻ってきた。
朝露に濡れた丘陵の風が、微かに肌をくすぐる。
「今日もいい天気ですね!」
リエルが深呼吸しながら笑うと、クレアも背伸びをしながら頷く。
「快晴は調査日和ですっ。魔素濃度も安定してますし、これなら展開もスムーズに──」
──その声を遮るように、冷たい声が割り込んだ。
「……シーナ様」
低く、やけに滑らかな響きを持つ声。
学たちが振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
背筋の伸びた痩身。灰色の軍服風のローブに身を包み、銀縁の眼鏡をかけている。
皮肉めいた微笑を浮かべながら、整えすぎた礼儀作法で一礼した。
「まさか、昨晩は“あちら側”でお過ごしとは……これは驚きです。
選ばれた者には、相応の距離感というものがあるかと存じますが──いかがでしたかな? その“私的空間”は」
クレアがぽかんと口を開け、ベルンが舌打ち寸前で肩をすくめる。
リエルが一歩前に出かけたところで、シーナが静かに手を上げて制した。
「グラース。あなたにそのような詮索をする権利はありません」
「……これは失礼。忠言のつもりでしたが」
その口元には、皮肉が浮かんだままだった。
『対象人物:グラース=ヴァルディス。王都査定局所属、査定官補佐官にして随行監視役。
前歴:公表データに矛盾箇所多数。調査モードを推奨します』
アリアが静かに警告を発し、学のスマホの画面にログが流れ始める。
(……なんか、いきなり“きな臭い”のが出てきたな)
学は内心でそうつぶやきながらも、表情には出さず、静かにグラースを観察していた。
* * *
その後、改めて荷物の確認とゲートマーカーの調整を終え、一行は旧封印施設跡へ向けて歩き出す。
「アリア、展開中のマーカーは今いくつ?」
「ノルグレア、中間拠点に加えて、今回のルート中継地点に1基追加済み。合計3基。残りは5枠、使用回数は本日5回まで可能です」
「了解、帰り道を確保しながら進もう」
学が頷く。
「150キロって、けっこう遠くまでいけますよねー。旧封印施設って、そんなに国境寄りなんですか?」
クレアが地図を見ながらつぶやいた。
「普通なら調査隊の宿営地が必要な距離だな。……便利なもんだぜ」
ベルンが肩を回しながら、周囲を警戒するように視線を巡らせた。
「ただ……便利すぎるがゆえに、目をつける者もいるでしょうね」
シーナがぽつりと呟くと、その視線が自然とグラースの背中に向く。
誰もそれを言葉にはしなかったが、足音は確実に、慎重さを増していた。
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