第17話 そして2人は身悶える①

アレキサンダーが顔を覆った両手をようやく戻しイアンの肘をつつくと、両手をさらにぎゅっと押し付けてイヤイヤをするように頭を振った。

「ねぇ、イアン。顔を見せてよ。」

 テーブルに片肘をついて体をイアンに向けたアレキサンダーが優しく話しかけた。

「・・・・・」


 イアンが瞳を隠していた手を少しずらして両頬に置き、ちらりと横を見ると、アレキサンダーが慈しむような微笑でイアンを見つめていた。甘いまなざしに胸が高鳴る。アレキサンダーが手を伸ばし、イアンの額にかかった前髪にすっと指を通した。


「あっ、あのさ。ほんとごめん。僕、ちょっとなんか変なんだ。新しい環境とか、あの、色々で・・・できれば気にしないでほしい、っていうか忘れてほしい・・・。」

 両手をパタパタさせながら早口で言うイアンをじっと見つめると、アレキサンダーはイアンの手をそっと握ってテーブルに置いた。


「ほんとに?忘れていいの?」

「・・・・・」

「俺は忘れたくないんだけどな。あんなかわいい反応、忘れられるはずがない。」

「やだよ・・・からかわないで。」

「からかってなんかない。」


 握られた手を放そうとするが、アレキサンダーはグッと掴んで逃がしてくれない。真剣な碧眼がまっすぐにイアンを捕らえる。



「あのぅ・・・・・・大変申し訳ないのですが・・・・そろそろ食堂の清掃時間が・・・・」

 ハッとして2人が顔をあげると、モップを手にした清掃員のひとりが恐縮した様子で立っていた。

「すまない!」

「ごめんなさい!」

 イアンとアレキサンダーは飛び上がるように席を立つと、急ぎ足で食堂を後にした。


 ********


「うふふふふ」

 食堂を出て廊下を進み最初の角を曲がると、不意にイアンが笑い出した。

「見た?あの人の顔!すごい困ってたよね。 はぁ~、ほんと僕たちってバカ・・・」

 指で涙をぬぐいながら可笑しそうに笑うと、ふーっと大きく一度息を吐き、アレキサンダーを正面から見つめた。


「あのさ、アレク。あとで僕の話を聞いてくれる?」

 何かを決意したイアンの表情に、アレキサンダーの心臓がトクンと音を立てた。

「ん。」

 アレキサンダーはそういって優しく微笑んだ。


「授業、さぼっちゃったね。」

 イアンがアメジストの丸い目を猫のようにちょっと細める。

「はぁーー。2日目からサボりかぁ。ってか午後の授業ってなんだったっけ?」

 両手を頭の上で組み、ぐ~っと伸びをしてアレキサンダーが尋ねた。

「王国史と経済理論」

「あ~、王国史はサボったところで支障はないな。経済理論か…興味はなくはないな。」

「うん、僕もちょっと興味あるんだよね。今からならまだ授業に間に合うよ。」

「おうっ。」

 普段と変わらないやり取りをしながら歩き出す2人を、普段と少しだけ異なる柔らかな空気が包んでいた。


 ********


 迎えの馬車を呼び自身の愛馬を撫でながら、バロンは2人を待っていた。あの恋愛初心者丸出しのこっぱずかしいやり取りのあとで、一体どんな顔をして現れるだろうと想像した。

 ――さて、どうやってからかってやろうか。

 しばらく待つが2人がやってくる気配が一向にない。しびれを切らし、アレキサンダーたちを探しに食堂へ戻ろうと廊下を歩いていると、パタパタと小走りに駆ける足音と共に記憶に新しい声が背後からバロンの名前を呼んだ。


「バロン様、バロン様。お待ちくださいませ。あの、アレキサンダー殿下はご一緒ではありませんか?」

 エカテリーナ嬢が挨拶もなしに早口に前のめりで訊いてくる。

 ――はぁー、クソ面倒なのに捕まっちまったな。

 心の中で軽く暴言を吐きながらも、立ち止まり振り返ると外交用の笑顔を向けて挨拶をする。相手は友人の妹であり侯爵令嬢だ。揉め事を起こせば政に支障をきたす可能性もある。


「ごきげんよう、エカテリーナ。先日はどうも。」

「失礼いたしました。ごきげんよう、バロン様。ところであの…」

「あー、殿下に用事なら伝えておきますが? なんせお忙しいお方なのでね。」

 エカテリーナが話し終える前にバロンが軽く釘を刺す。

「いえ、大したことではないのです。ただちょっと・・・殿下とその・・・魔導士の・・・変な噂を耳に致しましたので・・・」

 ――魔導士か。嫌な言い方をする。イアンの名を口にしたくないのだろう。

 バロンはエカテリーナの失礼な口ぶりに苛立ち、思わず煽るように言葉を返した。

「アレクとイアンのイチャイチャっぷりですか?」


 イチャイチャという言葉に不快感を示すように、エカテリーナの片方の眉がピクッっと吊り上がる。

 ――わかりやすい反応だな。さぁ、どう出る?


「いえ、聞いたところでは、あの魔導士が妙な魔法でアレキサンダー殿下を惑わせたとか。あくまでも噂ですけど。わたくしは心配しておりますの。殿下があの魔導士に・・・」


 ――噂か・・その噂の出所は君ってわけね。


「イアン、な。」

 幾分冷たい響きを持ったバロンの声に話を遮られ、エカテリーナの表情が固まる。


「殿下のお相手の魔導士の名前、知らないわけじゃないだろう?君がだれに心を寄せようが俺には関係がないことだが、イアンは俺の大切な友人だ。イアンが悲しむようなことがあれば、アレキサンダーが1番に心を痛めるだろうな。これ以上事実を捻じ曲げたふざけた噂が広まらないことを願うよ。」

 バロンが微笑を崩さないままエカテリーナを正面から見据える。


「も、もちろんですわ。殿下の意に反したお噂が広がることは、わたくしの本意ではありませんもの。大変失礼いたしました、バロン様。ごきげんよう。」

 エカテリーナは眉間にキュッとしわを寄せ明らかに不機嫌そうな表情を浮かべると、制服のスカートを翻して歩き去っていった。


 ――少し煽りすぎたか?まぁ何かあってからじゃ遅いからな、監視対象に入れて報告しておくか。

 いくらエカテリーナが侯爵家の令嬢で友人の妹とはいえ、バロンが第一に優先すべきはアレキサンダーだ。当然イアンも護衛の対象に含まれている。護衛の仕事を抜きにしても、2人のことを大切に思う気持ちに嘘はない。政治的な問題が生じない程度に彼女を牽制しておく必要があるだろうと、バロンは判断した。

 ――アレクは上手くかわすだろうが、問題はイアンか。エヴァンにも一応伝えて・・・頼りになるかはわかんねぇけど。

 エヴァンのとぼけた笑顔が脳裏をよぎり、バロンはつい思い出し笑いを浮かべた。

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