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「いやぁ、遅れてすまない」


 社長への連絡どおり待ち合わせ時刻を五分過ぎた頃、本日の主催である長谷川社長が登場する。


「お忙しいところ会食の場を設けて下さりありがとうございます。こちら、つまらないものですが……」


 社長が長谷川社長へ手土産のどら焼きを渡す。


「おっ、これは私の好きな和菓子屋のものではないか。そちらの秘書さんが用意してくれたの?」


 長谷川社長が私へ視線を移す。


「秘書の湯浅と申します」


 前に何度か挨拶をしたことがあるが、念のため名前を伝える。


「偶然、こちらの和菓子がお好きだと耳にしたもので」


 もちろん偶然ではない。日頃から至るところでリサーチを重ねた結果、手に入れた貴重な情報だ。


「そうかそうか。一ノ瀬君の秘書は優秀で羨ましいよ。うちの秘書なんか毎日定時上がりで、業務時間外の会食には一度も参加したことがないからね」


 確か長谷川社長の秘書さんは小さな子どもが三人いるお母さんだ。

 子育てをしながら社長秘書を両立するのは大変だろうなぁと、しみじみ思う。


「そういうことで、今日は秘書の代わりにうちのエースである清原君を連れて来たよ」

「部長の清原きよはらです」


 長谷川社長の後ろから、眼鏡をかけた真面目で優しそうな雰囲気を放つ男性が会釈をする。


「なんだ、よそよそしいな。一ノ瀬君と清原君は同期の仲じゃないか」

「同期と言ってもかなり前の話ですよ。今では一ノ瀬もIKEOJIの代表……、私のような一社員では足元にも及びません」


 清原部長の言葉に社長が反論する。


「何を言ってるんだ。お前もIKEOJIに来ていていたら今頃うちの代表は清原だったよ」


 社長は元々OYAJIの社員であったと聞いたことがある。


「身内話で盛り上がってごめんね。湯浅さんだっけ? いつも一ノ瀬から話は聞いてるよ」


 蚊帳の外になっている私を気遣い、清原部長が声をかけてくれる。


 社長が私の話をしている!?

 一体何を言われているんだろう……。


「清原、余計なことは言うな」


 社長が清原部長に鋭い視線を送る。

 ますます何を言われているのか気になる……!


「まぁ、立ち話もなんだし席に着こう」


 長谷川社長の一言でそれぞれ座席に腰を下ろす。私は先ほどと同様に社長の隣に座り、向かい側には清原部長が座る。

 ほどなくして、再び登場したオーナーらしき店員にドリンクとコース料理である前菜を運んでもらう。


「あれ、湯浅さんは飲まないの? お酒苦手?」


 烏龍茶を手にする私を見た長谷川社長に問われる。


「いえ、そういうわけでは……」


 あまり強くはないがお酒は好きなほうだ。しかし、業務時間外とはいえ仕事の一環で参加している会食でのアルコールは控えたい。

 ……それに、酔った姿を社長に見られるのが恥ずかしい。


「あれ、前にお酒好きって言ってたよね。遠慮しなくていいよ」


 瓶ビールを持った社長が私を甘い言葉で誘惑する。


「そうだよ、遠慮しないで」


 清原部長も同意する。ここで断ってしまうほうが場の空気を悪くしてしまうかもしれない。


「それでは、お言葉に甘えていただきます……」

「ビールで大丈夫? これ持って」


 社長の問いに頷くとともに烏龍茶の入ったグラスを奪われると、代わりに空いているグラスを渡され瓶ビールを注いでもらう。

 推しである社長にお酒を注いでもらうという栄光の瞬間に、まだ体にアルコールを含んでいないのにもかかわらず、クラクラと酔ってしまいそうな感覚になる。徐々に重みを増すグラスを落とさないように持っているだけで精一杯だ。


「全員にお酒が渡ったところで乾杯しますか」


 清原部長が私の分のお酒が注がれたのを確認してから声をかける。そして、「お疲れ様」「お疲れ様です」の言葉とともに、グラスの鳴る音が重なり食事がスタートした。


 前半では、前年度の反省や今後の会社の方針についての話がメインとなった。長谷川社長は癖の強い人だと聞いていたが、思いのほか仕事に対して熱意のある人だと感じてホッとする。


 しかし、メインディッシュである牛肉A5ランクのステーキが運ばれてきた頃、お酒の酔いもまわり仕事の話からプライベートな話へと発展する。


「社長秘書ってさ、プライベートも削りながら仕事しなくちゃいけなくて大変でしょ。こんなおじさんしかいない飲み会に参加して、彼氏に何か言われたりしない?」


 長谷川社長がセクハラとも捉えられる発言をする。

 だけど、私は社長秘書歴およそ四年、この手の内容のかわし方には慣れている。


「皆さんから貴重なお仕事の話を伺ういい機会と感じておりますので、本日はありがたく同席させて頂いています。それに、残念ながら彼氏はおりません。私、仕事が恋人なんです」


 そう答えた瞬間、「わははっ!」と長谷川社長から大きな笑い声が漏れる。


「もう百パーセントの回答だね。そんなに美人なのに仕事が恋人だなんてもったいない! ちょっと一ノ瀬くん、いい部下の男の子紹介してあげなよ」

「その辺は本人に任せていますから……」


 社長が苦笑いしながら答え、私に『ごめんね』という視線を向けてくれる。


「長谷川さん、ちょっと飲み過ぎですよ」

「うるさい! お前たちももっと飲め!」


 清原部長の注意も虚しくはね除けられ、長谷川社長のデリカシーのない発言はエスカレートしていく。


「ところで、三玖みくさんが亡くなって十年くらい経つよね? 一ノ瀬くんは再婚とか考えてないの?」


 矛先が社長へと向かった。長谷川社長の発言により、一瞬その場が静まり返る。

 噂でしか聞いたことがないけれど、社長は十年前にOYAJIの社員でもあった奥さんを亡くされている。

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